同タイトル記事の【1】から続き。
もうあれから二週間以上経ったんですね。
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列が形成され始めて大して時間は経たずにドアオープン。
扉を片側しか開けなかったおかげで、「雪崩れ込む」ではなく割とスムーズに室内に入れました。
さて、席を確保に移る。
入り口からそう遠くない4人席のソファに、若いカップルが座っていたので、相席をお願い。
快く受け入れてくれたこのお二人を、以下、A氏とB嬢とします。
20代前半と思われる爽やかさん達でした。
トゥモローランドテラスの1階、4人席の椅子2つ。
ここで我々は半日以上を過ごすことになります。
要は、当日のお昼ご飯を頂いたハンバーガー店です。
確か開園当時からあり、広くて利用しやすいので、
数年TDLへ行っていない方もおわかりになるのでは。
実は、ここで並んでいないと基本的に席には座れず、
しばらく屋外で待機しなければならなかったのです。
(入店規制も行われました。しばらくして、「床でいいなら」と解かれましたが)
タイミングに恵まれたといえるでしょう。
暖房は入っていないものの、雨風と外気から守られているだけで有難いことこの上なし。
「ようやく人心地ついたね」と笑い合う。
落ち着いて見渡すと、各席のテーブルにはまだ食べかけのランチが置かれていました。
マリー・セレスト号を連想しつつ、改めて非日常感に呆然。
手にも体温が戻り、メールで安否確認を本格的にスタート。
父、母、妹、みなピンピンしてるとのこと。
(電話は完全に不通でした)
友達や会社の先輩からも「大丈夫?」とのメールをPCで頂く。
宮崎県の友達(ド天然)へは「今、TDLにいる」と返信したところ、
「えっ、TDLって波に攫われたんじゃないの!?」と返されて大笑い。気持ちが解れました。
(駐車場が液状化した報道などを誤解したものと思われる)
我々の地元は大した被害はない、棚の物が落ちただけ、と私の家族より報告を受けて一安心。
ただ、藤花家は彼女と旦那さんのみの世帯であるため、室内の状態が確認できず。
「火事になっているのでは…!」と心配していましたが、弟さんより「それはない」と返信あり。
現状できる確認が済み、ほっとしたらお腹もすいてきた。
この時点で18時前。
地震発生の時間が時間ですから、直前に食事を摂っている人も、
お土産を既に購入している人も少なかったのです。
昼食が14時だった我々もこれだけ空腹なんだから、
13時前に食べたきりの方は相当キツかったと思います。
できることもないしと、キャストさんを探しに席を立ちました。
元が飲食店なので、白湯か、せめて水をもらえないかと考えたわけです。
レジ付近の女性に声をかけると、果たして白湯は頂けました。
片手で2つ持つつもりで「4つください」と言うと、
厚紙でできた簡易飲料ホルダー(?)をくれました。
それも、コップにはきちんとフタをつけて。
彼女の笑顔はまだしっかり、「TDLにいる」と感じられるものでした。
席に戻ると、ソファ席にもう一組、カップルが増えていました。
AB組より年長のこのお二人をX氏、Y嬢とします。
この時間帯から、店内の人数が席の個数より増え始めました。
4つの白湯を6人で分け、体を温める。
頂いた直後はまだ熱湯だったので、手でくるんで暖を取りました。
この間、バッテリーが十分に有る私の携帯のみ生かし、藤花の携帯は省エネモードへ。
藤花はTwitterを効率よく使用できるスマートフォンを所持していたので、
それは温存すべきと判断。
実は、私は普段から、充電済みの電池を余分に1個持ち歩いているのです。
(仕事の連絡も私用携帯にくるため)
これを習慣にしておいて良かった、と心から思いました。
(充電器より、電池をそのまま持ち歩く方がお勧めです。携帯ショップで1000円前後で買えるはず)
