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西予市宇和町卯之町(重伝地区)

2016-10-21 11:44:09 | 愛媛
2016年10月17日行きました。宇和島城の後に立ち寄りました。宇和島城から約20Km北側の重要伝統的建造物群保存地区です。JR卯之町駅から400mくらいのところから町並みがあります。国道56号線より1筋入った商店街の2時間無料の市営駐車場(西予市商工会から北西に50mのところ)に車を止めて散策です。
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説明書
「西予市宇和町卯之町は、江戸時代を通じて宇和島藩下の在郷町とつし栄えた。地場産業である良質の檜材や、宇和盆地でつくられた良米等が集まり、5軒の造り酒屋が店を構え、商家が立ち並んだ。また宇和島・大洲を結ぶ街道の拠点として物資が集散したり、白装束のお遍路さんが往来して宿場をにぎわせた。この区域には、近世(江戸時代)の面影を伝える町家が軒を並べ、併せて寺(江戸期)・学校・教会等、明治・大正・昭和初期の歴史的建造物により、伝統的な町並みが形成されている。町並みの特徴は妻入りと平入りが混在していることである。妻入りの町家は四国地方にあまり例がなく、また格子や蔀、床几、大戸などに加え、卯建、袖壁、一階軒下の持送り、二階の手摺り、飾り瓦等の意匠も特徴的である。保存地区は中町、新地、横町、大念寺、下町に分けられ、江戸時代の地割や、各時代の建造物で独自の景観を醸し出している。」

商店街の通り、













光教寺石標



宇和民具館、月曜日休館です。



開明学校(重要文化財)
「明治15年(1882)に町民の寄附により建築された擬洋風の小学校校舎。アーチ型の窓にドイツ製のガラスが使用され、文明開化に近づこうとした町民の教育に対する情熱が込められています。現在は、教育資料館として、明治初期の貴重な掛図をはじめ、昭和初期にかけての資料約6000点を収蔵展示。」

歴史民俗資料館

申義堂
「郷校として使用された明治2年築、開明学校前身」

道祖神、この前で妻と手を握り合いました。(笑) 旧開智学校との姉妹提携により松本市から贈られたとのこと。



光教寺
縁起書より「当寺は清泰山光教寺と号し、臨済宗妙心寺派に属し、開山以来7百数十年を有する禅寺です。開山は明遠和尚、ご本尊は釈迦如来立像です。京都の西園寺家が嘉禎2年(1236)宇和郷を領有してからほぼ30年後、岩瀬(松葉城)山麓に創建されたと伝えられています。その後西園寺家が天文年間(1532~1555)に居城を黒瀬に構えた際に城内(光教寺谷)へ寺を移転し、さらに万治年間(1658~1660)に今日の場所に移りました。現在の本堂、庫裏は天保年間(1830~1843)に再建されたものです。裏手には、再建に当たった第6世利道文益和尚の作による優美で趣の深い庭園が今に残されています。明治時代に入ると、境内地を開明学校新校舎の敷地に提供し、続いて隣接地に申義堂も移築されます。当時、ニ世代にわたって長州出身の住職が当寺に迎えられ、とりわけ猷山和尚は蘭学、英語、数学や哲学など学問に長け、向学心に燃える宇和の若者たちに大きな影響をもたらしました。山門を入ると正面に本堂、右手に庫裏が並び、左手には観音堂、太子堂があります。本堂と左手の方生池との間を奥に進むと杉木立孟宗竹の薮を後ろに控えた美しい枯山水庭園が望まれます。心休まる空間をお楽しみください。」(合掌)





山門

本堂

















庫裏



町並みに戻ります。



末末住宅(西予市指定文化財)
『明和7年(1770)に建てられた平入りの建物で、蔀や格子など卯之町らしいデザインが残る町並みの代表的な町家。大正時代初期まで酒造業を営み、大正8年(1919)に「卯之町醤油株式会社」を設立し、昭和12年(1937)まで醤油製造、販売を営んでいました。』









































鳥居門(西予市指定文化財)
「天保5年(1834)、庄屋鳥居半兵衛が建てたもので、ケヤキをおしげもなくつかっている。門扉には鉄鋲を打ち、そりのある屋根には高々とした大きな鬼瓦があるいかめしい門。」







二宮敬作住居跡

お疲れ様でした。、次は大洲に行きます。

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