ジーンズリペア&リメイク工房 hands-on 日記(旧ブログ)

デニムの産地、岡山から発信するジーンズ日記(2010年12月~2016年1月)

hands-on プロフィール 社会人編

2011年01月05日 | プロフィール

こんにちはhands-onです。

年末年始の作業も一段落しました。

↓は後で登場するhands-onが自分で縫ったジーンズです。

シルエットは501XX、ディテールは501の66モデルといったヘンテコなパンツです。

自己満足なので何でもありなのですが、、、






    では続きです。

    長いのでゆっくり読んで下さい。

1999年 ジーンズ&カジュアルショップR社へ入社。最初の勤務地は埼玉県!

    今まで、古着ばかり見てきたので新品のジーンズを扱うのは新鮮でした。

    「ジーンズの品番全部覚えてやろう」って気持ちで、やる気満々です!

    入ったら裾上げも覚えないといけません。

    最初はヨレヨレでねじれて、何とか縫い合わせたという感じでした。

    3ヶ月位経った頃に何とか定番のデニムは縫えるようになってきました。

    数をこなすと段々腕を上げて、チノパンツ(針穴が残るので、縫い直しが出来ない)

    ストレッチ素材(引っ張ると波を打つので、難しい)色々出来るようになりました。

    そして休みの日は東京の渋谷、原宿、高円寺の有名古着ショップ巡りをしていました。

    古着界のカリスマ 原宿のMというショップのオーナーHさんは僕の憧れで

    芸能人を見るような感じで見ていました。

    僕もいつかこんなビンテージショップのオーナーになりたいと想いを募らせていました。

    R社でもビンテージ系の商品は僕にとって特別な存在でした。

    リーバイスのビンテージ復刻ジーンズの販売には自然と力が入っていました。

    「あなたに接客されるとビンテージモデル穿きたくなって、買ってしまうよ」と良く言われていました。

    常連さんの中には、一人でリーバイスビンテージシリーズを全モデル買ってくれた方もいました。

    レディースやキッズ、小物も扱ってましたので、もちろんそちらの商品も覚えましたよ。

    2年目は大分県へ転勤

    しかも新店オープンでした。

    店長補佐として人の採用から、什器の搬入、売り場作り、イベントの段取り、色々させて頂きました。

    そこから3ヶ月後には晴れて店長に昇格

    いきなり管理職で商品知識ばっかり覚えてきた僕にとって大変でしたけど

    将来役に立つと思ってパソコンでエクセルを覚えたり、数字追いかけたりと、頑張っていました。

    売上も順調に伸ばして行きました。

    田舎だったので近くに古着屋が無かったのが辛かったですけど。

    4年目には福岡市天神へ転勤

    売上規模も上がりスタッフの数も20人以上、頭パンパンで仕事していました。

    天神の店にはチェーンステッチの裾上げミシンがあり

    特別にチェーンステッチ仕上げを受けていました。

    そこでチェーンステッチミシンの使い方を覚えました。

    また、休みの日は古着屋巡りの日々、古着を買いあさっていました。

    地方都市の中心部にあった事もあり、お店のTVの取材も何回か有りました。

    新しい経験をさせて頂きました。

    5年目は福岡市博多へ転勤

    店長職にもボチボチ慣れてきた時でした。

    この時28歳です。

    30歳までには独立の形にしたいなという気持ちで頑張ってきたので

    この店を最後にしようという気持ちでした。

    今までの経験を生かした、古着と新物のセレクトショップをしたいという気持ちでした。

2004年 そして、5年間勤めたR社を退職して独立の為

    実家のある長崎県佐世保市へ一度帰りました。

    佐世保市を選んだ理由は実家に住める(生活費が抑えられる)

    古着屋が少ない(競合相手が少ない)

    地元の友達がいる(寂しくない)

