はんどろやノート

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賢治のシャープペンシル

2008年02月25日 | はなし
 宮沢賢治が、山を歩き、そのときに、手帳とシャープペンシルをぶら下げていたと知ったのは10年位前、鳥山敏子著『賢治の学校』を読んだときだった。その時から、えっシャープペンシルってそんなに昔からあったの?と気になっていた。最近、賢治のことを調べ始め、その出所は草野心平編『宮沢賢治研究』にあると判った。たしかに「シャープペンシルを首からぶらさげ…」と書いてある。草野心平(詩人)は賢治の文通の友人である。宮沢賢治の記念館かなんかに行けば、そのシャープペンシルは見れるのだろうか。

 いま、小学校ではシャープペンは使ってもよいのだろうか。中学ではどうなのだろう? 
 僕のときは、小学生時には、シャープペンなど見たこともなかった。中学でそれを見るようになったが、値段が高く、学校では使用禁止とされた。高校になると千円以下の値段になってだれでも買えるようになり、ほとんどの人が使うようになった。
 僕はといえば、流行に一歩でも乗り遅れるとガンコに見向きもしないという老人的な性格のため、教室でひとり、鉛筆を使っていた。休憩時間などに鉛筆を削っている姿が、クラスメイトの眼に焼きついていたらしく、3年生になって、誕生日か何かでもらったシャープペンシルを使っていると、「あっ、○○がシャープペンを使っている!」と、いちいちたくさんの人が驚いていたという思い出がある。

 そんなふうなので、「シャープペンシル」が発明されたのは、僕の子ども時代だと思っていた。ところが、大正時代、宮沢賢治はそれを使っていたという…。
 どういうことだろうか?

 調べてみよう。wikipediaしか資料がないが、それでもずいぶん新発見があったので紹介してみよう。

 なんと、「シャープペンシル」の「シャープ」は、家電メーカーの「シャープ」だったのだ! シャープの創業者である早川徳次という人が金属製繰出鉛筆を発明しこれを「シャープペンシル」と命名して売り出した。1915年のことである。
 すると賢治が持っていたものはこの「早川式」なのだろう。賢治が山を歩いて詩を書いていたのは1920年代だから。

 1922年、早川徳次は過労のため一度死にかけたが血清注射(当時はめずらしかった)により命拾い。翌年1923年9月の関東大震災の際、本人は九死に一生を得るが、家族を失い、工場も焼けてしまう。それで「シャープペンシル」の権利を日本文房具に売却。(そういうわけで、今、シャープという企業は「シャープペンシル」を作ることができないわけだ。)
 早川徳次は、その後、大阪で早川金属工業研究所を設立。初めは日本文房具の下請けの仕事をしていたが、アメリカ製の「ラジオ」というものを見て、ラジオ製作にチャレンジ。1925年日本のラジオ放送が始まった年、この国産第一号の鉱石ラジオは爆発的に売れたという。早川徳次はこの製品に「シャープ」というブランド名を付けた。(それだけ「シャープ」って言葉に愛着があったってことかな…)
 というながれで現在の家電メーカー「シャープ」がある。
 
 そうすると、シャープペンってのは、日本人が発明したのか!? ってことになるが、それは違う。もともとこのアイデアは古くからあって、1822年イギリスで発明、とwikipediaにはある。早川徳次の100年前だ。それに彼なりの改良を加え日本での特許をとったのが「シャープペンシル」というわけだ。だから外国では「シャープペン」ではない。ただし韓国では「シャープペン」だそうだ。

 日本でシャープペンが流行ったのは1970年代で、それまで流行らなかったのはやはりコストの問題だろう。何千円も出すのなら、万年筆を買うものね。


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