日々の便り

男女を問わず中高年者で、暇つぶしに、居住地の四季の移り変わりや、趣味等を語りあえたら・・と。

蒼い影(2)

2024年02月19日 07時31分33秒 | Weblog

 枝折峠の頂上付近は、松や楢や雑木等に周囲を囲まれ中心部分は名も知らぬ草などの雑草が生えた平地で、西側の崖渕から下方を見ると、なだらかなに続く棚田や畑の先には、防風林越しに青い穏やかな海が見え、その彼方には佐渡が霞んで見える。
 背後は標高2.000m級の霊峰飯豊山が遠くに眺望できる、この地方では名の知れた憩の場所である。

 丘の中ほどに建つ石碑の前で、健太郎と節子さんが並んで腰を降ろし、青空を見上げると、ゆつくりと流れる小さな白い浮雲が流れていた。 健太郎が感慨深く周囲の風景に見とれている間に、いつの間にか、海岸に面した崖の方に行っていた節子さんから 
 「先生 アッ!健さん。来て、きてぇ~!」
と、若々しい透き通った声で叫んで白いハンカチーフを振りながら手招きし、続いて
 「海岸線に沿つた渚がキラキラと眩しく光っていて、まるで絵に描いたように凄く綺麗だゎ~」
と、明るい声で感嘆していたので、健太郎はゆっくりと彼女の方に歩いて行った。
 彼女は、眩しいのか手を額にあてて、崖淵の樹木の小枝に掴まって遠景を眺めていた。
 白い薄での長袖ブラウスに黒のスラックスのいかにも彼女らしい清潔感あふれる服装で、興味深々と景色を眺めており、彼が近ついたのも気ずかなかった。 
 春の柔らかい日差しに照らされて見える海岸線は、時々、キラキラと輝いて見え、海岸線に沿って走る列車もマッチ箱のように小さく、まるで箱庭を眺めているかの様な、音も無くのどかな絵のように美しい景色であった。

 暫くの間、言葉を交すこともなく景色を眺めたあと、二人は石碑のある場所に戻り、健太郎が若い芝草に胡坐をかいて座りタバコをくゆらすと、彼女も足を横崩しにしてその横に腰を降ろし、彼の右肩付近に顔を摺り寄せ、少女が甘える様な仕草で囁くように小声で
 「ネェ~、私にも一本ご馳走してぇ~」
と、彼の顔を覗き見して悪戯っぽく微笑んだので、彼は意外な言葉に少し驚いて
 「君。タバコをたしなむの?」
と聞いたところ、彼女はきまり悪そうに
 「ウ~ン。昔、外科の手術室に配属されてたころ、OP後ストレス解消にと同僚に誘われ吸いましたが、2~3年位で外科を離れるころ自然にやめてしまいましたの」
と、経緯を説明したあと
 「健さんが、おいしそうにくゆらす姿を見ていて、私もなんだか悪戯してみたくなつたの」
と、茶目けたっぷりに言うので、箱とライターを渡すと、細い器用そうな白い指でタバコを取り出すと火をつけ、品良く鼻筋の整った先から紫煙を澄んだ空気に漂わせ、満足そうに
 「これ軽いタバコなのね」
と呟きながら、今度は後頭部を健太郎の右肩に背中合わせにしてもたれ、遠くの山並みに目を奪われているようだった。
 彼は見るともなく少し振り返り彼女の横顔に目をやったら、毛先を綺麗にカールされた黒い艶のある髪に、やはり、それなりに苦労を重ねたのであろうか、象徴としての銀髪が少し混じつていたが、襟足は綺麗に手入れしてあり、地肌の白い襟首が上品な色香を感じさせた。

 彼女は暫くして座りなおすと
 「あらいやだ~、健さん重かったでしょう。ゴメンナサイネ」
と言いながら石碑の方に向かい
 「私。高校卒業の年、課外授業で健さんに引率されてクラスの人達と、ここにきたとき以来、この石碑が強く印象ずけられて頭の隅に残り、職場での山岳旅行や一人旅で各地の名所で色々な石碑をみたり、或いは時には気分が落ち込んだりしたようなときに、この石碑を思い出すことがありましたわ」
 「もっとも、その時、崖を登る際、生まれて初めて男性の健さんに手を強く握られ引上げて貰ったときの印象が強く残っているのは、これって何かの因縁なのかしら・・」
と少女の様にはにかんで言ったあと、恥ずかしさを隠すように
 「この石碑って、何時頃なんの目的でこの場所に建立されているの?」
と、難しいことを聞いてきたので、健太郎はしばし思案したあと、それまでに学んだ知識を繋ぎあわせるように、雑学的に覚えていることを要領よく説明しはじめた。