    ここから出店計画を立てるのですが、資金の問題があり、借金するかしないかで、迷ったあげく

    もう一度お金を貯めようという決断をしました。
 
2005年 貯金と物件探しの為に、地元で塗料を扱う会社に再就職しました。

    慣れない仕事を一生懸命、1年半やっていました。貯金もコツコツ増えていきました。

    ジーンズ業界を離れている間、客観的に自分を見つめていました。

    「このまま、お金貯めてお店出しても、継続して続ける事が出来るのか?」という疑問でした。

    もっと掘り下げてジーンズを学ばないと、他社との差別化が出来ないんじゃないかと思っていました。

    要するに成功する自信が無くて、迷っていたんです。

    そんな中、インターネットで色々と検索していると

    岡山県で国産オリジナルのジーンズ作りが盛んに行われている事を知りました。

    そして、若い人材の募集がされている事を知りました。

    メイドインUSAに憧れた日本人が今、メイドインJAPANで新しい物を作っているではないか!

    何か自分の中が段々熱くなってきて、もう応募せずにはいられませんでした。

    僕が応募したのはデニムの加工を専門にしている会社でした。

    ジーンズ作りというと縫製がメインに考えがちなんですけど

    縫製業界は歴史があり熟練の職人が多くいるので

    新しい人材はあまり必要としていません。(もちろん若い縫製職人も頑張っています)

    加工が良いなと思ったのは

    まだ技術が確立されていない分野でこれからの可能性を秘めている点でした。

    感性を生かした物作り!これは面白そうだと思って面接を受けて、見事受かりました。

2006年 そして、岡山県倉敷市に引っ越してきました。

    まず始めに、繊維の街、デニムの聖地 倉敷市児島へ行ってみました。

    自分の知っているジーンズメーカーが色々と立ち並ぶ中、一軒のショップを発見しました。

    Kという児島のデニムブランドのショップで、古い家屋を改装した味のある建物でした。

    中に入ると、新しいデニムの世界観がそこにありました。

    特に目を引いたのが、一点物のスペシャルでした。

    これは僕の中でカルチャーショックで

    タグに「工房ウラCLUB」という名前がついており、値段も5万円以上

    リメイクをメチャクチャやり込んでいて、これは商品では無く、作品だと思いました。

    店員さんに「これは誰が作っているの?」と聞くと

    「特殊デニム部隊がいてその人達が作っています」

    「特殊デニム部隊! 超カッコイイー!、その人達若いんですか?」の問いに対して

    「まだ若い人達が自分達の感性を生かして作ってます。」と答えてくれました。

    今までのリーバイス501XXを越える新しい価値がここにあるような、新しい感覚を感じます。

    (今でも501XXは大好きです。時間を経過してきた重みがあります)

    もう一軒はオーダージーンズのショップ、Mジーンズに行きました。

    そこはデニムの生地に一番のこだわりがあって

    そこのデニムは糸の染め方が日本に古くから伝わる本藍を使った

    「かせ染め」という手作業でやった物でした。

    アメリカでは染めはオートメーション化されていて

    ロープ染色という機械染めを行っていたんですけど

    (近年は日本にも高い技術のロープ染色があります。)

    日本には古くからの伝統があり、それをジーンズに落とし込んで新しい物作りをしていました。

    色落ちが中々しない、じわじわ落ちて深みのある感じは
   
    今までのジーンズの色落ちとは異なる魅力を感じました。

    日本の伝統とアメリカの合理的なファッションの融合とでも言いましょうか。

    そこにも若いスタッフの方が居て、「ジーンズが好きでこの地にやってきたと言われていました」

    岡山に来て間違いは無かったと感じた瞬間でもありました。

    それから岡山でデニム加工工場H社での勤務が始まります。

    H社は設立してまだ数年の若い会社でして、社長も若く、従業員も若い会社でした。

    まさしく、若い感性に囲まれた中での職場でした。

    1年目は生産ラインに入って作業を行ってました。

    そこで、様々な加工の手法を学び、身に付けていきました。

    同じ物作りでも、縫製と加工は考え方が大きく異なります。

    縫製は仕様書がきっちりしており、全てに細かい指示があります。

    (ミリ単位の指示)とにかく正確さが求められる仕事です。

    加工の仕様書はアバウトです。もちろん見本はあります。指示は「こんな感じ、あんな感じ」です。

    これをニュアンスと呼んでいます。

    データで測ることの出来ない(データはあるんですがその通りにしても上手く行かない)

