Happy-sanになろう!

見つけた幸せ、感じた幸せ、伝えたい幸せ・・・。Happy-sanな日々をご紹介するブログ。旅のお話もいっぱい♪

Face to Faceのコミュニケーションの大切さ

2012年04月16日 | 波動をあげよう!
Face to Faceのコミュニケーションの大切さ




もうずいぶん前にご退職された外務省の方が

”最近、用事で役所に行くと、
 事務所がし〜んと静まりかえっているんだよ。
 みんな、パソコンに向かっていて。。。

 お昼休みなんかもお弁当売り場が大行列で、
 みんな弁当買って、パソコンの前で食べる。

 昔は定時で切り上げて、飲みながら
 意見を戦わせたり、記者仲間と色々な話をする。。。
 ところが、最近は、夜遅くまでパソコンに向かっていて
 飲みに行こう、というような感じがないんだよね。”


と。


そして、同席していた日本を代表する企業のCEOの方も

”だって、隣の人や目の前にいる人に対しても
 メールで話しかけているのが普通ですよ。”と。



私も電話よりメール派、なので
多少苦笑いもありながらも、その会話を聞いていた。







そこで次に

メールでのコミュニケーションが良い場合と
メールでのコミュニケーションによって生ずるさまざまな<ズレ>が話題に。


Face to Faceでのコミュニケーションだったら
相手の顔を観て
言葉を選んだり、フォローしたり、出来るが
メールはそういうわけにはいかない。

儀礼的すぎると親しみを感じないし、
逆に感情的になってメールを書いてしまうと
相手にとっては
目の前で言われるよりも不快感や疑惑が倍増し
修復するのにとても時間を要することになってしまう、のだとか。


たしかに。。。。


最近私もFaceBook愛用者で
コミュニケーションはこういったツールがメインになりつつある。。。

FaceBook上でお互いの情報を共有しているので
実際にお会いしてみると
ぐっと距離が近く、旧知の仲、みたいな感じすら初対面で感じることが
出来るのは
FaceBookのなせる、すご技だと思う。


でも、
本当に会いたいな。。。
会ってお話したいな。。。

と思った相手でも

相手がパソコン上でのやりとりで十分満足している、という場合・・・


わざわざ時間を作って、
ちょっと緊張もして、
もしかしたら少しお金もかかるかもしれないし、
ちょっと面倒くさい。。。


いいぢゃん、
こうしてメールで会話できるし
相手の状況を把握できるんだから。。。。


という理由で、<Face to Face>にたどり着けない。









でも、Face to Faceでなければ伝わらないことって、たくさん、ある。


ある会社の方は
とてもお互いが実際に会って話をする、ということを重要視しているので
出張費はケチるな、と言ってるんですよ、と。


相手が
目の前にいない自分ひとりの世界で
画面に向かって言葉を発するのと


相手がどんな表情をしているのか、
相手がどんな気分でいるのか、
相手のことを
考えたり、思いやったり、

自分の言葉や態度によってのリアクションに
喜んだり
驚いたり
怒ったり
ムカついたり。。。。いろいろな思いをしながらも

お互いが少しづつ理解しあい、一歩前に踏み出していく。。。。


従来のこうした人間関係とは別の、
バーチャルな世界での人間関係で満足しはじめてしまう人がいる一方で

これが原因というわけではないが

<うつ病>もすごい勢いで増えているのだという。








私もメールやFaceBookの愛用者ではあるけれど

本当に会いたい人には
会いに行く。


本当に必要だと感じたら
きちんとつかまえに行く。


パソコンの中だけの会話を飛び越えて

人と人が出会わなければ、

今までの長い歴史の中で繰り返してきた
人、として、
誰かと会い向かう、コミュニケーションをする、という遺伝子が
うまく機能しなくなって行ってしまうような気も、する。



こういう時代だからこそ、

きちんと、

人と出会い、
人に会いにいこう。。。。

そして、
美味しいものを一緒に食べたり、
美しい音楽や映画を観て、一緒にその感動をわかちあったり、
せっかくあふれてくる言葉を
相手になげかけてみよう。


そして、
相手から投げかけられる言葉たちを
全身で受け取ってみようぢゃ、ありませんか。。。。





*桜はこの4月に撮影したものたちです。


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与えることが出来る、という幸せ

2012年04月16日 | 見つけたHappyたち
与えることが出来る、という幸せ



今晩の会食の席で、話題になったこと。

不思議に自分のココロと照らし合わせると
まるで無意識に自分がテーマとしていた話題でもあった。

・・・まるで
そのことについて、じっくり考えてみなさい、という
神様からのメッセージような気も、した。







ずいぶん前から梅屋庄吉関連の史料をお見せするお約束をしていながら
長崎に長いこと史料が行ってしまっていて
お約束を果たせずにいた方々がいた。
今日は
その方々にお約束どおり史料をお見せすることが出来た。


