日々の便り

男女を問わず中高年者で、暇つぶしに、居住地の四季の移り変わりや、趣味等を語りあえたら・・と。

蒼い影(38)

2017年05月11日 08時36分44秒 | Weblog

 今年の冬は、昨冬と違い北極の寒波が南下する頻度が増して、例年になく降雪の日が続く。
 健太郎は、最初は冬場の運動代わりにと考え、近所の応援を得て、玄関前やその周辺の小道の除雪を苦もなく日課として行っていたが、こうも連日降雪が続くと身体の疲労が蓄積され、ましてやマーゲンクレイブスのOP後3年を経過しているとはいえ体力も目に見えて弱り、連日の除雪がなんとなく心身の負担となってきた。

 大学病院の親睦会のスキー場からの帰りのバスの中で、節子に抱えられる様にして、おとなしくしていた理恵子が、何気なく
 「母さん セーターの胸の辺りに毛糸屑みたいなものが着いているわ」
 「それに 新品の毛糸がなんだかつぶれているみたいだわ」
と、小声でブツブツ言い出だした。 
 節子は、理恵子の川への転落のことで気持ちが動転していたところに、彼女の何気ない一言で急に我に返り、数時間前に杉木立の中で丸山先生に熱く抱擁されたことを思い出し、その時の余韻が残っているまま帰宅することが、理恵子の事故と重なり尚更心を重くした。

 送迎のバスが玄関前に到着すると、若くて大柄な丸山先生が理恵子を抱える様にして家の中に入れ、先生は「風邪を引かない様に注意してくださいね」と、理恵子に一言告げてバスに乗り込もうとしたので、丁度仕事を終えた健太郎と青ざめた顔の節子が、礼を言って見送ったあと家に入り理恵子を風呂に入れさせた。

 節子は、洗面場で顔を洗い口紅を塗り髪の毛を整えて、急いで普段着に着替えると、囲炉裏端でビールを飲み始めた健太郎に「わたしが 付き添っていながら、とんだ不始末を起こして済みませんでした」と詫びると、健太郎は疲れもあるのか「大勢の人に迷惑をかけ、一体、どうしたのだ」と言ったあと黙り込み、今までにない不機嫌な顔をしたので、彼女も次の言葉が出ずビールを注ごうとしたが、健太郎は「自分でするからいいよ」「それよりも、君の顔色も良くないので、理恵子と一緒に風呂に入って、身体を温めなさい」と言うので、事情を説明しないまま、その場を逃げるように風呂場に向かった。
 健太郎の態度や顔つきから、心の中は不安が充満して、この後どの様に説明するか考えが纏まらないままに、理恵子に続いて二人で並んで浴槽に身を沈めた。 
 少し大きめな浴槽なので、今までにも時々二人で入っているので、理恵子はスキー場での失敗を忘れたかの様に、久し振りに二人で入っているのが嬉しいのかニコッと笑っていた。

 理恵子は、「お父さん 何か言っていた?」と、やはり気になっているのか、温まって頬を赤らめた顔をして言葉をかけてきたので、節子は
 「除雪でお疲れの様で、お話しするのも嫌な様でしたので、何もお話しをしていないわ」
と返事をすると、理恵子は「ふ~ん わたしが、話しておこうか。叱られても仕方がないわ」と、体が温まったせいか幾分元気を取り戻し、先に浴槽から上がり出ていった。 
 出際に振り返り「母さんは、そのとき近くにいたのか。と、聞かれたら、どの様に返事をしておけばいいの」
と聞くので、節子は「兎の足跡を追って遠くに離れていた。と、だけ言えばいいわ」と答えておいた。

 節子は、一人になると丸山先生とのことが頭の中に生々しく甦り、突然でしかも一方的にハグされたとはいえ、確かに未経験とはいえ、その余韻が生々しく甦り
 丸山先生の愛情を全身に感じたこと。しかも、その情熱的な愛に溺れて、一瞬のこととはいえ自分を見失い、常識的には考えらないことを口ばしってしまったこと。
 それに、健太郎の健康状態から満たされない愛も時にはあったにせよ、脱衣場の鏡に映る裸体の自身を見つめて、出産を経験していないとわいえ、贅肉のない適度に引き締まった細身ではあるが均整のとれた、この肉体の何処に理性を失わせる魔性が潜んでいるのか。と思うと、自分の心の底に潜む女性としての業の怖さを痛感し、健太郎に対する思慕の念から永く耐えた末に結ばれた絆の中に築いてきた人生の美しき暦に汚点を残してしまった情けなさで涙が零れた。  
 その結果、一層のこと、過ちの全てを告白してしまえば、この心の苦しさから逃げられると考える反面、若し、優しさのある反面、几帳面で道徳的に厳しい健太郎のことゆえ、不倫は絶対に認めないと言われたときには返す言葉もなく、それはとりもなおさず、高校卒業後、上京して看護師として就業し、他からの求婚をも断り、一途に健太郎との結婚を夢見て、例え生涯独身を通してもと覚悟したこともあったが、幸いにも高校の先輩でもあり、かつ、理恵子の亡き母である秋子さんの仲人で、後妻とはいえ十数年間募る恋心を耐え忍んで、堯侯的に健太郎と夫婦になれ、亡き秋子さんの遺言もあり理恵子を養女にも迎えいれ、実家の歳老いた母親や妹夫婦にも喜んでもらっていること等を冷静に考えれば、やっと掴んだ平穏な生活と自分の人生を、不確実な丸山先生の言葉や愛だけで、全てを失う様になることは、死と同然としか考えられないこと。  
 それらを散々に考え悩んだあげく、このことが将来の自分にとって、一生の深い心の傷になるとしても、自ら招いたことであり、今後、どんなに苦しくとも胸に潜めておくことが、今となっては、家庭的に最善であると硬く決心した。
 そして、そのためには丸山先生とは必要以上に顔を合わせない様にすることや、いずれ機会をみて、この際、大学病院を退職して家庭に入り、もっと夫や理恵子に尽くすことが、罪滅ぼしであると考えた。

 長い時間のお風呂からあがり居間の炬燵に入ると、理恵子が懸命に事情を説明しているところで、健太郎は不機嫌そうな顔で、理恵子に
 「お前が川に落ちたとき、母さんは何処にいたのだ」
と聞き、理恵子が言いたくないのか、俯いて
 「わかんなぁ~い。人の話だと山の上で丸山先生とウサギの足跡を追っていたらしいわ」
と答えると、健太郎は尚更不機嫌そうな表情をしたので、彼女はなんとか健太郎の機嫌を直そうと
 「お父さん 一人ぽっちで寂しかったの?。お酒が足りないのならお燗をしてきましょうか」
と言うや、健太郎は業を煮やしたのか
 「お前は亡くなった秋子母さんに似て、大胆でもあるが少し呑気なところがあるなぁ」
と言ったあと、節子に対し
 「君の顔色や落ち着きのない仕草を見ていると、偶然にも、その時刻ころ、ふと君達のことが気になり、事故が無ければ良いがと思っていたが、今となってはテレパシーとゆうのか、余り良い予感はしなかったな」
と一言言い残して寝室に行ってしまった。

 節子は、理恵子に湯上りで風邪を引くので早くベットに入りなさいと言って一人になると、紅茶にウイスキーを少し入れて飲み心を落ち着かせ、浴槽で思案したことを何度も思いめぐらせた。

 

 

 

 

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