    感覚的な世界なんです。

    インディコ染め、藍染めも同じ感覚かもしれません。

    一番難易度の高い仕事が色落とし加工です。

    薬品を使って手作業で色を落としていきます。

    薬品の濃度、気温、湿度、によって色の落ち方が異なります。

    一本、一本のジーンズも微妙に反応が異なります。

    まるでジーンズと対話するかのような仕事です。

    まっさらのジーンズに絵を書くように色を落としていき、穿きこんだビンテージジーンズ(それ以上)の

    迫力のある物を作っていました。

    ヒゲの一本、一本の微妙な濃淡差、グラデーションはまさしくアートだと感じました。

    中国でも同じ手法の加工はありますが、ここまでの繊細な作業は出来ません。

    メイドインJAPANのなせる技があります。

    1点でしたら時間をかければ、良いものは出来ます。

    しかし同じ感覚で同じ物を作る事が非常に難しいです。
   
    一日、数本しか作れない作業を黙々と続けなければいけません。

    2年目からは営業職も始めました。

    僕は職人希望でしたが、会社は営業を必要としていました。

    それからは毎日児島と会社の往復の日々が続きます。

    児島の様々な工場を出入りしては打ち合わせをして

    帰ってからサンプル作り、翌日納品みたいな毎日。

    ジーンズ業界の有名な方々と一緒に仕事を行う事が出来るのは、本当に楽しかったです。

    ジーンズ好きにとっては何事にも代え難い貴重な経験を積み重ねていきました。

    物作りも出来る営業が目標だったので、毎日自主的に遅くまで加工開発やったり

    新しいヒゲの型彫ったり、好きな事に没頭する毎日でした。

    そんな中、縫製工場出身のTさんと仲良くなり

    僕が「自分のジーンズを1本縫ってみたいから教えてくれ!」と情熱を伝えると

    Tさんは快く了解してくれました。

    普段は忙しくて時間が無かったので

    年末年始の連休を使って裁断と縫製、全て教えてくれました。

    Tさんは自宅でジーンズ1本縫えるだけの専用ミシンを全て揃えていました。

    一工程ずつ僕はメモを取りながら、忘れないように作業を行いました。

    そして丸2日かけて自分のジーンズを自分で縫製しました。

    これは今でも大切に穿いています。やっぱり愛着あります。じっくり穿いて大切に育てたい。

    Tさんはそれ以来、ぼくが縫製で困った時はアドバイスくれます。

    (師匠と呼びたいけど、呼ばせてくれません)