yahooモバイルの画面を何度も何度も更新しました。
「津波で300人死亡」という見出しで、ようやく災害規模の巨大さに気付きました。
今となってはお恥ずかしい話ですが、
このテラスに入った頃はまだ「せっかくの有給でTDLに来たのに…」という気持ちがあったのです。
で、この状態がしばらく続きました。
18時半を過ぎ、どっぷりと日が沈んでしまっても、
「安全確認中だから屋外待機しててね」のアナウンスのまま。
私が20:18に「お腹すいた」とメールを送信していますから、
少なくともこの時まで食料は配布されていない。
しかしこの少し後(21時前後?)、ポップコーンを持ってドアを開ける人を複数目撃し、
藤花が配布場所を探索に向かう。
20分後、ハニーポップコーンとキャラメルなどを抱えて藤花が帰還。
やはり、そこかしこで無料配布を行っていました。
じゃあ、ということで今度は私が出発。日は完全に落ち、気温が更に下がっていました。
営業停止しているショップの前で、キャストさん達が商品であるお菓子を配っている。
一箇所で一人一つ。
ありがたく頂きましたが、
キャンディやキャラメルだけでは…と思い、しょうゆバターポップコーンの列に並ぶ。
これが当然混んでおり、30分程度かかりました。
やっぱりみんな、塩辛い物が食べたかったんですね…。
驚いたことに、菓子配布の列の横で、ショッピングバッグまで配っていました。気配り半端ない。
戻る際、どこかへ向かうコックさんの集団を目撃。
戦利品を持って帰り、じゃあこれを食すために、と再び白湯をもらいに行く。
「キャストから白湯がもらえる」と周知されたのか、今度は列に並ぶ必要がありました。
6つ頂いて席へ戻る。
もぐもぐお菓子を平らげていると、キャストさんより
「スープをお配りしますので、そのままお待ちください!」と。
程なく、温かいコーンポタージュが全員に配られました。これが本当に美味しかった。
また、この間の19時ごろ、JRが当日中の復旧不可能宣言。多くの方が帰宅を諦めました。
19時て。
都営線が夜を徹して復旧し運行したことを考えると…うん、まあ、いつものJRさんですね。
いよいよ冷えてきたので、
またしても室外(これも口コミ)でアルミのブランケットをもらいました。
シート状の物だったので、私は結局使用せず。
例のビニール袋をてるてる坊主のように被っていました。
実はまだ開封してません。
多くの人が使用していたため、金色のアルミが一面に広がり、
かつ独特の摩擦音も響き、異様な光景に。
22時になると疲れが出てきたのか、何とか体勢を整えて眠ろうとする方々も多くいました。
確かこのあたりで、A氏が体調不良を訴え別室へ(詳しいことは不明)。
B嬢より荷物を見ているよう頼まれました。
23時ごろ、ここにきて「夕食」が配られました。
使い捨てのプラ容器に入った炊き込みご飯。ちゃんと温かい状態で手渡してくれました。
↑あまりに空腹だったため、写メを撮る前に食べてしまった…。
豆とひじきの、ほんのり塩味の炊き込みご飯。素朴でとても美味しかったです。
何分23時ですので、就寝していた方や食欲がない方もおり、若干余りがちなくらいでした。
この非常事態、全員に温かい食事を配るのは大変だったことでしょう。本当に有難かったです。
食事が済み、帰宅も諦め、じゃあ頑張って寝ようかという話に。
藤花は椅子を2つ連結して横になり、
3時間前後の仮眠をとれたとのことですが、(椅子は余っていた)
私は姿勢を変えても合計で30分も眠ることができませんでした。
途中からはほぼ諦め、椅子に座って腕組みをしたままぼんやり。
他にも、同じ姿勢で起きている方が何人もいたのが印象的でした。
余震がある度、起きている者同士、目を合わせてむっつり。
それが何度続いても、誰一人笑わない。
体は休んだ方がいいと信号を発しているのに、頭が緊張していてそれを許さない。
早く夜が明けてくれ、とこんなに思ったのは初めてでした。
