「ぐうたら ・フォト日記」

「ぐうたら」を生活信条とする、ぐうたらなフォト日記です。時々『写真の無い・フォト日記』にもなります。

学割!

2006年10月27日 | Weblog
 携帯電話はあまり好きではないのですが、膝の負荷を減らすために持って歩く荷物を減らそうと、デジカメの代わりに携帯のカメラを使うことにしました。
 ところが僕の携帯にはメモリーカードが入ってないので、インターネットのメールを使わないと撮った写真を取り出すことが出来ません。

 仕方無しに、携帯メールの申し込みに行きました。生年月日を聞かれ、名前を聞かれ、身分証明書を見せろと言います。相手は若いお姉さんなのですが、何か高圧的な態度で面白くありません。おまけに、僕の持っている身分証明は今のところ慶応外語の学生証しか無いのです。

 何か言われるかと思いながら、「これで良いですか?」、と言って見せると、表情も変えずに、「学生ですか?」、と聞きます。
 「そうです!」と胸を張って(?)答えると、「では学割が利きます!」、「ン??・・・、あそう!」、とたんに顔がほころんでしまいました。

 基本料金と、通話の一部が半額になるそうです。何でもこの会社だけのサービスで、番号ポータビリティで乗り換える人が増えているそうです。
 「この次のフリートークは学割の話だな・・・」などと考えながら、メールアドレスを打ち込むのですが、アルファベットが良く見えません。「老眼割引は無いのかな・・・?」
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老人力アップ!

2006年10月25日 | フォト日記
 何やら怪しげな写真ですが、これはお尻ではなく膝です。

 夏のドイツで左膝を痛めて以来、だましだまし使っていたのですが、今度は右膝がおかしくなりました。無意識に左をかばっていて右側に負荷がかかっていたようです。1週間ほど前から違和感があったのですが、サポーターをすれば何とか普通に近い状態で歩けるので、無理をしてしまったのでしょうか?

 今日掛かりつけの病院に行ったのですが、いざ出かける段になると、両方ともおかしくなってしまいました。多分に精神的影響もあるのかも知れません。歩くと10分ちょっと掛かるので、「タクシーで行こうかな?」とも思ったのですが、車が通らないので仕方なく歩いて行きました。スピードは普段の半分、屠所の歩みと言った感じです。

 「このまま歩けなくなったらどうしよう・・・!?」、「もう海外旅行は出来ないかな・・・?」などと考えながら病院に着くとお年寄りがいっぱいです。

 整形外科はそんなに混んでいないらしく、しばらくすると看護士さんに呼ばれ、まずレントゲンを撮りました。最近レントゲンを撮ることが多いです。この前は腰、その前は踵を撮りました。
 肺と違って「息を吸ってー、肺(?)止めてー」と言わないので、何時撮られたのか良く分かりません。

 触診のあと、その写真を見ながら先生が、「水も溜まってないし、内側の軟骨が磨り減っているけど、まあ、歳相応かな?」、「老化ですか?」、「うん、まあそうね~!?」、「治療法は2つあって、炎症を止める注射を打つ事と、軟骨の成分補充の注射を1週間置きに5回打つんだけど~、時間無いでしょ!?」、「うーん!(時間あるけど、注射いやだな・・・)」

 その気持ちを察したのか、「痛み止めだけ打って、2週間様子を見ましょう!」
 本当は、これも打ちたくないのですが、覚悟を決めてベットに横になり、右左の膝に注射を打ってもらいました。
 顔見知りの看護士さんに「最近いろんな所がおかしくなるんですよね・・・」と言うと、「お年頃ですから!」

 という事で、お年頃の大腿部の写真でした。

 この後、またまた屠所の歩みで慶応外語の英会話の授業に行くと、「今日はオクトーバー、うーん何日ですか?」
 僕は自信を持って「トゥエンティ ファイブ!(まだ頭はボケてないぞ!)」、「トゥエンティ フィフス!」、「あ!、そうか!」、「基本的な事ですね・・・!」
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友逝く!