    3年目は完全に物作りに没頭した年でした。

    今までの経験やアイデアがどんどん形になっていき、結果が出せた時だと思います。

    その中でも、物作りの合同展示会「JFWジャパンクリエーション

    に出店出来た事はとても貴重な経験でした。

    加工用のジーンズ作りから本格的に行いました。

    生地の選定は、こだわりのセルビッチ使いではなく、定番の生地にしました。

    加工テクニック次第で良く魅せる事が可能なのを証明したかったのが理由です。

    縫製仕様は定番のリーバイス501の66モデル仕様でベーシック感を出しました。

    加工モデルの参考にした資料は当時業界で話題になった

    「DENIM LEGENDS」世界限定2500冊

    一冊 20万円以上の超高級アルバム。

    博物館級の歴代ビンテージデニムが盛り沢山載っています。

    合同展なんで目立たないと、お客さんは足を止めてくれない。

    中途半端な物を作っても意味が無い。

    トコトンやりきってみようと気持ちで、会社一丸となって製作しました。

    通常業務+展示会の作品作りで、毎日夜遅くまで残っての作業。

    展示会締め切り前日もギリギリまで粘って作業を行いました。

    お蔭様でJFWは大成功し、その当時の繊研新聞にも取り上げて頂きました。

    来場されたお客様にも好評でそこから新規の仕事も増やす事が出来ました。

    その後もサンプル作成業務を行っていきますが、工場勤務の為、

    量産出来る物作りというのが前提になってきます。

    もっとこだわりたいけど、量産するにはこれ以上は出来ないという

    ジレンマが大きくなっていきます。

    やっぱり、自分で自分の納得出来る物を生産したい!という気持ちが強くなっていきます。

    以前から知人、友人、お客さんの私物などはリペア、リメイクを個人的に行っていました。

    腕が上がってくると、依頼も増えていきました。

    量産品をやるときと異なった、個人への一本を仕上げたときに強い達成感がありました。

    「自分で生産したものを消費者へ直接販売したい。」という気持ちが強くなってきました。

    そしてこの個人事業でのジーンズリペア&リメイク業を始める事を思いつきました。

2010年 9月に4年半で岡山のジーンズ加工工場H社は退社いたしました。

    社長の寛大なお気持ちのおかげで、辞めた後も工場の設備の使用を認めて頂きました。

    工場の設備がないと出来ない特殊な作業はたくさんあります。

    私にとってとても感謝すべき事でした。


    
2011年 1月 自宅工房にて

    ジーンズリペア&リメイクhands-on 開始

    只今、ホームページ製作中
    
    ホームページよりオーダー受付の予定。




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hands-on プロフィール 学生編

2011年01月03日 | プロフィール

明けましておめでとうございます。

hands-onを今年もよろしくお願いします。



正月休みも納期に追われ、作業を行っています。

ホームページにもプロフィールを載せますが、書いていると長くなりすぎて、読みにくくなったので短くしてます。

その代わり、その全文はブログに載せます。

本を読む感覚でゆっくり読んで下さい。

まずは学生編です。どうぞ!




1975年 長崎県佐世保市生まれ



1988年 私が最初にジーンズを穿いたのは中学1年生の時です。

    周りの友達がおしゃれに気を使い出していた頃で、

       僕も何かカッコイイ洋服が欲しくて、親から1万円貰いました。

    実家は裕福な家庭では無かったのですが、

       確か「細かいのが無いからお釣り返しなさいよ」という意味でした。

    そして、一人で佐世保市の商店街のジーンズカジュアルショップへ行き適当に見ていました。

    当時はケミカルウォッシュのジーンズが流行っていました。

       2900円位の物がたくさん売っていました。

    そこで店員さんに勧められるがままに一本のジーンズを試着しました。

    なんかピッタリで色も濃くて流行のケミカルウォッシュよりも落ち着いていて大人な感じがしました。

    裾合わせが終わり試着が終わると、精算をする為にレジへ行きます。

    店員さんが「7900円になります。」

    「えっー、高いー、辞めます」って言ったら

       「もう裾切っちゃったよ、キャンセル出来ないよ!」でした。

    その当時ジーンズって3000円位の感覚だった私は

       (ジャスコとかダイエーで売っているのしか知らなかったから)

    値段を見ないで決めてしまいました。

    「まずい、えらい高い物を買ってしまった。」母ちゃんに怒られるという思いでした。

    そして私が買ったファーストジーンズはリーバイス606のスリムジーンズでした。

    その時の私はリーバイスがブランドジーンズかどうかも知らなかった!

    周囲の友達も持っているブランドジーンズはボブソンかビックジョンだったので

    自慢気に休みの日は必ずリーバイスを穿いていました。




1991年 高校生になる頃には周囲の友達も

       結構エドウィンやリーやリーバイスのジーンズを穿き始めていました。

    僕は周りとは違うカッコイイジーンズ欲しいなと思っていました。

    その頃から古着という物が流行り出していて、京都に旅行に行った時とある古着屋さんで15000円位の

       リーバイス501(新品同様)が売ってました。

    「なんで高いんですか?」の質問に

       店員さんが「これは古いモデルなんだよ後ろポケットのカンヌキが黒いだろ」

       って説明を受けました。
 
    「このマニアックなビミョーな違い、オールドモデル、カッコイー!」と思った私は購入しました。

    その後、ジーンズに詳しい友達に見せたら

      「これ、そんなに古くないよ、普通のリーバイス501にもたまに混ざってるよ」

    「15000円は高いよ

    と衝撃の事実を突きつけられました。

    それからです、悔しくてジーンズの年代別のディテールの違いを調べ出したのは。

    それから、バイトして貯めたお金で「今度こそみんなと差別化できるビンテージを買おう」と思い

       福岡市の天神へ出かけ行きました。

    当時はビンテージブームで福岡市の大名、天神地区には数十店の古着屋が密集してました。

    雑誌なんかで調べておいた情報をたよりに手書きの古着屋マップを作成していました。

    そして、一日古着屋巡りをして見つけたのが

       リーバイス501、66モデルのデッドストック(未使用品)ジャストサイズ、2万円!   
         
