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news commentary

プッツン・小沢

2007-11-08 13:56:15 | Weblog
「先般のことで私の不徳のいたすところから、大変な報道となり、みんなに迷惑をかけたとの思いが強く、自分の張りつめて、頑張ってきた気力が、途切れたというか、プッツンしたというか、そういう精神状態におちいった」(11月8日付『朝日新聞』朝刊)。もとどおり民主党の党首のさやにおさまることにした小沢一郎は、11月7日の記者会見でそう語った。

正直な告白は人間としてほめてあげたいが、場合によっては首相になる可能性のある野党党首がプッツン状態になる精神の持ち主であることを有権者に公言してしまったのは、政治家としていかがなものか。

古い話だが1972年のアメリカ合衆国大統領選挙運動中のことを思い出す。大統領再選をめざす共和党のリチャード・ニクソンの強力な対抗馬だったのが民主党のエドマンド・マスキーだった。

ニューハンプシャー州での予備選挙を前に、右派の新聞・ユニオンリーダー紙が、マスキーがニューハンプシャーに多いフランス=カナダ系の人々をニューハンプシャーの黒人とよんであざ笑ったという記事を載せた。さらに続いて、マスキーの妻がへビースモーカーで問題の多い女性であると中傷する記事を掲載した。

マスキーは1972年2月26日、ユニオンリーダー紙の社屋の前で抗議の演説をした。そのとき、マスキーは感情の高ぶりから、演説の声が震え、はては落涙におよんだと、とメディアに報道されてしまった。雪の中の街頭での抗議だったので、顔に当たった雪が解けたのだとマスキーは説明した。さらには、ニクソンのウォーターゲート事件の報道や捜査で、マスキーのフランス=カナダ系に対する差別発言はでっちあげで、ニクソン再選委員会が民主党かくらんをねらって、偽の手紙を新聞社に送っていたことがわかった。

しかし、結果として、有権者はこのことからマスキーが情緒的、精神的に不安定な人物との印象を受け、マスキー支持から離れ、大統領選挙はニクソンの勝利に終わった。

政治家についての期待する人物像は日米によって文化的な違いがあるだろう。また、アメリカ大統領は場合によっては核兵器使用の判断もしなくてはならない。だから、プッツン大統領は困る、と有権者が判断した。

日本は気楽な国だ。小沢は「いまだなお、不器用で口べたな、東北かたぎのままです」と、説明不足で民主党内に混乱を招いたことを「東北かたぎ」に転嫁した。弁舌は政治家の武器だが、日本には、言語不明瞭な政治家、言語明晰・意味不明瞭な政治家でも活躍できる政治文化がある。口下手は小沢個人の資質の問題であり、それを東北人一般の資質にしたことについては、東北出身者から異論があろう。もし小沢が「選挙で政権をとるといいながら、大連立のはなしについうかうかと乗ってしまった。いまだなお、尻が軽い、東北かたぎのままです」とでも言っていたら、どんな展開になっていたことだろうか。ちなみに、小沢は東京生まれ。父親の郷里である岩手県で幼少時代を送っただけである。中学・高校・大学は東京で終えている。

今回の一連のドタバタ劇で民主党への有権者の期待度は落ちこむことだろう。さて、それがどの程度なのか? その程度によって、日本の有権者の政治意識を測ることができる。

(2007.11.8 花崎泰雄)


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