 健太郎は、小枝を振りかざしながら
 日本に佛教が伝来する以前は雑蜜といって、大山・白山同様に、出羽三山も北越後から羽越を経て奥羽一帯を中心に山岳信仰の中心地であり、鎌倉時代以後に佛教が隆盛を極めると、人々は
 羽黒山は、大日如来を本尊として祀り、人々は現世利益を祈願し
 月山は、地蔵菩薩を本尊として祀り、祖先の霊を供養し、死後の安寧を祈り
 湯殿山は、弥勒菩薩を本尊として祀り、死後の輪廻転生、再生を祈願し
江戸時代まで、その信仰が続いたが、明治維新の廃佛棄釈で、本尊様は麓の大き寺院に移され、本殿には難しい名前の神々を祀るようになったが、その信仰が今日に至っているんだよ。その名残りとゆうのか、羽黒神社の入り口付近では、山伏姿の修行者をみかけるが、請えば歴史的な説明を教えてくれるらしいよ。
 この峠の石碑を初め、近郷の大きい裕福な村の神社の境内や村の入り口付近には、大きい石に”湯殿山”と刻字した石碑を目にすることがあるだろう。 あれは過去に参詣した歳老いた人達や或いは病弱のため参詣できない人のために、村の有志が建立したと聞いているが。
 今では、半ば観光地化されて羽黒神社前まで車で行けるが、車のない時代、人々が草鞋履きで握り飯を背に幾日もかけて各地から参詣したんだよ。 実際、羽黒神社の入り口前の苔むした急な杉木立に覆われた石段の前にただずむと厳かな気分になるわ。
 ついでに、よけいな話しだが、寺院の参道に六っ並んだお地蔵様を見かけることがあるでしょう。
 あれは六体地蔵と称して、移ろい易い人の心の変遷をわかり易い言葉で、地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人・天となぞらえ、それを地蔵菩薩の表情と手で表現したもので、佛教すなわち先人の生活の知恵の素晴らしさが伺えるよな。 
 佛教では、我々が学んで知り得たことは知識といい、仏=先人が自然の生活の営みの中から身につけて得た”知恵”と、知識”を区別しているんだよ。般若を知恵と解釈するように・・。
 

 健太郎は、おぼつかない雑学で概略を説明したが、黙って聞いていた彼女がどのように理解したかは知るよしもない。
彼は、あまり真剣に聞いて欲しくないとも思つた。

 こんな話しを終えると、一呼吸おいて、彼女は
 「それにしても、昔の人は偉いもんだわね。こんな大きな石をどのようにして、ここまで運んだのでしょうね」
と、理数を好む彼女らしく、鋭い疑問を投げかけて来たので健太郎は返答に窮し咄嗟に
 「今の土木作業用重機などない時代に、先人は大阪城の石垣を積むくらいだからな~」
と、答えにならないことでお茶を濁しておいた。 
 こんな素朴な質問をするところに、やはり彼女は物理が好きな子であつたことを思い出した。

 このような他愛のない話をしたあと、彼女は、突然、彼に背を向けて俯き、手にした草花を揺らせながら
 「あのね~ 健さん。私、いま、お話を聞いていて、以前から思っていたことですが・・」
 「この機会に、どうしてもお聞きしたいことがあるんですけれど・・。迷惑かしら」
と、一寸、躊躇っているように言い出したので、なにか人に言えない悩みでも抱えているのかな。と、思い
 「君さえ良ければ、私が答えられる範囲内であれば差し支えないよ」
と返答すると、再び、彼に向き合い、何かを回想している様な表情で、恥ずかしそうに小声で話し始めた。 
 健太郎は話を聞いていて、遠く過ぎ去った日々の生活に誘いこまれてゆくような、なんともいえない妙に切ない思いに駆られた。

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