    ジーンズに2万円!当時の高校生には高いが頑張って買いました。

    地元、佐世保市にもジーンズにこだわりのあるNHというセレクトショップがあり、良く通ってました。

    店主のSさんに僕の66モデルを鑑定してもらおうと思い、たずねました。

    そしたら「これは66モデルの前期モデルだよ」と教えてもらい、

       前期がこうなっていて、後期がこうなっていると教えていただき、

    「2万円はかなりお買い得だね、5万円でも安いくらいだよ」と言われますます嬉しくなってました。

    そして次に店主が奥から出してきたのが、「リーバイス502デッドストック」

    「これはもう売約済みなんだけど珍しいから見せてあげる」と言われ

    説明を受けながらじっくり見ていました。「値段が5万2千円ってさすがに高いですね」って言ったら、

    「よく値段見てよ!52万円だよ!」と店主

       「ええーっ、52万円 ジーンズ1本、52万円、しかも売約済み!」

    僕はもうカルチャーショックでした。

    その店主は本当にジーンズに詳しくて、色落ちをかっこ良くしたければ洗剤なしで洗った方が良いとか

       洗った後は表面の毛羽取りでチャッカマンで焼いた方が良いとか、

       ジーンズの事を色々学びました。

    そして究極は「ジーンズを学生服の下に穿いて

       学校生活するとめちゃくちゃカッコ良く色落ちする」でした。

    その為にわざとサイズ大きめの学生ズボンを穿いていました。(もう変態ですね)

    それは当時、僕だけではなくてそのショップに通う友達もやっていました。

    休み時間に制服脱いで色落ち自慢し合っていたり、ホントバカでした。

    そのショップの店主Sさんの教えは絶対的な説得力がありました。

    (倉敷市児島でもSさんのショップNHはデニム好きの間では有名でした。)

    「ジーンズは汗を吸って色が落ちる!

       体の節々のアタリがでるのが一番カッコイイ」という美学がありました。

    店主の勧めで当時はまだ無名だった、店主Sさんの友人が立ち上げたDENIMEという

    こだわりのデニムブランドのGジャンを購入します。

    「DENIMEと書いてドゥニームと呼ぶんだ。デニムの語源はフランス語なんだよ」
 
       とか、豆知識貰ったりしてました。

    今度はこれを毎日着たまま寝るという作戦をしました。

    シーツにデニム色が移って親に叱られたりしていましたが、

    やっぱり色落ちの良いGジャンのするのが楽しくてやめられませんでした。

    そんな事をしながらいつかお金を貯めて

       ジーンズの最高峰オリジナルのリーバイス501XXが欲しい!

    という想いは強かったです。





1995年 1年間の辛い浪人生活を経て(高校時代ホントに勉強しなくて)、花の大学生になった私は古着屋がたくさんある

    福岡県福岡市の大学に進学しました。

    高校でテニス部だった私は大学はテニスサークルへ入ります。

    そこで知り合った友達にジーンズの良さを語り、次々に友達をジーンズ好きにさせていきます。

    そして、友達と一緒にDENIME(ドゥニーム)のジーンズを買っては、

       テニスウェアの下にジーンズを穿いて

    色落ちを競ったりしていました。

    ビンテージ古着熱も上がっていき、数ヶ月に一度、

       バイトで貯めたお金で長崎県や熊本県や広島県まで

    古着屋巡りツアーを楽しんでいました。

    そして、長年の目標だったリーバイス501XXを買うべく、当時、西日本で最大の古着ファッション街

    大阪のアメリカ村へ行く事にしました。

    2泊3日くらいかけて501XXを探しまくり、

       とうとうジャストサイズの501XXに出会いました。値段は5万円!

    ボロボロで状態は良くなかったけど、修理して穿けば良いかと思い、購入!