と、X氏とY嬢が携帯電話のワンセグ画面を観ながら何か話している。
うっすら目を開けて見るともなしに見ていたら(何しろ目の前なので)、Y嬢が泣き崩れました。
えっと思い、慌てて目を閉じて寝たふり。
彼らも大声は上げなかったため、詳しい事情は不明ですが、
どうもY嬢の実家が被害の大きい地区のよう。
「大丈夫、大丈夫だって」とX氏が言いながら慰め、
その後もしばらく状況を二人で確認していたようです。
この時の胸の痛みも忘れられません。
やる事がない私はその後、トイレやら何やらで何度か席を立ちます。
その度に、室内の人数がどんどん増えていきました。
深夜は床で寝る方も多くいたため、まともに歩くことすら困難で、
地震酔いもあり、何度も転びそうになりました。
席に戻ると、入り口のドアにキャストさんがプリントを貼り付けている。
掲示物は、各路線の運行状況でした。
ネットと合わせて調べ、舞浜駅は機能していないが、浦安駅は7時から運行を開始するとのこと。
よし、やるしかないだろう、と浦安駅へ歩いていくことを決意。
5時から6時ごろ、朝食が配られました。
前日の夕食の時間を考えると早めですが、
我々のように出発するゲストがいることを考えてくれたのでしょう。
コーンポタージュと、プレーンのバンズ。パンとスープの組み合わせって偉大だなあ。
そして何がすごいかって、ゴミ袋を持ってキャストさんが回収に来てくれるんですよ。
お願いします、と手渡すと「ご協力ありがとうございますー」と笑顔。
いやいやこちらがありがとうですよ。
6時ごろに空が明るくなり、何だかほっとしました。
食べ終わるとA氏が戻り、荷物を持って別室に移動すると言う。
どうも、今度はB嬢の具合が悪いとか。
しかしA氏が明るい様子だったので、それほど深刻な容態ではないようでした。
「お二人ともお気をつけて」「色々ありがとうございます」とお互い頭を下げ、
ABカップルとお別れ。
どちらかが弱るとどちらかが支える、いいカップルだね、と藤花と頷きあいました。
腕時計が7時を示し、睡眠不足の体に渇を入れて立ち上がる。
寄り添いあって眠るXYカップルに声をかけることはせず、そのまま軽く一礼してお別れ。
一夜を明かしたトゥモローランドテラスのドアを開け、
扉を支えてくれたキャストさんにお礼を言いました。
「寒い!」「やっぱり寒い!!」ともはや笑いながらワールドバザールへ向かう。
←この画像だけ、クリックすると少し大きくなります。
どんよりした水色の空の下、やはりシンデレラ城は美しかった。
本来ならゲストは立ち入れない朝7時。集合写真を撮影している人々もいました。
それにしても、ランド内は整然としていました。
土産店などは商品が崩れてきたりしたのでしょうが、地割れも見当たらず、ゴミも散乱していない。
ワールドバザールをくぐり、門で浦安駅への道を聞く。
もしかしたら…と思い頼んでみたところ、地図まで頂けました。
例の、震災時帰宅支援マップというやつです。
見たところ、これを200部程度は保管してありました。
つくづく恐るべし、オリエンタルランド。凄過ぎてもう言葉がでてこない。
30分程度で着きますよ、と言われ、文系オタの二人は気合を入れて出発。
この時、浦安駅へのバスも出してくれていましたが、
ずいぶん並んでるし私達はまだ歩ける、行こう、とちょっと気張っちゃって徒歩を選択。
…が、これがけっこう甘かった。
あの有名な翡翠色の橋は使用禁止となっており、
下から舞浜駅を目指しましたが、まずまともに歩けない。
「液状化」ってこういうことか!と得心がいきました。言い得て妙な熟語です。
恐ろしかったのが、歩道のコンクリートが割れて砕け、波の形に固まっていたこと。
マンホールは丈夫で動かず、その周りのコンクリが沈下して、まるで滑り台のようでした。
本来3人はゆうに歩ける歩道が、1人が横歩きでやっと通れる、という有様でした。
舞浜駅を通り過ぎ、浦安へ向かう道は非常に静かでした。