そのあと、場所を移動して
夕食をともにさせていただいた。


その席で
2つのことが、話題になった。


1つは
<与えることが出来る、幸せ>について。


そしてもう1つは
<Face to Faceのコミュニケーションの大切さ>について。







”梅屋庄吉さんという人は、一言でいうと
 与える喜びを知っていた人だね。
 与えることの出来る、幸せを感じていた人だね。” とある方がおっしゃった。


見返りもなく
ただひたすらに与え続けることに幸せを感じる、喜びを感じる・・・

これはたったひとつだけ
私にもわかる経験が、ある。


母親になった時のことである。

母体はボロボロなのに、赤ちゃんの顔を見ているだけで幸せで
すべての時間も、自分自身のカラダの栄養も、
おしみなく赤ちゃんに与えいることこそが、喜びだった。


・・・でもそのうち、人、というのはやはり
<見返り>なるものを求めはじめる。

いい学校に入ってほしい、
親孝行してほしい。。。。等々。


親子でもこんな感じなのに
他人に対して
ただ、与えるだけ・・・そのことに幸せや喜びを感じるというのは
やはり
なかなか、凡人には難しい。。。







私がたまに悩むと話を聞いてくださる方がいる。

アイルランド音楽の演奏家、モリヤス氏。

モリヤス氏から<宇宙的恋愛>というタイトルで
返信をいただいたことが、ある。


その内容もやはり
(宇宙的)恋愛とは
相手からの見返りを求めることなどなく
おしみなく自分の愛を与えることが出来ることを、幸せと思う。。。。


というような内容で
私は

”私は宇宙人ぢゃないから、無理。” と返信したことが、あったっけ。。。



与えることが出来る幸せ・・・



それもひと時のことではなく

相手に冷たくされても、
相手に知らんぷりされても、
あるいは
相手に裏切られることがあっても、それでもなお、

ただ愛を与えることが出来ることを
幸せだと思える。。。。


これって、やはり、なかなかたどり着くことの出来ない
大きなテーマ、であるような気がした。



もう一つの<Face to Faceのコミュニケーションの大切さ>
のお話は
次のブログで。。。。



*このブログの桜の写真は今年撮影したものです
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東北のこどもたちと北京へ〜その9 月譚中学との交流

2012年04月13日 | 日中友好
東北のこどもたちと北京へ〜その9 月譚中学との交流




北京最終日の朝。

宿舎の窓から朝焼けを撮影した。





宿舎のあった中日青年交流中心で全員で記念撮影。




その後、
昨夜から交流を始めている月譚中学へと向かった。





東北のこどもたちも
月譚中学のこどもたちも全員校庭で整列。

まずは記念式典から。






私は来賓席で座っていられたのだが
寒い中こどもたちは長時間、よく頑張りました!!




校長先生のご挨拶。





続いて、村山元総理のご挨拶。






月譚中学のこども代表から。またまた中国語・日本語2か国語でのスピーチ!




東北代表は
私たちも仲良くなった岩手チームから!







被災地の様子をやはり
こどもの言葉で伝えられると
本人たちもいろいろな想いが沸いてくるのだろうか、うつむいて聞いていた。






お互いにメッセージのかけあいをしたり、




応援メッセージを大きな幕に書いたりして、式典終了。




月譚中学の校庭にて記念撮影






この後、夕方まで
東北のこどもたちはこの月譚中学で
卓球をしたり、
ディスカッションみたいなことをしたり、食事をともにしたり、、、と
さまざまな交流プログラムを行う。






村山元総理とお孫さん、私と息子は
ここ月譚中学で皆さんとお別れ。
日程の都合上、東京に戻らなければならないからだ。


皆さんと別れた後、
北京市内の個人所有の不思議な博物館に案内され、
コレクションを拝見した後、昼食をとった。










<石>の美術品コレクターの博物館なので
食卓も大理石、箸置きなども豪華!!







まずフルーツからいただくのが
健康志向で最近の流行だそう。。。




















宋慶齢基金会の李寧秘書長から
私や息子にまでお土産を頂戴した。





村山元総理から
再び、宋慶齢基金会の李寧秘書長に<書>が贈られた。







やはり、中国の方とのお付き合いの中で
<書>は大切だな、と今回の旅でもつくづく感じた。

ちゃんとお稽古しなくては。。。



素敵な中国茶を楽しむテーブルも・・・




最後に記念撮影。




この後、北京空港へ。

東京に帰る時は息子も私たちと同行が許され
VIPルームでくつろぐ息子。。。





こうして
3泊4日の東北のこどもたちとの北京の旅が終わった。


素晴らしいプログラムを用意してくださった
中国宋慶齢基金会に改めて敬意を表し、感謝するとともに
日本サイドで準備などに奔走していただいた
日中友好協会の皆様にも感謝の気持ちでいっぱいだ。


日本では
中国との間の問題が多く報道されるので
国民感情が一向に上向かない。


色々な問題はどちらの国にもある。と私は思っている。

でもこうした
国境を越えた、素晴らしい取り組みもしていることも、確かだ。

残念なことに
このような素晴らしい取り組みは
インターネットで一部報じられただけで
(中国ではテレビなどでだいぶ報じられたようですが。)
日本では
報道されていない。


