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女性マーケターから見た日々の出来事

「単純化」と考える力

2017-07-06 21:44:51 | 徒然

陸上選手として長い間活躍をされていた、為末大さんのブログに面白いコトが書いてあった。
為末大:単純化したい欲求

この内容を読んだ時、思い出したのが私の担当主治医の言葉だった。
おそらく、乳がんの手術をし、退院後の最初の経過検診の時だったと思う。
私が「乳がんの再発はありますか?」という趣旨の質問をした時のことだ。
担当主治医は「僕は、わからない。それが分かったら占い師だね」と、明快に回答をしたのだった。
余りの明快な回答に「確かにそうですね。先生は、占い師じゃないですよね」と、答えた記憶がある。
その後で「現在の私の状況から、予想される再発リスクは何でしょうか?」と、質問の内容を変えて聞いたような気がする。

おそらく担当主治医であるドクターは、同様の質問を数限りなくされてきたのだと思う。
そのたびに「わからない」と、回答しているのだと思う。
この「わからない」という回答に対して、「医師なのに、なぜわからないのですか?」と、重ねて質問をする患者さんも多いのでは?という気がしたのだ。
何故なら、「〇〇である」という回答は、患者にとって一つの安心材料になる場合が多いからだ。
もちろん、その逆の場合もある。

その後、がんという病気を通して様々ながん種の医師から話を伺う機会を得て分かったコトは、「わからない」という明快な回答をするのは自信がないからではない、というコトだった。
むしろ「臨床医として、数多くの患者と接し、生と死に立ち会ってきた」からこそ、「わからない」と回答しているのだ、と思えるようになってきたのだ。
それほど人の体は不確定で分からないことに満ちている、だからこそ謙虚に「わからない」と話しているのだと。

しかし、今の社会を見てみると「単純化した言葉」が多いような気がする。
「単純化した言葉」には、「考える」というコトを停止させる力がある(ように感じている)。
特に肩書が立派な人から、「単純な言葉で言い切られると」、変に納得してしまうことはないだろうか?
それが時には「偏見」をうみ、社会に閉塞感をつくりだしているような気がする。

「単純化された言葉」には、分かり易さと納得のしやすさがある。
何より上述した通り「思考を停止」してしまうような、言葉の強さがある。
最近の政治家の言葉は「✖✖は〇〇である」というような、単純化された表現が多いように思う。
それは「思考を停止させ、話し合うことを拒絶したい」という気持ちの表れかもしれない。

そんな社会だからこそ、「単純化された言葉」に翻弄されないように、気を付ける必要があるのかもしれない。

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