おそらく、復旧を信じて舞浜駅へ留まる方が多くいたのではないかと思います。
初めて足を踏み入れましたが、あの辺りは本当にお洒落な一軒屋が多いんですね。
世田谷区に近い雰囲気。
舞浜駅周辺に比べればかなり軽度なものの、コンクリの継ぎ目が歪んでいる箇所は多かったです。
で、そこを犬の散歩で老夫婦などが普通に歩いておられました。
道は大きく間違えず進んだのですが、実はここから一時間半かかった。
地震酔いで足を踏み出すたび前後に揺られているような錯覚があり、
もう今度こそ転ぶかと何度も思いました…。
駅へ向かう途中、コンビニやマクドナルドが営業していたのも意外でした。
ひーこら言いながらくだらない話もし、何とか浦安駅に辿り着きました。
もみくちゃになりながら遠回りに乗り継ぎ乗り継ぎ、北千住に到着。ここで昼食にする。
「食材が届いていないので3種しかできない」とは言われましたが、
温かい定食を食べられて大満足。
二人して、ああ、文明社会に帰ってきた…と妙な感慨に浸りました。
自分で好きな料理を注文できて、それが無事頂けて、
お金を払って退室する、ってこの流れに安堵しました。
復旧したつくばエクスプレスに乗り、12時過ぎには最寄り駅に到着。
帰宅してまずは家族の顔を見て、うがい手洗い、パジャマに着替えて仮眠!
でやっと意識を失いました。
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本当にだらだらとした日記になりましたが、こんな感じでした。
ぐわーっと記憶が溢れるままに任せて書き綴ったので、後日修正をするかもしれません。
自分自身の記録のために長々とした記事になったしまいましたが、
読んで下さった方、ありがとうございました。
とりあえず、日本赤十字への入金は郵便振替にしようかなと思っております。
被災地の一日も早い復興をお祈りしております。
もうあれから二週間以上経ったんですね。
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列が形成され始めて大して時間は経たずにドアオープン。
扉を片側しか開けなかったおかげで、「雪崩れ込む」ではなく割とスムーズに室内に入れました。
さて、席を確保に移る。
入り口からそう遠くない4人席のソファに、若いカップルが座っていたので、相席をお願い。
快く受け入れてくれたこのお二人を、以下、A氏とB嬢とします。
20代前半と思われる爽やかさん達でした。
トゥモローランドテラスの1階、4人席の椅子2つ。
ここで我々は半日以上を過ごすことになります。
要は、当日のお昼ご飯を頂いたハンバーガー店です。
確か開園当時からあり、広くて利用しやすいので、
数年TDLへ行っていない方もおわかりになるのでは。
実は、ここで並んでいないと基本的に席には座れず、
しばらく屋外で待機しなければならなかったのです。
(入店規制も行われました。しばらくして、「床でいいなら」と解かれましたが)
タイミングに恵まれたといえるでしょう。
暖房は入っていないものの、雨風と外気から守られているだけで有難いことこの上なし。
「ようやく人心地ついたね」と笑い合う。
落ち着いて見渡すと、各席のテーブルにはまだ食べかけのランチが置かれていました。
マリー・セレスト号を連想しつつ、改めて非日常感に呆然。
手にも体温が戻り、メールで安否確認を本格的にスタート。
父、母、妹、みなピンピンしてるとのこと。
(電話は完全に不通でした)
友達や会社の先輩からも「大丈夫?」とのメールをPCで頂く。
宮崎県の友達(ド天然)へは「今、TDLにいる」と返信したところ、
「えっ、TDLって波に攫われたんじゃないの!?」と返されて大笑い。気持ちが解れました。
(駐車場が液状化した報道などを誤解したものと思われる)
我々の地元は大した被害はない、棚の物が落ちただけ、と私の家族より報告を受けて一安心。