実際に自分たちの目で、足で、カラダで感じた
東北のこどもたちが
これから、彼らの言葉で
この体験を広く伝えていくのだろう・・・。



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東北のこどもたちと北京へ〜その8 北京ダックの夕食会

2012年04月13日 | 日中友好
東北のこどもたちと北京へ〜その8 北京ダックの夕食会







銀座や新宿(にもある?)北京ダックの有名店が
夕食会場。




かなりリアリティーある調理場がガラス越にみえる






このレストランの大ホールで
宋慶齢基金会主催の歓迎夕食会。




東北のこどもたちだけではなく
北京で第1外国語を日本語として教育している
月譚中学の学生100名近くも合流。
同じテーブルに日本人・中国人半々で座り
交流プログラムもスタート。








まずは宋慶齢基金会の董副主席からお話。




続いて村山元首相。




続いて、月譚中学の学生代表。



この学生さん、超優秀で
中国と日本語、2か国語でのスピーチ。
しかも中国の方にありがちなイントネーションではなく
完璧な日本語!!!


日本も地域を限定しても良いから(たとえば長崎とか)

中学生から英語と中国語、どちらかを
第1外国語として選択できる、というような学校を作らないと
ほんとぉに、これからのアジア人として
太刀打ちできないと・・・改めて感じた。





東北のこどもたちの代表。
被災当時の苦しい状況を詳しく語ってくれました



そして、なぜかいきなり私にも順番がまわってきて。。。
(なんの準備もしてないぞ






ここは辛亥革命100周年の一連の行事や講演会で
人前慣れした度胸で何とかスピーチを終えた。





中学生にもわかるように丁寧に話したら
息子から

”話、なげーよ。”とクレームが・・・。



そして、
ステージ上にはずらりとシェフが並び。。。





北京ダックをさばきだした。。。





それを女性スタッフが手際よく分けて。。。






美味しそうな北京ダックがテーブルに。








北京ダックをいただきながら、
月譚中学の学生の流暢な日本語・中国語の司会ではじまった
<学生 演芸大会>









こういうの、中国のこどもたち、上手ですよね。。。





そして、岩手チームは
EXILEのChouChou Trainを踊りと歌で披露。





茨城チームは<よさこい>。
会場はソーラン節で盛り上がった





宮城チームは歌の披露




元気な女子高校生たちはAKB48で応戦!




中国サイドは技術で魅せます!



途中、プロによる<変面>やマジックショーも用意された。






すごいシャッターチャンス!なかなか変面チェンジの瞬間って撮れないのですよ!!



フィナーレは全員で舞台にあがり。。。



記念撮影





村山元総理から宋慶齢基金会 董女史には<書>が贈られた




こうして、最高に楽しい
北京の月譚中学と東北のこどもたちの夕食会が終わった。。。


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東北のこどもたちと北京へ〜その7 鳥の巣と熊猫

2012年04月13日 | 日中友好
東北のこどもたちと北京へ〜その7 鳥の巣と熊猫



万里の長城を後にして
市内へ戻り、北京オリンピックのメインスタジアムとなった
鳥の巣の近くで記念撮影をした。











やはり一緒にご飯を食べたりして仲良くなった
岩手から来ていたお姉ちゃまたちと一緒に。。。







変なおもちゃが販売されていて、
これ、地面を這うようにして動く兵隊のおもちゃ。
かなり、ウケた。







鳥の巣の見学のあとは
東北のこどもたちがリクエストしていた<熊猫パンダ>を観に北京動物園へ。



熊猫館の入り口


やはり中国だけあって
パンダも結構たくさんいて、行列などすることもなく
間近でパンダさんを堪能。










この姿、癒される。。。。







息子はかなりロックンロールな感じの珍しい鳥をみつけ、大喜び。


南アフリカの方で生息しているという紫暁胸鳥?
(こんな感じの名前だったと思うけど順番違うかも)






北京ではもう桜も咲いていた。










東北のこどもたちはやはりパンダを観ただけではなく
お土産にこんな可愛いぬいぐるみをGetしていた。






熊猫(パンダ)との時間を楽しんだ私たち一向は
夕食会場へと向かった。

この夕食から
北京にある日本語を第1外国語として教育をしている
月譚中学の学生との交流が、はじまる。



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東北のこどもたちと北京へ〜その6 万里の長城

2012年04月13日 | 日中友好
東北のこどもたちと北京へ〜その6 万里の長城







朝早く宿舎を出発。

高速に乗り、万里の長城へ向かった。


私がここを訪れるのは2回目。
なんと
大学2年の時以来だから・・・・すごいひさしぶり。


実は一度上ったことがあるので
今回は遠慮しようと思ったが
息子たちに
”一緒に登ろうぜ”と背中を押され
この年で再度トライすることに。






だんだん近づくと、車窓にも
その険しい姿が見られるようになる。
こどもたちも、
テレビなどで知っているとはいえ、
目の前に飛び込んできたその姿に圧倒されていた。




この門をくぐって・・・


右側がゆるやかな坂。
左側が急な坂。


初めての経験の人が圧倒数なので
右側を行くように、との指示が出される。














私としてはめずらしく
運動靴を履いて、万全の準備をしたが
階段幅が大きかったり小さかったり、勾配もさまざまで
結構きつい。。。














しかし、中国の少数民族の人だろうか
かなりお年を召された方々は
こんな恰好で上っていたみたい。。。

おそるべし!