2006年10月22日 | フォト日記
 O君がすい臓癌であると知ったのは去年の春だったと思います。幼稚園からの友達で、10代の頃よく一緒に遊んだ彼ともう一度旅行がしたくて、クラス会を兼ねた韓国旅行を企画し、出かけたのが去年の11月、今思うとそれは奇跡的なことだったのかもしれません。
 左上、ソウルで撮った写真の一番前、下のモノクロームの一番後ろ、一番幼い顔をしていた彼が一番先に逝ってしまいました。2枚の写真の間には丁度40年の歳月があります。

 数ヶ月で亡くなってしまう事の多い、すい臓癌であると聞いていたにもかかわらず、仲間で集まるたびに元気な顔を見せ、この1年は『本当に癌なの?』、と思うような生活ぶりでした。若いから体力があったのでしょう。先日、ドイツ土産のボールペンを渡して『カナダの次はドイツだぞ!』と言ったのですが、かなわぬ夢となりました。(今年の秋はカナダに行こうと言っていたのです。)

 彼が病気と知ってから、中学時代の同級生の女の子(?)が中心となって、何回クラス会をやったのでしょうか?、夏に入院してから毎日のように見舞いに行っていた人も居ます。そんなに女の子にモテたとは思えないのですが・・・。
みんな、やさしい心を持った立派な女性に成長したようです。

 『賑やかな事が好きだったから!』と言って、通夜の後のお酒の席に誘うのもそんな女性たちです。僕が膝を痛めていることを話すと、湿布薬を買って来てくれるのも、その中の一人Iさんです。

 そう言えば、香典もみんな一緒に『旧3年5組一同』13人一緒です。そういう関係を持って彼は逝きました。

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フォトエッセイ

2006年10月17日 | Weblog
もどきを久しぶりにアップしました。
写真家としての今年最後の活動かもしれません。
歌のある風景シリーズでキム・グァンソクの「コリエソ」です。
相変わらず韓国ですが、次はアメリカを目指しています。
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30分の壁!

2006年10月16日 | 語学
今日は英会話の授業でした。オーストラリア人の先生です。朝から落ち着きません。

最近テレビやラジオの英語番組を、なるべく聴くようにしているのですが、どれも15分から30分の番組です。
そのせいか、授業が30分を過ぎると、とたんに集中力が無くなってしまいます。今日も「日本語と英語ではリラックスの概念が違う」、と言う話が出てきてから、急に頭がリラックスしてしまいました。

と言う訳で、文法的な話が分からなくなり、後ろに座っていた高校1年生に教えてもらいました。(情けない!)

でも帰ってから近所の喫茶店での復習は続いています。今日で3日目(?)ですがやはり30分で集中力が途切れてしまいました。
どうもこの壁を乗り越えることが当面の課題のようです。
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男の子・女の子?

2006年10月13日 | フォト日記
またまた中学校の同級生が7人集まって、前から癌と戦っている友達とは別の友人の見舞いに行きました。彼はもう3・4年前から入退院を繰り返して居るようです。
僕は最初、大勢でお見舞いに行っても、話せるような状態なのか半信半疑だったのですが、病室を覗いてみると丁度ベッドに起き上がって夕食を食べているところでした。

「あ!、割りと元気そうだな!」と思い、少し安心して待合室で待っていると車椅子に乗って奥さんと一緒に現れました。昨日髪を刈ったそうで、すっきりした頭になっています。一瞬、「あれ?、若いときと同じじゃないか?」と思ってしまうほどでしたが、抗がん剤の影響か、熱があるとの事です。
それでも20分くらいは話したでしょうか・・・?

帰りはまた、心やさしい『おせっかいオバサン』(ゴメン!)と一緒に居酒屋で会食です。「男の子は××だけど、女の子は××なのよね・・・!?」と言う年齢不詳の会話を繰り返しながら、3時間ほど昔話や現状報告に花が咲きました。
どこのクラス会でもこう言う会話が出てくるものか、僕は知りたいと思っているのですが(ここだけの様な気もするな・・・?)どなたか教えてください。

とにもかくにも、僕の周りにはこういう人達がまだ沢山居るのです。
僕は子供の頃から、積極的に友達と付き合うことなどしなかったような気がするのですが、何故かいつも、誰かが声を掛けてくれる環境がありました。そういう時代だったのでしょうか?