ただ、藤花家は彼女と旦那さんのみの世帯であるため、室内の状態が確認できず。
「火事になっているのでは…!」と心配していましたが、弟さんより「それはない」と返信あり。
現状できる確認が済み、ほっとしたらお腹もすいてきた。
この時点で18時前。
地震発生の時間が時間ですから、直前に食事を摂っている人も、
お土産を既に購入している人も少なかったのです。
昼食が14時だった我々もこれだけ空腹なんだから、
13時前に食べたきりの方は相当キツかったと思います。
できることもないしと、キャストさんを探しに席を立ちました。
元が飲食店なので、白湯か、せめて水をもらえないかと考えたわけです。
レジ付近の女性に声をかけると、果たして白湯は頂けました。
片手で2つ持つつもりで「4つください」と言うと、
厚紙でできた簡易飲料ホルダー(?)をくれました。
それも、コップにはきちんとフタをつけて。
彼女の笑顔はまだしっかり、「TDLにいる」と感じられるものでした。
席に戻ると、ソファ席にもう一組、カップルが増えていました。
AB組より年長のこのお二人をX氏、Y嬢とします。
この時間帯から、店内の人数が席の個数より増え始めました。
4つの白湯を6人で分け、体を温める。
頂いた直後はまだ熱湯だったので、手でくるんで暖を取りました。
この間、バッテリーが十分に有る私の携帯のみ生かし、藤花の携帯は省エネモードへ。
藤花はTwitterを効率よく使用できるスマートフォンを所持していたので、
それは温存すべきと判断。
実は、私は普段から、充電済みの電池を余分に1個持ち歩いているのです。
(仕事の連絡も私用携帯にくるため)
これを習慣にしておいて良かった、と心から思いました。
(充電器より、電池をそのまま持ち歩く方がお勧めです。携帯ショップで1000円前後で買えるはず)
yahooモバイルの画面を何度も何度も更新しました。
「津波で300人死亡」という見出しで、ようやく災害規模の巨大さに気付きました。
今となってはお恥ずかしい話ですが、
このテラスに入った頃はまだ「せっかくの有給でTDLに来たのに…」という気持ちがあったのです。
で、この状態がしばらく続きました。
18時半を過ぎ、どっぷりと日が沈んでしまっても、
「安全確認中だから屋外待機しててね」のアナウンスのまま。
私が20:18に「お腹すいた」とメールを送信していますから、
少なくともこの時まで食料は配布されていない。
しかしこの少し後(21時前後?)、ポップコーンを持ってドアを開ける人を複数目撃し、
藤花が配布場所を探索に向かう。
20分後、ハニーポップコーンとキャラメルなどを抱えて藤花が帰還。
やはり、そこかしこで無料配布を行っていました。
じゃあ、ということで今度は私が出発。日は完全に落ち、気温が更に下がっていました。
営業停止しているショップの前で、キャストさん達が商品であるお菓子を配っている。
一箇所で一人一つ。
ありがたく頂きましたが、
キャンディやキャラメルだけでは…と思い、しょうゆバターポップコーンの列に並ぶ。
これが当然混んでおり、30分程度かかりました。
やっぱりみんな、塩辛い物が食べたかったんですね…。
驚いたことに、菓子配布の列の横で、ショッピングバッグまで配っていました。気配り半端ない。
戻る際、どこかへ向かうコックさんの集団を目撃。
戦利品を持って帰り、じゃあこれを食すために、と再び白湯をもらいに行く。
「キャストから白湯がもらえる」と周知されたのか、今度は列に並ぶ必要がありました。
6つ頂いて席へ戻る。
もぐもぐお菓子を平らげていると、キャストさんより
「スープをお配りしますので、そのままお待ちください!」と。
程なく、温かいコーンポタージュが全員に配られました。これが本当に美味しかった。
また、この間の19時ごろ、JRが当日中の復旧不可能宣言。多くの方が帰宅を諦めました。
19時て。