だいぶ上まで来ました!















この後ろの赤い門のところがこのコースのゴール!!!








一緒にご飯を食べたり、バスが一緒で
仲良くなったお兄ちゃまたちと
万里の長城、をバックに・・・







息子は北京の空気があまりに・・・・なので
万里の長城の空気がすがすがしい、と大喜び。

すごく充実感があったようで
万里の長城が一番北京ではいいな!と。

今度来る時は急勾配の左側のルートにチャレンジするのだとか。







近くの土産店で
お気に入りの万里の長城のTシャツと水晶を購入。






私としては、たぶん、これが
人生最後の万里の長城。


でもお天気も良く、
みんなと声をかけあって昇れたことは一生の思い出。


(・・・翌日から足の筋肉痛により、歩行困難になったけれど。。。)





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東北のこどもたちと北京へ〜その5 雑技団Night

2012年04月13日 | 日中友好
東北のこどもたちと北京へ〜その5 雑技団Night



上海では11月に雑技団を見学したが
北京でも今回、雑技団を観ることが出来た。

これはお楽しみ行事なので、
こどもたちもリラックス。

隣に座った中学生が
ロビーで仕入れたポップコーンを
”食べきれんから一緒に食べて。”と私にも分けてくれた。




舞台にはちゃんと私たちの団体を歓迎する字幕が。。。
こういうの、中国は派手にやるのですよね。。。。



いくつかたまげた技の写真を撮りましたので
ご覧あれ。











この人、マジやばい。もうひとりの男性とこんなポーズをとりながら
階段を下りたり昇ったり。。。。
観ているこちらが冷や汗。。。





おいおい、アタマの上だぞ。。。




最強の自転車オネエさまたち








おお〜





実はこの地球儀みたいな中で
バイクがすごい勢いで走り回る。

最初1台だったのが、どんどん増えていき・・・
5台で全速力でブンブンこの地球儀みたいなの中でバイクを飛ばす。

一歩間違えたら、大惨事となるだけに
私はもぉ、きゃーきゃー言いながら観ていた。。。




最強のバイクに乗っていた男性たち。すごすぎるっ




個人的感想としては
上海で観た雑技団よりさらにこちらの方が
見応えがあり、
ハラハラドキドキ・・・
本当に楽しかった!



やっとこれで初日のプログラム終了。。。
長い1日、お疲れさま。


翌日は<万里の長城!>



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東北のこどもたちと北京へ〜その4 宋慶齢故居での植樹

2012年04月13日 | 日中友好
東北のこどもたちと北京へ〜その4 宋慶齢故居での植樹




市内から少し離れた后海という閑静な場所に
晩年 宋慶齢女史が暮らしていた故居と記念館がある。

私の祖母も生前、宋慶齢女史が暮らしていたこの場所を訪れているし、
2010年9月にはこの場所で
<孫文・宋慶齢と梅屋庄吉展>が開催された。


今回の東北のこどもたち100名の招待は
この宋慶齢基金会によって実現、運営された。
宋慶齢女史は言わずもがな、
宋家の三姉妹の次女であり、
孫文の妻となり、
中華人民共和国副主席から名誉主席になられた方だ。

児童福祉に力を注いでいたので
その精神を受けついだ基金会は国際的に児童福祉に関することや
青年交流を行う組織である。




宋慶齢基金会主席の胡啓立先生と村山富市先生



宋慶齢基金会の幹部の皆様




恒例のお土産交換








私も手書きの桜の絵の扇を胡啓立主席にお渡しした



胡主席からはパンダの屏風をいただいた




幹部メンバーでの記念撮影








この日、
東北のこどもたちに加え、
四川大地震で親を亡くした子供たちもここに呼ばれていて
みんなで
桜の木やカイドウの木を植えた。


私も会見の後
植樹に参加。


















こどもたちと胡主席と村山元首相










四川大地震で親を失ったこどもたちの手を
村山元首相がつないで、広い園内を散歩、

胡主席は東北のこどもたちに話しかけた。










こうして
宋慶齢故居の広い庭に
沢山の木が植えられた。


こどもが大好きだった宋慶齢女史も
天国で今日の日のことを喜んでご覧になっていらっしゃるだろう。



この後、
市内に戻り、簡単な夕食を済ませた後、
雑技団を観る、という夜までびっしりの、スケジュール
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東北のこどもたちと一緒に北京へ〜その3 天安門広場から故宮散策

