浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

一粒の籾

2009-06-26 08:30:08 | Weblog

  ~ 一粒の籾 ~


「一粒の籾」を春の水田に投じ、静かに観察すれば、

やがて芽が出て最初の一株が数株に増え季節と共に成長し、

やがて秋には稔るであろう。

これは「一粒の籾」であっても命を持っている証である。

この命は私達の命と全く「同質同根」の命である。

彼等は文句も言わず愚痴もこぼさず、

私達の生命の糧となってくれている。

唯一の違いはそれが「動的」であるか「静的」で

あるかのみである。

もし、私達が「籾」の立場だったとして、

彼らのように自らの命を他の命の保持のために

何の文句も愚痴も言わずに

差し出すであろうか。

答えは「否」であろう。

私達もたまには「自己保存」「自我我欲」の生活を

「止観」する時間を持ち、

お茶碗に盛って頂いた米粒ひと粒ひと粒を心静かに眺めれば、

おそらく胸に熱いものが込み上げてくる筈である。

米粒ひと粒、小魚一匹、野菜一切れ、動物、植物、鉱物(水)の

命を戴く事により、私達の命が保持されている事実を

誰も否定出来ないであろう。

彼らに報いる唯一の道はその命に対し感謝し、

無駄にしないと言うことである。

戴く前に合掌する形だけのものではなく・・・

あなた達の命を戴かせてもらいますが、

私の血となり肉となって私と共に魂の修行に励んで下さいと

心の中でお願いし,

戴けば私達に大きなエネルギーを与えて下さることでしょう。




         ~ 感謝・合掌 ~





浄心庵 長尾弘先生



この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 匙は味をしらない | トップ | 思念は自由なれど・・・ »
最新の画像もっと見る

Weblog」カテゴリの最新記事