「青空の社会学」

小選挙区制はトリックの選挙制度です。
比例代表制が民意を鏡のように反映させます。

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☆「憲法」の心とは何か?

2014-08-25 | 政治
☆「青空の社会学」 目録(リンク)






1、「憲法」が不得手、無関心な日本人。
(「憲法」とは良く「共生」していくためのルール)


日本では(近代)憲法の導入が150年に満たないために「憲法とは何か?」、「民主主義とは何か?」という意識が西欧社会に比べて極めて遅れています。およそ生活の中で実感できないのではないでしょうか?

フランスの家庭では、政治の話、法の話、移民問題などを日常的に話し合っているので、その結果国民が政治や社会問題に高い関心を持っているそうです。
若い層の政治への関心も高く、大統領選挙の投票率もいつも80%前後以上とのことです。

☆政治不信と投票率の低下!(日本)

一方日本では友達同士や家庭の中で議論や意見を交わすのは少ないようです。
投票率も特に20~29歳の若者の投票率は30%台です。日本では特に若者を中心に無関心、政治不信、民主主義の崩壊が進んでいます。



又、
「小選挙区制」の導入以来(1994年)投票率は極端に低下(50%台まで低下)し、史上最低の投票率を記録中です。
「小選挙区制」の区割りは「1票の格差」が夥しいため
最高裁判決で「違憲判決状態」を下していますが、未だに大政党は政党の利益から正す姿勢が見られません。

「1票の格差」は「小選挙区制」を止め、「比例制」にすればすっきりと解決するのですが、大政党の党利(水増し議席)のために、「比例制」にすることができないでいます。

(注) 「小選挙区制」は平成8年から実施


「小選挙区制」は当選者が一人だけのため、大方が最初から当選者が決まっています。そのために支持率が低いにもかかわらず、一人だけが当選になります。



従って(投票所に行っても)当選者以外の候補に投票した全ての票は切り捨てられることになります。大方の票が切り捨てられて、(大勢の)民意を反映することができません。

投票に行く(有権者の)意欲も減退しています。そのため急速に政治不信、民主主義の崩壊が進んでいます。



2、「日本国憲法」の心(精神)とは何か? その一。
(侵略戦争の反省=「国家権力の暴走」から生まれてきたもの)


憲法とは、権力の組織や権限、統治の根本規範(法)となる基本原理・原則を定めた法規範をいいます(「法的意味の憲法」)。
「憲法」は時代や統治機構によって異なります。

「日本国憲法」は第二次世界大戦の終結の中から生まれてきたため、とりわけ「平和主義」の色彩を強く打ち出しています。



また大日本国憲法下での君主(天皇を中心にした「国家権力」)による戦争への暴走を深く反省しています。
そのため「国家権力」の歯止めとして、国民主権を強く打ち出し、国民が国家権力へ義務を課す「立憲憲法」となっています。

そして「国民主権」の理念として、(「国家権力」)は国民の基本的人権を永遠に侵すことの出来ないものとして明記しています。

日本国憲法はまさに、夥しい命(2000万人のアジア人の命と310万人の日本人)を奪った戦争の深い反省の中から生まれてきたものです。



3、「日本国憲法」の精神(心)とは何か? その二。
(多様な人々が良く「共生」していくためのルール)
「日本国憲法」はまた人間同士が共存(共生)していくために、人権という価値を認め合って、お互いに尊重しあうことを強調しています。
それは「人間には誰にでも生きる権利がある。それを正当な理由をなくして奪ってはならない」というルールです。

例えば子供や女性、お年寄りなどは社会的弱者ですが、それぞれに生きる意味があり、そのかけがいのない価値を認め合いより良く共生していくためのルールです。

こうしたルールがなくては「人間社会」は力の強い者が勝つジャングルと同じ世界になってしまうからです。



☆「違う人と共に(より良く)生きる!」

(「憲法」は協調性と友好、対話、議論を求めている!)


日本国憲法の基本原理は「国民主権」、「基本的人権の尊重」、「平和主義」です。そしてこの基本的原理を支えているものは「個人の尊重」です。
「個人の尊重」は「個人の尊厳」(人間の尊厳)ともいわれ、日本国憲法の根源的な部分です。

多様な人々が共生(共存)していくために、伊藤真氏は
「人はみな同じ」、「人はみな違う」と言う説明をしています。
「平和外交」
☆「人はみな同じ」、「人はみな違う」
(「より良く生きるための知恵」)


豊かな人も貧しい人も、健康な人も傷害のある人も、大人も子供も、人種や性別も、また異なる宗教や考え方でも、一切が関係なく、誰もが個人(人間)として尊重されるべきだとしているのです。その意味で「人はみな同じ」ということです。

「人はみな違う」とは例えば子供の世界を見ても、かけっこの遅い子、早い子、勉強のできない子、できる子、体育や音楽の得て不得手な子、どの子供をみてもそれぞれの二つとない個性があり、それを認めるということです。

同様に人間には人種や肌の色、文化や風習、言葉や宗教などありとあらゆるそれぞれの個性があります。それらを認め合い協調して(時には議論し合い)より良く共生していくことを願っているのです。



☆「同質性だけ」の排除と、「少数派」の尊重。

例えば「同質性」だけを目指すようになると、「男性だけで集まりましょう。女性は別です」 「健常者だけで集まりましょう。障害を持った人は別です」 「金持ちだけで集まりましょう。貧乏人は別です」
「日本人だけで集まりましょう。外国の人は別です」というような恐れがあります。

「同質性」だけの排除

そしてこうしたことで社会の中にどんどん壁が作られていき、分断され、差別や排除の引き金になっていくことを心配しているのです。

「少数派」の尊重とは、あらゆるところに「多数派」と「少数派」が存在しますが、より良く共生していくためには多数決で決定しますが、「少数派」もかけがいのない価値を持っており、十分に尊重(反映)することが大切だと言っています。

「少数派」の尊重

ましてや「多数派」であることをもって「少数派」を侵害する(「多数派」による専制)ようなことは決してあってはならないと言っています。

〈最後に〉
「憲法」の心とは、自分(達)の権益だけに囚われず、他者や少数者、社会的弱者にも思いやり、配慮をくばり、協調性を持って「共生」していく心です。


又別の言葉で言えば、老若男女、宗教や考え方の違う人達、利権の違う人達も、様々な人々が「共生」して生きていく心です。
それは仏や神の広い心にも通じているかもしれません。



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