2012年04月12日 | 日中友好
東北のこどもたちと一緒に北京へ〜その3 天安門広場から故宮散策








お天気にも恵まれ、
人民大会堂の目の前の天安門広場で記念撮影。








緊張もほぐれてきて
同行した高校生たちと会話がはずむようになってきた。














たくさんの人が観光に訪れる故宮の入り口










歩きながら話をすると
彼らは見た感じはどこにでもいる中学生・高校生なのだが

両親を地震や津波で亡くした、
家が津波で流されてしまった、

というあまりにもむごい、つらい経験をしたこどもばかり・・・・だった。


私は
言葉を失い、涙がこみあげてきそうになった。

彼らの背をさすって

”強いね。”と言うと

”はい、頑張るしかないっす。”と。












故宮は私が北京で一番好きな場所。

























朝早くから
人民大会堂での会見、
そのあと
広大な敷地の故宮を散策。


お腹すいたぁ〜という声もちらほら。。。。

ランチの後、
午後は宋慶齢故居へ向かった。








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東北のこどもたちと一緒に北京へ〜その2 人民大会堂

2012年04月12日 | 日中友好
東北のこどもたちと一緒に北京へ〜その2 人民大会堂









実は私が今まで数回
人民大会堂でのレセプションや大会に参加した際には
<手ぶら>が原則だった。

カメラや携帯の持ち込み、ハンドバックもNGだった。


・・・のに、今回は
超特別な待遇で、こどもたちもカメラや携帯の持ち込みOKであった。



なので、私もやっと人民大会堂で写真撮影することが出来た。






最初に
村山冨市元総理と日中友好協会の事務局長と私、代表の引率の先生方は
国務委員の劉女史との会見を行った。




村山元総理、お孫さんと私




人民大会堂の天井













息子も人民大会堂デビュー! 若干15歳は早い。
私は大学2年の時だった。




上海の間




劉女史と村山先生、会見の後の
恒例、お土産交換。







その後、劉女史は
こどもたちにお会いになり、中国の要人としては
普通では考えられないほど長時間にわたり
こどもたちに向けてスピーチをされ、
一緒に記念撮影。






こどもたちは緊張もあり
また長時間立っていたこともあり
若干疲れていたようだが

なかなか入ることの出来ない人民大会堂で
中国の要人と写真を撮り、
お話を直接伺う、という貴重な経験は
大人になっても忘れないだろうし、
そのことの持つ大きな意味を後にかみしめることになると思う。






人民大会堂での行事が無事終了。
今度は天安門広場〜紫禁城へ。。。。




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東北のこどもたちと一緒に北京へ〜その1  歓迎式典

2012年04月12日 | 日中友好
東北のこどもたちと一緒に北京へ〜その1 歓迎式典



2012年3月28日〜31日まで
東北で被災した4県のこどもたち(中学・高校生)と一緒に北京に行った。


これは中国宋慶齢基金会の招待であった。
私は中国宋慶齢基金会の理事であるので
この企画に賛同し、同年齢の息子とともにボランティアとして参加した。


出発に先立ち、前日の3月27日 成田のホテルで壮行会が行われた。




程永華中国大使のごあいさつ




村山富市元総理のごあいさつ




子供たちの代表が元気良く出発のあいさつを。。。



今回の団長を務めるのは
88歳になられる村山冨市元総理。

仙人のような長いまゆげは
中国でも人気。

今回はお孫さんとご一緒の参加。



翌朝、JALにて北京へ。


北京の空港ではにぎやかな出迎えと
歓迎式典が行われた。







私も大きな花束をいただき、
いつも北京でお会いする宋慶齢基金会の皆様との再会。







実はこの後、アクシデントが。。。

私はVIP通関でさっさとホテルへ向かったのだが
息子だけ空港に取り残され、
なんと3時間後、やっとホテルで再会。

まさか親子で一緒に北京に来て
別行動になるとは思わず、しばしパニック。

が、当の本人(息子)はわりとケロっとしていて
海外ではいろんなコトが起きる、といういい勉強になった様子。


まずは宿泊先である<21世紀飯店>も敷地内にある
中日青年交流センターを見学。











敷地内には日本と中国のさまざまな青年交流が行われる施設、
プール、テニスコート、料理教室の調理室や茶室などがあった。


やはり、食事の席も私と息子は別々で、
息子は茨城から来た高校生たちと一緒。









宋慶齢基金会の李寧秘書長とは古くからの友人。
今回のプロジェクトでは中心的な役割をされていた。






初日はこうして
空港で親子離れ離れになる、というアクシデントがあったものの
息子の成長に助けられ、
大きなトラブルにはならずに終わった。


参加した子供たちはまだ初日とあって
若干緊張気味。


2日目以降、
少しづつ、緊張もとれ
私も彼らと色々な話をしながら
スケジュールをこなした。



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今、を生きるということ

2012年04月02日 | memory
今、を生きるということ



たった今、メールである方がお亡くなりになられた、というお知らせをいただいた。

その方は
昨年、ちょうど一年くらい前に
その方が主催する会で私に<孫文と梅屋庄吉>の講演の機会を下さった方だった。


そんなにご高齢でもなく、
講演会の後の飲み会でも楽しそうにお酒を召し上がれていて、
一緒に
杭州を旅しましょう、と約束もしていた。
7月にメールでお誘いがあった時に、私は別の出張が入っていてご一緒出来なかった。
その時に<また、今度。>という言葉を使った。

