与えることが出来る、という幸せ今晩の会食の席で、話題になったこと。
不思議に自分のココロと照らし合わせると
まるで無意識に自分がテーマとしていた話題でもあった。
・・・まるで
そのことについて、じっくり考えてみなさい、という
神様からのメッセージような気も、した。

ずいぶん前から梅屋庄吉関連の史料をお見せするお約束をしていながら
長崎に長いこと史料が行ってしまっていて
お約束を果たせずにいた方々がいた。
今日は
その方々にお約束どおり史料をお見せすることが出来た。
そのあと、場所を移動して
夕食をともにさせていただいた。
その席で
2つのことが、話題になった。
1つは
<与えることが出来る、幸せ>について。
そしてもう1つは
<Face to Faceのコミュニケーションの大切さ>について。

”梅屋庄吉さんという人は、一言でいうと
与える喜びを知っていた人だね。
与えることの出来る、幸せを感じていた人だね。” とある方がおっしゃった。
見返りもなく
ただひたすらに与え続けることに幸せを感じる、喜びを感じる・・・
これはたったひとつだけ
私にもわかる経験が、ある。
母親になった時のことである。
母体はボロボロなのに、赤ちゃんの顔を見ているだけで幸せで
すべての時間も、自分自身のカラダの栄養も、
おしみなく赤ちゃんに与えいることこそが、喜びだった。
・・・でもそのうち、人、というのはやはり
<見返り>なるものを求めはじめる。
いい学校に入ってほしい、
親孝行してほしい。。。。等々。
親子でもこんな感じなのに
他人に対して
ただ、与えるだけ・・・そのことに幸せや喜びを感じるというのは
やはり
なかなか、凡人には難しい。。。


私がたまに悩むと話を聞いてくださる方がいる。
アイルランド音楽の演奏家、モリヤス氏。
モリヤス氏から<宇宙的恋愛>というタイトルで
返信をいただいたことが、ある。
その内容もやはり
(宇宙的)恋愛とは
相手からの見返りを求めることなどなく
おしみなく自分の愛を与えることが出来ることを、幸せと思う。。。。
というような内容で
私は
”私は宇宙人ぢゃないから、無理。
” と返信したことが、あったっけ。。。与えることが出来る幸せ・・・
それもひと時のことではなく
相手に冷たくされても、
相手に知らんぷりされても、
あるいは
相手に裏切られることがあっても、それでもなお、
ただ愛を与えることが出来ることを
幸せだと思える。。。。

これって、やはり、なかなかたどり着くことの出来ない
大きなテーマ、であるような気がした。
もう一つの<Face to Faceのコミュニケーションの大切さ>
のお話は
次のブログで
。。。。*このブログの桜の写真は今年撮影したものです
FLOWERS 2012.1.9























My Birthday 2011.1.9
ような気が、している。

、と考えていた。
。
)貸切でやりましょうよ、

”
でもあった。























>。。。。





>












。

にのって、アイリッシュダンスをご披露してくださり。。。







ももちろん、堪能!




や



Hello Again

















幸せな、Pizzeria















、となっていた私の
、
Happy-san's Birthday 2011

の神社めぐり&温泉に行っていた。
の祝福が待ち受けていた。








>
では
の中で、練習中。



願い事が叶うゲーム


願い事が叶うゲーム

)

うふふ。







ちょっぴり早めの、Birthday
のまま、2010年を迎えていて






な、日々。









Happy Christmas



