    福岡に戻って、穿けるようにジーンズに詳しいショップへリペアに出しましたが、

       ショップの方が501XXを見ると

    「これは高いビンテージなので修理できません」って断られました。

    そこで、おばちゃんが経営している街のお直し、リフォーム屋さんへ持って行きました。

    お直しの説明をして、修理に出すこと1週間、

    仕上がったジーンズを見てショックを受けました。

    XXの象徴である、隠しリベットが無い!!

    ビックEの赤タブが無い!!

    おばちゃんは「ポケット付け直すのに邪魔だったから、あの金具は外したよ」

    赤タブは「そんなの有ったっけ?」でした。

    糸の色使いも何だか、違うような気もしていました。

    「お直しに1万円以上出してこの結果かよ!」って感じで

    この時にビンテージジーンズ専門の直し屋があればと思ったものです。

    気を取り直して、この501XX君を毎日、自慢気に穿いていたのですが、

       なんか次々に違う所から穴が空いてきて

    すぐにボロボロになってしまいました。

    この時に、破れた穴だけ修理しても、穿いているとその周りから破れてくるのを体験しました。





1998年 大学4年生の時に就職活動を行うのですが、

       就職先はジーンズ関係と決めていました。

    一番行きたかったのはリーバイスジャパン

    これだけ今までビンテージジーンズを愛してきて、根っからのリーバイスファン。

    「ここしかないでしょ」と思っていました。

    そして、新卒採用試験の問い合わせのTELをすると、

       「弊社は新卒の採用を行っておりません

    「弊社は欠員が出た場合のみ募集をかけます」と事務的な対応。

    「ガーン!!」いきなり夢破れる!!

    (リーバイスは入りたくても入れない人沢山いると思います。)

    こうなりゃ、「ジーンズメーカーならどこでも」、

       と思って国内のナショナルブランドメーカーを受ける

    E社、B社、BJ社

    みごとに落ちました。

    リーバイス=オリジナルジーンズという概念が出来上がっていて、

       他社のジーンズについて熱く語る事ができませんでした。

    頭を切り替えて、「リーバイスのジーンズ扱うならメーカーでなくても良いや」と思い

    将来ショップを経営したいから、小売業が一番良いかなって事で、

    その当時、まだ九州では1店舗しか出店してなかった

      (株式上場前)ジーンズ&カジュアルR社を受けました。

    1次選考通過!

    2次選考通過!

    (筆記試験があって「知っているジーンズブランド書きなさい」ってのがあって、

       そこだけたくさん書いたのを記憶してます。)

    最終選考は京都まで行きました。

    「全国勤務ですがどこへでも行けますか?」この事を何回も聞かれました。

    「好きな事を仕事にするんで、どこへ行っても大丈夫です。」と答えていました。

    そんな感じで、みごと就職内定

    就職内定が決まったのは大学4年生の7月頃でしたが、卒業出来るかまだ分かりませんでした。

    遊んでばかりの大学生活で不足単位のシワ寄せが4年生にやってきます。

    商学部で一応ゼミにも入ってました。

       (みんな1年くらいかけて卒業論文というのを書きます。)

    僕はギリギリまで何も準備していなかった!

       (たくさん残された他の科目の勉強で余裕が無かったというのが本音。)

    題材を考えていたけれど、思い浮かばない。

    「ジーンズだったら商学部だから有りなんじゃない?」と思って10月頃に教授にかけあいました。

    そしたらOKでした。(一人だけ卒論の準備していない僕に同情してくれたに違いない)

    テーマは「ジーンズの歴史とその発展」だったと記憶してます。

    自分の得意分野だから、すらすら書けました。

    雑誌とかも今までのスクラップ引っ張り出したり、詳しく書いてある本を買ったりして調べました。

    1ヶ月位、自宅に閉じこもりワープロと向かい合う日々、

       中間確認する時間も無く一気に書き上げる。そして完成!

    そして、論文の結果はなんと「」でした。情熱が通じたのでしょうか?

    (T教授ありがとうございました。卒業できたのはT教授のおかげです。)
    

    次回、社会人編へ続く



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