都営線が夜を徹して復旧し運行したことを考えると…うん、まあ、いつものJRさんですね。
いよいよ冷えてきたので、
またしても室外(これも口コミ)でアルミのブランケットをもらいました。
シート状の物だったので、私は結局使用せず。
例のビニール袋をてるてる坊主のように被っていました。
実はまだ開封してません。
多くの人が使用していたため、金色のアルミが一面に広がり、
かつ独特の摩擦音も響き、異様な光景に。
22時になると疲れが出てきたのか、何とか体勢を整えて眠ろうとする方々も多くいました。
確かこのあたりで、A氏が体調不良を訴え別室へ(詳しいことは不明)。
B嬢より荷物を見ているよう頼まれました。
23時ごろ、ここにきて「夕食」が配られました。
使い捨てのプラ容器に入った炊き込みご飯。ちゃんと温かい状態で手渡してくれました。
↑あまりに空腹だったため、写メを撮る前に食べてしまった…。
豆とひじきの、ほんのり塩味の炊き込みご飯。素朴でとても美味しかったです。
何分23時ですので、就寝していた方や食欲がない方もおり、若干余りがちなくらいでした。
この非常事態、全員に温かい食事を配るのは大変だったことでしょう。本当に有難かったです。
食事が済み、帰宅も諦め、じゃあ頑張って寝ようかという話に。
藤花は椅子を2つ連結して横になり、
3時間前後の仮眠をとれたとのことですが、(椅子は余っていた)
私は姿勢を変えても合計で30分も眠ることができませんでした。
途中からはほぼ諦め、椅子に座って腕組みをしたままぼんやり。
他にも、同じ姿勢で起きている方が何人もいたのが印象的でした。
余震がある度、起きている者同士、目を合わせてむっつり。
それが何度続いても、誰一人笑わない。
体は休んだ方がいいと信号を発しているのに、頭が緊張していてそれを許さない。
早く夜が明けてくれ、とこんなに思ったのは初めてでした。
と、X氏とY嬢が携帯電話のワンセグ画面を観ながら何か話している。
うっすら目を開けて見るともなしに見ていたら(何しろ目の前なので)、Y嬢が泣き崩れました。
えっと思い、慌てて目を閉じて寝たふり。
彼らも大声は上げなかったため、詳しい事情は不明ですが、
どうもY嬢の実家が被害の大きい地区のよう。
「大丈夫、大丈夫だって」とX氏が言いながら慰め、
その後もしばらく状況を二人で確認していたようです。
この時の胸の痛みも忘れられません。
やる事がない私はその後、トイレやら何やらで何度か席を立ちます。
その度に、室内の人数がどんどん増えていきました。
深夜は床で寝る方も多くいたため、まともに歩くことすら困難で、
地震酔いもあり、何度も転びそうになりました。
席に戻ると、入り口のドアにキャストさんがプリントを貼り付けている。
掲示物は、各路線の運行状況でした。
ネットと合わせて調べ、舞浜駅は機能していないが、浦安駅は7時から運行を開始するとのこと。
よし、やるしかないだろう、と浦安駅へ歩いていくことを決意。
5時から6時ごろ、朝食が配られました。
前日の夕食の時間を考えると早めですが、
我々のように出発するゲストがいることを考えてくれたのでしょう。
コーンポタージュと、プレーンのバンズ。パンとスープの組み合わせって偉大だなあ。
そして何がすごいかって、ゴミ袋を持ってキャストさんが回収に来てくれるんですよ。
お願いします、と手渡すと「ご協力ありがとうございますー」と笑顔。
いやいやこちらがありがとうですよ。
6時ごろに空が明るくなり、何だかほっとしました。
食べ終わるとA氏が戻り、荷物を持って別室に移動すると言う。
どうも、今度はB嬢の具合が悪いとか。
しかしA氏が明るい様子だったので、それほど深刻な容態ではないようでした。
「お二人ともお気をつけて」「色々ありがとうございます」とお互い頭を下げ、
ABカップルとお別れ。
どちらかが弱るとどちらかが支える、いいカップルだね、と藤花と頷きあいました。