でも、その<また、今度。>は来なかった。




<いつか出来たらいいね。>
<いつか行けたらいいね。>
<いつか行ってみたいね。>

その、
あいまいな<いつか>というのは
来ないかもしれない。

だから、私は
可能な限り、行ってみたいところに行ってみる。
可能な限り、会ってみたい人には会いに行ってみる。

そして、そのあいまいな<いつか>という言葉は、
あまり
好きではない。











毎日、忙しく過ごしているうちに時間は過ぎ
一年はあっという間、という言葉を良く口にする、あるいは
耳にするけれど

<時>を生きることについて
実は本当に
すごい偶然の重なりで、ありがたいことだということを
感じながら
大切にしたいと改めて思った。。。


私は特に曽祖父 梅屋庄吉関連の活動をしていて
さまざまなプロジェクトが持ち上がり、
実際に成ったものと、
成らなかった幾つかのものがあった。


成ったプロジェクトに関して言えば

その時、その人が、そこにいなければ
成らなかった。。。ということである。

つまり、いつでも、誰でも、出来ることではなく
すごい偶然で引き合わされたメンバーが
そこに思いを同じく出来てはじめて、
形になるのであって、

そこにその誰かが欠けても、形にはならなかったとつくづく思う。


だから、
同じ思いを抱いて、引き寄せられた目の前に現れた人を大切にしたい、と思うので、ある。


その人が
いつまでも、目の前にいるわけではない。
今、
大切にしなければ・・・。


だから、
私はそのあいまいな<いつか>という言葉が
あまり
好きではない。









桜の花の季節は
母が天国に行った季節でも、ある。


母は私にとって

この世で一番、ココロも姿も美しい人であった。

ココロが美しすぎて
にごり水を流すことが出来ず、自分の中にため込んでしまって
リンパの癌になってしまった。

私が子供のころから
母が元気でいた姿はあまり見たことが無い。

いつも身体が弱く、
どこか具合が悪かった。
でも、
いつもとても美しかった。


身体が弱い母は
それゆえにあまり、旅をしなかった。

父は昔の日本の男性なので
自分は世界中の美味しいものを食べて、旅行をしているのに
母を連れていくことはなかった。


母の晩年、
私は小さい息子と母と3人で良く旅をした。
本当はもっともっと
色々なところに連れて行ってあげたかった。

母は
<またいつか、行けるといいね。>

と言っていた。

でも、もう、その<いつか>は無い。


だから私はそのあいまいな<いつか>という言葉は
あまり
好きではない。








今を生きる、というのは
人によっては難しい、と感じることもあるだろう。


世間体とか、
家族とか、
まわりを気にして

自分が
<今>大切にしたい人や
<今>行きたい場所や
<今>やりたいことを選択しない・・・ことのほうが

正しい、

とされている、あるいは思いこんでいるから。



自分が自信を持って
<今>自分が求めているものに正直に生きること。

そうしているうちに
周りの人や世間の言うことなんて
そのうち消えていく。

天国に行った時、
悔いるのは

世間体を気にして
本当に自分が求めていたことをしなかったことだと思う。


ああ、世間様に逆らわずに
周りに波風立てずに
自分の大切にしたい人、自分の大切にしたいものを選ばなくて良かった。。。。とは

決して思わないと思う。




私も母が生きている時には
周りの人の言うこと、
とりわけ家のこととか、考えすぎて選ばなかった、選べなかったことが、ある。


母の死が教えてくれたもののひとつに、

<今>はもうやってこない、ということが、ある。





それからは、

たとえば、周りの人に何か言われても
<今>行きたいところに行ける範囲で行き、
<今>会いたい人に可能な限り会いに行き、

せっかくの大切な時間は
好きな人と過ごしたいと思うようになった。


忙しくても、
本当に会いたい人とは何とかして会う時間は作れるということも
わかった。


だから私は
そのあいまいな<いつか>という言葉が
あまり
好きではない。



・・・突然の、訃報のメールと
咲き始めた桜が母を思い出させて

<今>は
今しかない、ということをあらためて感じた、
午後の、独り言。






 
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長崎歴史文化博物館<孫文・梅屋庄吉と長崎展>フィナーレ!

2012年03月27日 | 日中友好
長崎歴史文化博物館<孫文と梅屋庄吉展>フィナーレ!




3月25日。

いよいよ半年間にわたって開催されていた
<孫文・梅屋庄吉と長崎>展がこの日、最終日を迎えた。


長崎市内を走るタクシーの窓には
ほとんどこのステッカーが貼られていたので
今度から
もぉこういうものが消えてしまうのはさびしい気がする。。。




タクシーに貼られている展示会のステッカー




最終日、
展示会場はもう1回、観ておきたいという方も訪れてくださっていた。








博物館の皆様、お世話になりました!!!





