年明けからだと思うのだが、auの「英雄CM」がネットで流れるようになった。
au:あたらしい英雄、はじまるっ
このCMに登場するのは、昔話で有名な「桃太郎・浦島太郎・金太郎」の「3太郎」。
物語そのものは、誰もが知っているので「わかりやすさ」や「親しみ」という点では、十分CMとして伝わりやすい内容だと思う。
むしろ昨年(だったと思うが)のペプシの「MOMOTARO」のほうが、あまりにもモダン(?)過ぎて「昔話」というよりも、全く違う物語というか、ドラマのような印象を受ける内容だった。
それに比べ、同じ桃太郎であってもauの桃太郎は、昔話に登場する桃太郎のイメージそのまま。
他の浦島太郎にしても、金太郎にしてもイメージそのものを大きく変えているわけではない。
にもかかわらず、なんとなく違和感を感じるのはなぜだろう?
一つは、このCMが仕掛けた「登場人物たちの会話」に対する違和感だろう。
「英雄」らしくない今の若者言葉での会話というのは、「英雄になる前の若者たち」という印象になってしまっているように感じる。
別の理由があるとすれば、浦島太郎とか金太郎は英雄なの?という、疑問だと思う。
確かに桃太郎は、鬼が島へ行き鬼退治をした。
その意味では、英雄だと思う。
しかし、浦島太郎は虐められていた亀を助けて、竜宮城へ行き楽しい時間を過ごし、お土産に持たせてもらった箱を開けたら、年を取ってしまった・・・というのがあらすじだ。
英雄というなら「虐められていた亀を助けた」、ということになるのかもしれないが、「虐められていた動物を助ける」という昔話は、他にもあり「英雄」という感じがしない。
そして金太郎にしても「熊と相撲をして倒すほどの怪力の少年」という印象が強く、その後酒呑童子を退治した坂田金時へと成長する、というところまでなかなか結びつかない。
日本昔ばなし:金太郎
そう考えると、auの「英雄CM」は、音を掛け合わせたダジャレからきているCMだということがわかっていても、「はぁ・・・?」という印象になってしまっているように感じる。
CMとしては、おもしろい部分がある反面、「それって、英雄かな?」という印象の登場人物に、なんだかな~という気がしてしまう。
確かに「あたらしい英雄」なのだから、それまでの「昔話」のイメージの英雄である必要はないと思うのだが、「英雄」という言葉から受けるイメージからはギャップがありすぎるようにも感じる。
ところで、「あたらしいau」って、どのように変わったのでしょうか?
それが見えないところも、残念という気がする。
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