腕時計が7時を示し、睡眠不足の体に渇を入れて立ち上がる。
寄り添いあって眠るXYカップルに声をかけることはせず、そのまま軽く一礼してお別れ。
一夜を明かしたトゥモローランドテラスのドアを開け、
扉を支えてくれたキャストさんにお礼を言いました。
「寒い!」「やっぱり寒い!!」ともはや笑いながらワールドバザールへ向かう。
←この画像だけ、クリックすると少し大きくなります。
どんよりした水色の空の下、やはりシンデレラ城は美しかった。
本来ならゲストは立ち入れない朝7時。集合写真を撮影している人々もいました。
それにしても、ランド内は整然としていました。
土産店などは商品が崩れてきたりしたのでしょうが、地割れも見当たらず、ゴミも散乱していない。
ワールドバザールをくぐり、門で浦安駅への道を聞く。
もしかしたら…と思い頼んでみたところ、地図まで頂けました。
例の、震災時帰宅支援マップというやつです。
見たところ、これを200部程度は保管してありました。
つくづく恐るべし、オリエンタルランド。凄過ぎてもう言葉がでてこない。
30分程度で着きますよ、と言われ、文系オタの二人は気合を入れて出発。
この時、浦安駅へのバスも出してくれていましたが、
ずいぶん並んでるし私達はまだ歩ける、行こう、とちょっと気張っちゃって徒歩を選択。
…が、これがけっこう甘かった。
あの有名な翡翠色の橋は使用禁止となっており、
下から舞浜駅を目指しましたが、まずまともに歩けない。
「液状化」ってこういうことか!と得心がいきました。言い得て妙な熟語です。
恐ろしかったのが、歩道のコンクリートが割れて砕け、波の形に固まっていたこと。
マンホールは丈夫で動かず、その周りのコンクリが沈下して、まるで滑り台のようでした。
本来3人はゆうに歩ける歩道が、1人が横歩きでやっと通れる、という有様でした。
舞浜駅を通り過ぎ、浦安へ向かう道は非常に静かでした。
おそらく、復旧を信じて舞浜駅へ留まる方が多くいたのではないかと思います。
初めて足を踏み入れましたが、あの辺りは本当にお洒落な一軒屋が多いんですね。
世田谷区に近い雰囲気。
舞浜駅周辺に比べればかなり軽度なものの、コンクリの継ぎ目が歪んでいる箇所は多かったです。
で、そこを犬の散歩で老夫婦などが普通に歩いておられました。
道は大きく間違えず進んだのですが、実はここから一時間半かかった。
地震酔いで足を踏み出すたび前後に揺られているような錯覚があり、
もう今度こそ転ぶかと何度も思いました…。
駅へ向かう途中、コンビニやマクドナルドが営業していたのも意外でした。
ひーこら言いながらくだらない話もし、何とか浦安駅に辿り着きました。
もみくちゃになりながら遠回りに乗り継ぎ乗り継ぎ、北千住に到着。ここで昼食にする。
「食材が届いていないので3種しかできない」とは言われましたが、
温かい定食を食べられて大満足。
二人して、ああ、文明社会に帰ってきた…と妙な感慨に浸りました。
自分で好きな料理を注文できて、それが無事頂けて、
お金を払って退室する、ってこの流れに安堵しました。
復旧したつくばエクスプレスに乗り、12時過ぎには最寄り駅に到着。
帰宅してまずは家族の顔を見て、うがい手洗い、パジャマに着替えて仮眠!
でやっと意識を失いました。
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本当にだらだらとした日記になりましたが、こんな感じでした。
ぐわーっと記憶が溢れるままに任せて書き綴ったので、後日修正をするかもしれません。
自分自身の記録のために長々とした記事になったしまいましたが、
読んで下さった方、ありがとうございました。
とりあえず、日本赤十字への入金は郵便振替にしようかなと思っております。
被災地の一日も早い復興をお祈りしております。
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