展示会には
私の家で保管されている史料のほか、
北京・上海・武漢などからお借りしている史料もあり
このような大規模の展示会はおそらくもう開催することはできないかも、しれない。




この展示会のために奔走してくださった
元長崎県参与の藤氏も最終日、駆けつけてくださった。


梅屋庄吉が80年前中国に4体送った銅像の
完全複製の前で多くの方が記念撮影をした。

最後に私も藤氏と。。。。



400名以上、国内外からVIPがかけつけた
開幕式であったが、
最終日はとても静かに幕を閉じた。


長崎歴史文化博物館の関係者、
湖北省武漢からいらした中国の関係者、
長崎県の孫文・梅屋プロジェクトの皆様と記念撮影。





そして、皆様から花束をいただき、感動。。。。






その後、
鍛冶屋町の炉ばた屋ゑびすにて
関係者の皆様が集まってくださり、慰労会を開いてくださった。








・・・当然のことながら、盛り上がり、飲みすぎて
酔っぱらいムード。。。

私が長崎市内にワンルームマンションを買うために
情報を集めよう!みたいな話題で・・・そろそろお開きに。


翌、26日の夜には
日本経済新聞社の杉田会長(長崎・大村ご出身)が
展示会が終了したので、
お疲れさま会を・・・ということで席を設けてくださった。



料亭 春海



静かな日本家屋。 ここを利用させていただくのも、はじめて。


本当にお世話になった
中村知事、李総領事、大堀館長さまと
杉田会長との会食の席は若輩の私にとって
大変貴重でありがたい機会。


冒頭、李総領事から

孫文と梅屋のこの歴史は
長崎の宝であると同時に
日本と中国にとっても、<宝物>である・・・とおっしゃっていただいた。


李総領事は
中国からVIPがいらっしゃると必ず博物館に出向き、
自ら1時間以上時間を割いて
館内の展示物を案内してくださった。 

中国からの銅像寄贈に関しても
さまざまな手続き上の難しい問題も積極的に関わって
スムーズに流れるようにしてくださった。

大変にお世話になりました。 非常感謝




長崎県中村知事、中華人民共和国駐長崎総領事 李先生、
日本経済新聞社 杉田会長さま、長崎歴史文化博物館 大堀館長さまと。




展示会の来場者数そのものは6万人弱。
10万に満たなかった、ということで
人数に関しては、少なかったかもしれないが

その間、展示会に足を運んだ方々は
日本を代表する政治家、経済界の皆様、
中国各地のVIP,歴史研究家、マスメディアの方々。。。。

ということを考えると

どれだけ重要な展示会であったか、ということがわかる。


2010年の今頃、
長崎で<梅屋庄吉>の名前を知っている人は
ほんの、数名であったと思う。

実際、県の関係者もまったく知らなかった、というのが実情である。


しかし、この2年間の取り組みで
長崎県全体のおよそ6〜70%の方々が
梅屋庄吉のことを知るようになったという。


李総領事は続けられた。。。。


”これからです。。。”


そう、
長崎での展示会は終了したけれど
これから
<孫文・梅屋>の絆がこれからのアジアにとって宝物である、ということが
もっと多くの
日本人、中国人に伝わるようになるのは。。。。



本当にこの展示会に関して
多くの方々にお世話になったことに対して

適当な感謝の言葉がみつからない。。。





でもやはり、この言葉を。


ありがとうございました。。。


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キャリー・ヤウご夫妻 長崎訪問

2012年03月27日 | 日中友好
キャリー・ヤウご夫妻 長崎訪問



長崎での展示会がいよいよ3月25日に閉幕、それまでに。。。ということで
ギリギリのタイミング、22日に
香港からキャリー・ヤウご夫妻が長崎入りされた。


キャリーは香港政府で重要ポストを務めた元高官。
ご主人のフランシスは
孫文の香港時代の親友、ヤウリーのひ孫。



キャリー・ヤウご夫妻




キャリーが香港政府の高官でいらっしゃった2008年当時、
美術館視察で日本に公的な訪問をされた時に
松本楼でVIPとのランチが設定され、
そこで初めて出会った。


同じ孫文の友人、という先祖をもつ
キャリーと私はその時からの友人。 

長崎での展示会に役立つ情報もキャリーは提供してくださったし、
上海万博開幕式にもわざわざいらしてくださり
スピーチもしてくださった。

そして今回、わざわざ
展示会を観に来るために、遠く香港から長崎に。。。。


なんと濃い友情の絆だろう。。(感動)


去年の震災後、とにかく
日本、というとAyanoを一番に思って
心配で心配で、どうして香港に逃げてこないのか、と何度もメールもくださった



今回、私も朝一で東京を発ち、
お昼に長崎駅に到着する二人を駅のホームで出迎えた。


ちゃんぽんと皿うどんのランチを終えた後、
まず、向かったのは

日本二十六聖人殉教地。






神父さまの案内で記念館にある
貴重な隠れキリシタンや
当時の宣教師の手紙などの史料を見せていただいた。










中学・高校時代は毎朝礼拝をしていた環境でもあり、
母はカトリック信者(ちなみに父は日蓮、寺の総代もやっている。バラバラやん)、
ということもあって、キリスト教に関して無知ではないつもり。

