反社会をきどってみた

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思い出の競走馬を振り返る

2017-05-11 10:43:13 | 競馬予想
翌春、ウメノファイバーは自らの厩舎を開業したばかりの相沢師のもとへ入厩し、競走馬としての生活をスタートさせることになった。

 ウメノファイバーのデビューは、98年7月の函館でのことである。彼女に北海道で騎乗したのは、山本康志騎手だった。95年にデビューしたばかりの山本騎手は、最近(06年7月現在)こそ障害レースでたまに名前を見かけるものの、当時はまだ本格的に障害レースへ進出しておらず、かといって平地でも注目を集めていたわけでもない。ただ、三場開催のローカル開催で騎手が手薄だったこと、くわえて相沢師がもともと競馬サークル外の出身で、騎手につながる人脈も多いとはいえなかったことから、彼は気づかぬうちに、後のオークス馬に騎乗する栄誉を手にすることとなった。

 しかし、ウメノファイバーのデビュー当初のレースから、後のオークス馬の面影を見出すことは難しい。デビュー戦の新馬戦では、スタートで出遅れて非常にドタバタした競馬となってしまい、いったんはスピードに任せて追い上げたものの、結局失速して7着に沈んだ。2戦目となる折り返しの新馬戦でも、スタートの際に飛行機の音に驚いて2馬身ほど出遅れた。この時は非凡な瞬発力で中盤以降のまくりを決め、後続に2馬身差をつけて勝ち上がったものの、その荒削りな競馬は、かつて母のウメノローザもスタートが下手で

「まともにゲートを出さえすれば強いのに・・・」

と調教師を嘆かせたことを彷彿とさせるもので、ウメノファイバーというサラブレッドの扱いの難しさを感じさせる内容だった。

 続く函館3歳S(Glll)、札幌3歳S(Glll)でのウメノファイバーは、それぞれ4着、7着と一見すれば見せ場もない完敗に終わった。もっとも、それぞれ15番人気、8番人気でその着順に入ったのだから、「人気より上に持ってきた」という評価も不可能ではない。また、函館3歳Sの方ではレース中の不利もあった。とはいえ、ウメノファイバーが競走馬として初めて迎えた夏の戦績は4戦1勝で、平凡の域を出ない。
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