空(hanul 하늘)風(palam 바람)湖水(hosu 호수)2……青空を吹きぬける風が、湖水にさざ波をたてる。

私たちの暮らしは、美しい自然と共生をとりたい物です。そんな日々の暮らしで、感じたことを綴ります。

図書館講座じゅずつなぎ「吹田の地名あれこれ」のボランティア

2017-11-18 18:37:59 | 日記

図書館講座じゅずつなぎ「吹田の地名あれこれ」のボランティア参加をしました。

自分が住む地域の地名を考えることは大変楽しいことです。しかし、文字使用以前に発生した地名の多くは由来も不明で推測も困難です。
旧吹田村を中心に、私たちが住む地域だからよく知る地形や歴史をヒントに、現在まで伝わる吹田の地名のエピソードのいろいろを紹介します。


毎年秋の“じゅずつなぎ”は、各図書館が工夫を凝らし、ユニークな講師を迎えています。

さんくすでは、吹田機関区の元車掌や、吹田を撮った写真家を招いていましたが、

今年は、《吹田の地名のエピソード》。ボランティアでお手伝いをして、お話も聞きました。

資料をご覧いただきましょう。

次は、吹田市史第2巻の「吹田市大字・小字図」

まず、市北部東と西

吹田市南部 東と西

(縦の長さを統一しましたので、横の幅に違いがあります。私の乱字もご辛抱ください)

 

 

講師の方が作成された物です。

この2枚の古地図は、高浜神社先代宮司さん提供の物を書き写した物です。

 

順不同で、エピソードを並べてみます。

1.「高浜神社」が、吹田の中心だった。南の神崎川、吹田の渡しで渡ると高浜神社です。

現在の吹田の渡しの記念碑から北に来ると、

右に高槻から東方面、左は伊丹から西方面の石碑があります。

昔高浜神社は、東のお宮さん。泉殿宮が、西のお宮さんだったそうです。

いまでも、この二つのお宮で、えべっさんが行われてます。(関係ないかな?)

2.「岸部」は「吉志部の民」から、来ていますね。

国鉄が駅を作るときに「岸辺」としたことには、地域との話し合いがあったのではと私は思います。

3.都呂須とは、渡来人のことで有り。インドネシアのチャム語???

などなど、楽しく2時間があっという間に過ぎました。

最後にまとめなした内容は、palamの責任で書きました。講師の方の責任ではありません。

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