天草の隠れキリシタンの子孫、という方にも
お目にかかったことがあるので
非常に興味深い記念館のさまざまな史料だった。





続いて、長崎歴史文化博物館の
<孫文と梅屋庄吉展>を見学。


キャリーはもしかしたら、私より梅屋庄吉について詳しいかもしれない。
香港、マカオ、シンガポールなどで
梅屋情報をみつけると必ず、教えてくださる。







大浦天主堂を見学した後、県庁へ。。。。







中村長崎県知事が香港を訪問された時にも
キャリーの案内で
梅屋庄吉がみよりの無い人のために建てた香港の墓地を
一緒に探してお参りしてくださった、ということがあり
今回のキャリーの長崎入りでは
中村知事もお忙しい中、お時間を作って会談の席を設けてくださった。








キャリーは梅屋や孫文の生きていた頃の香港の写真集を知事に。。。




キャリー・ヤウご夫妻と中村知事と私



県庁の後は、出島へ。。。





FaceBookでお友達でもある馬見塚出島開発室長さまが
出迎えてくださり、出島を案内してくださった。











出島ではチューリップも咲き始めていました。。。




馬見塚さまと記念撮影
FaceBookでお友達の方々と最近こうして
実際にお会いする機会が多い。。。とても嬉しい



そして、福建会館では
長崎華僑の陳東華先生が出迎えてくださり
福建会館の歴史をご説明してくださった。







夕食は<料亭 一力>。





ここに伺うのははじめて。

建物も風情があり、中庭や壁にかかれた絵にも
ココロひかれる。。。







レトロな雰囲気の建物






私たちには椅子席が用意されていた。





ここで、料亭<一力>の卓袱料理をご紹介。















































一気にご紹介しましたが
卓袱料理はお品書きとかなくて、
最初におひれ(お吸い物)をいただいてからは
大皿に盛られた料理を自分の小皿に分けていただくスタイルなので
料理名がはっきりわからない。
で、
卓袱料理、といっても
それぞれの料亭で全然違うものが出てくる。 味も全然違う。


ここ、<料亭 一力>の卓袱料理、
今までいただいた中で一番、美味しかったかも。。。
お品が良いというか
味つけも、盛り付けも。。。。


まぁ、私の場合(レストラン経営者としては失格かもしれませんが)
料理の味が云々よりも
誰と食事をしたか、どんな楽しい時間であったか、によって
美味しさが変わってくる。。。

ので、この日は
本当にキャリーご夫妻と長崎県副知事他関係者の皆様との
会話が最高に楽しかった、ということでも、ある。















夕食の後は稲佐山に夜景を観に。。。






香港ほど派手な夜景ではないけれど
やはり長崎も夜景では世界で指折りの有名な場所。
キャリー・ヤウご夫妻も楽しんでおられました。







こうして、
今回、6か月にわたる長崎歴史文化博物館での展示会開催中、
香港、中国本土、シンガポール・・・
アジアのいろいろなところから
長崎入りされ、展示会をご覧になられた。

しかも、<VIP>ばかり。。。


孫文・梅屋については
まだまだ一般的には関心をよせる人も少ない。
(ので、映画化とかは儲からない、と言われてしまう。。。)

でも、
この近代史のもつ意味がどれほど重要なのか、を知っておられる方々が
わざわざ
長崎に駆けつけておられた、というのも事実。


国境を越えた友情は
今もなお、続いている。。。。

しかもそれは、100年前、自分たちの祖先が
孫文の友人であり
新しいアジアを夢みた同志であった、という深い大切なご縁をつむぎながら。。



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住吉大社の、参拝

2012年03月19日 | 神社めぐり
住吉大社の、参拝



大阪に行ったら、一番に行きたいと思っていた場所。。。
そこは
神社めぐりが大好きな私にとっては<住吉大社>。



平日とあって、境内は人もまばらで
そのせいもあって

空気がしゃん、っと張りつめていて、さらに透明。
気持ちの良い空間が広がる。





反橋。 川端康成が、上るよりもおりる方がこはいものです、と
小説に書いている。

この橋を渡るのは神さまに近づくのに
罪や穢れをはらい清めるため・・・。
この橋が反っているのは地上の人の国と天上の神の国とをつなぐ
架け橋として、<虹>にたとえられていたのだとか。




特徴のある住吉鳥居をくぐり
本殿へと向かう。







実は住吉大社は
もう少し華やかで賑やかな神社だと思っていたが
1800年近い歴史をしっかりと感じる
荘厳な神社だった。。。












本当に澄んだ心で参拝出来た


本殿をお参りした後、ふと
境内の奥のほうにある立派な楠が気になった。












そして、そこに楠珺社が。。。








可愛い招き猫が飾られていたので
商売繁盛の神様なのかな、と思っていたら

宮司さまが話しかけてきてくださった。


住吉大社の境内にある四社巡礼する
初辰詣りのことを教えてくださった。

種貸社→楠珺社→浅沢社→大歳社をお参りするのだそう。
豊かな実りをお祈りするのだとか。


いつか、このお参りをしてみたい、と思った



そして、そこに売っていた
土人形の招き猫を買った。





偶数月には右手を
奇数月には左手を挙げたものを
毎月48体揃うと、満願成就の証として納めて
新たに大きな招福猫と交換してもらうのだそう。



静かな境内をゆっくり歩いて参拝を終えた。


すっきりと
幸せな気持ちに、包まれた参拝だった




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