詩はここにある(櫻井洋司の観劇日記)

日々、観た舞台の感想。ときにはエッセイなども。

ヌレエフの掌

2017-06-28 20:06:29 | 日記
6月はボリショイ・バレエ団、新国立劇場、熊川哲也率いるKバレエと『ジゼル』の競演になりました。特に6月24日の土曜日には、新国立劇場がマチネとソワレ、Kバレエもマチネとソワレで1日4回も東京で『ジゼル』が上演されたという珍現象がありました。でもロマンチック・バレエの代表作『ジゼル』こそは出発点となった作品で大好きです。

生まれて初めて観たバレエは『ジゼル』でした。1983年3月3日東京文化会館で上演された松山バレエ団の公演です。なぜ日付まで正確に覚えているかというとNHKが収録していたからです。ジゼルは森下洋子、アルブレヒトはルドルフ・ヌレエフという顔合わせ。映画『ヴァレンティノ』に主演していたヌレエフをナマで観てみたいと、バレエなど一度も観たこともないのに、しかも全席売り切れだったのに、知らないとは恐ろしいもので行けば何とかなると上野まででかけたのでした。長時間並んで特別に数枚だけ売りに出された補助席で観ることができました。

ヌレエフは当時45歳。ダイナミックな踊りが特徴だった彼も衰えは隠すことができず、期待された跳躍や回転は普通の振り付けの範囲内でした。初めてだったので、そんなものかと思っていたのですが、その後バレエを30年も観つづけるきっかけとなった驚くべき瞬間は第2幕でヌレエフが登場した時でした。

愛する恋人ジゼルを亡くし、悲嘆にくれながら舞台奥からヌレエフいやアルブレヒトそのものが白い花を抱いて登場します。音楽はあっても台詞のないバレエという舞台芸術。正直な話、第1幕はよく理解できていなかったと思います。それなのに第2幕は舞台上で何が行われているのか、よく理解できました。それどころか涙がとまらなくなってしまいました。

小さな仕草や表情ひとつでアルブレヒトの心の痛みを伝えてくるのです。それが最もあらわれていたのはヌレエフの掌でした。ひらひらと動かしているようにみえて、その優美な動きの中に恋人を失った悲しみを封じ込め、それが劇場中にどんどん広がっていく。不思議でした。その不思議の理由を求めてバレエを観に劇場に通い続けたのかもしれません。

それ以来、何度も観た『ジゼル』ですが、ヌレエフのような掌の表現をしたダンサーを一度も観たことがありません。これからも観られないかもしれない。30年経ってようやく理解できたのは、ヌレエフの掌の表現は途方もないほど繊細だったということです。指の曲げ方、広げ方にどれだけ工夫が凝らされていたのでしょうか。一世を風靡したダンサーでしたが、それには人知れない努力が積み重ねられていたのでしょう。とかくテクニック偏重な傾向のあるバレエ界ですが、あの物言わぬヌレエフの掌の雄弁さこそバレエの神髄なのだと今は思えるのです。

ヌレエフの掌を何度真似てみたことでしょう。もちろんド素人に真似できるわけもなく、街中でゆらゆらと動かしていたら、単なる危ない人になってしまっていました。

さらに最近気がついたこと。ヌレエフの5番ポジションは凄い。彼の舞踊人生の全てが込められているのだということを。5番のポジションは、膝のところで足を交差させ、指先とかかとを左右で逆にするポーズ?です。日常生活では全く使用しないし、ありえない形です。身体はねじれるようになっているようにも見える。実際に5番からねじれを開放するようにピルエットで回ったりします。

その不自然で不自由そうに見える5番のポジションも、360度どの方向へも身体を向かせることの出発点になるとすれば、これほど自由なポジションもないのです。バレエ「眠りの森の美女」よりグラン・パ・ド・ドゥ の映像を観ると、ヌレエフのヴァリエーションでは、大きな跳躍を見せながら舞台上を一周した後、まるで何事もなかったかのように涼しい顔で5番のポジションで止まります。

技術的にも難しいはずですが、平気な顔をして5番のポジションでポーズするヌレエフに感心します。そこには、彼なりの美学があり、バレエ哲学があるようです。ヌレエフの5番ポジションも、簡単に真似などできないはず。身体を極限までねじり、ピシッと決まり、さらに上に昇っていこうとするように思えるのは、ヌレエフの肉体的な努力と精神の高揚の賜物だと思うからです。30年経ってようやく気がつきました。

ときどき自分の部屋の中で5番ポジションをしてヌレエフ気分を味わいます。本当に危ない人になってしまったのかもしれません。
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« いよいよ閉店 | トップ | 映画『ハクソー・リッジ』 »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • 30日以上前の記事に対するトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。