野球をやろうとか、サッカーをやろうとか、何だか分からずに誘われるまま付いて行くと、16・7歳なのにビートルズのレコードを聴きながら酒を飲む会だったり、ルールを知らないのに一人足りないからとマージャンに誘われたり・・・。

そんなこんなを共に過ごして来た友達が、卒業と同時に別れ別れになり、また30年の時を隔ててもとの中学生に戻り、声を掛け合って生きている。それは人間として成長したのか、成長していないのか(?)良く分からないのですが、とにもかくにも今の僕を作ってくれたのは、家族と友人という周りの環境なのでしょう。

中には若くして亡くなったり、アル中になってしまった人が居たり、人様々なのですが、そんな人達との思い出や、うわさ話をしていて見えてくるのは、やはり「やさしさ」なのです。

僕らが成長してきた時代は、まだ「やさしさ」と言うものが日常としてあって、多分それは、意識することの無い「やさしさ」だったのだと思います。それが何時の頃からか、『優しさ』とか『癒し』と言う言葉がはびこり、「やさしさ」がどこかに行ってしまった様な、そんな気がしてきます。

やさしい女の子たちに乾杯!
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水道の修理

2006年10月10日 | フォト日記
連休前からキッチンの水道を閉めても、水がポタポタと垂れて来るようになってしまいました。
もう10年使っているので、パッキンが磨耗してきたようです。修理を頼もうと思ったのですが、連休中と言う事で仕方なしに放って置くと、テレビで80歳の技術者が一人乗りのミニカーを作っているという話をやっていました。

それに刺激(?)されて、「56歳の技術者が、パッキンの交換くらい出来ない訳ないだろう!」
と試みたのですが、道具がありません。昔ながらの水道の蛇口は、何となく覗いた記憶があるのですが、給湯器の配管と一緒になった新しいタイプです。パッキンのサイズも分かりません。

と言うか、水道のパッキンがどうなっていて、規格品があるのかどうかが分からないので、ここは経験者に聞くしかないと、実家の兄に電話しました。
先日、老朽化した水道のパッキンが破裂(?)して、修理したと言う話を聞いていたのです。
すると、ホームセンターで買ったパッキンが沢山あるということなので貰ってきました。

写真左下が工具(プライヤーとプラスドライバー)とパッキンです。丸いゴムパッキンが金属棒の先にねじ止めされていて、上から差し込む構造になっています。(左上の写真)
と言うわけで、蛇口の回転部分を外すのにちょっと苦労したのですが、パッキンの交換はすぐに終わりました。(でも周りが汚れてるな・・・)

以上、認知症予備軍の為の、パッキン交換講座でした。

追記)
蛇口を取り外す前に、水道の元栓を締めて置く事!、でないと水が飛び散り、悲惨な結果となります。(僕がそうなった訳ではありません)
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頑張っています!

2006年10月05日 | フォト日記
今週から慶応外語の英会話の授業が始まりました。先生は月曜日がオーストラリア人の男性(僕よりも少し歳上?)、水曜日はお姉さんと××さんの中間くらい(オネエさんにしておこう!)の日本人女性です。
こちらは英語と日本語が半分半分なので少し気が楽です。

月曜日が初日だったので、「自己紹介があるのかな?」と思って行ったのですが自己紹介の練習問題(?)をペアになってやっただけでした。昨日もなんとなく油断(?)しながら行ったのですが、今度は本番の自己紹介がありました。

このクラスは1年間で、半期ごとに新しい人が入ってくるシステムなので、前から通っている人たちは、結構流暢にしゃべって行きます。新しい人の中にもハワイの語学学校に行っていたという女の子がいました。

「ありゃ~、まずいなあ!」、一通りそう言う人たちが終わると、教室内がシーンとなってしまいました。先生が「はい、次の人!」と言っても誰も手を上げません。
僕はまだ言うことが纏っていなかったのですが、こういう時は、早くやった方が気が楽になるので、思い切って手を上げました。

名前と職業を言い、歌が好きだと言うことと、朝鮮語学科を卒業した事を言うとそれについて先生が質問をします。この辺から「しどろもどろ」になってしまいました。
最後に先生が日本語で『頑張ってください!』(この言葉はドイツでも聞いたな・・・!)

これで教室の雰囲気はだいぶ和らぎ、何故かこの後続々と手が上がるようになりました。(何故なんだ!?)

辞書が重たいので、ザウルス(写真)の電子辞書を使うことにしました。NHKのラジオ講座も聞くことにしました。
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