浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「御垂訓」

2018-02-18 23:54:13 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

   恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


        第五章 心の曇りをとるための反省

       父母の恩を知り孝養を尽くすべき

先の続き・・・

親の自愛は、自分を捨ててでも子を守ろうとし、
自分は食べなくても子に食べさせようとし、
自己を犠牲にして子を育てようとしてくださいます。
これこそが「神の御心」です。
「あなたの父と母は私があなたに与えたあなたの父と母である。
ゆえに、あなたの父と母を敬い、尊び、その言葉にしたがう者は、
私を敬い、尊び、私の言葉にしたがうものである」と、
神様はおっしゃっているそうです。
親に逆らうことは神に逆らうことになりますから、
それでは当然ながらうまく行きません。
常に両親は神様であると思わせていただくのがいいのです。

私が反省させていただき、幼い頃のことを思い出しますと、
やはり三歳以前の私にとっては、お父さんは男の神様、
お母さんは女の神様でした。
これはみなさんもそうです。
反省して三歳頃までさかのぼりますと、
幼い心でそのことを知っているのがよくわかります。
だんだん成長していくにつれ、自我が働き、
親の言うことを聞かくなります。
ところが、親に背いて幸せになった人には、
あまりお目にかかれません。
ある時期は幸せのように見えても、
心や環境に苦しみを味わっておられるのは、
神様に背いてきたからです。

たとえ親が「烏は白い」というふうに、
黒いものを指して白いと言われたとしても、
「ああ、白いですねえ」と、子は受けるべきなのです。
無茶苦茶を言っている親を子が受け容れた時、
親は必ず反省してくださいます。
親に背くから親子の喧嘩が起きるのです。
両親は神様だと思わさせていただいたら、間違いないと思います。
「ああ、そうですか」と、受け容れた時、親は改めてくれますから、
親の値打ちを上げるのも下げるのも子供の言葉、想念、行為、
生き方の中にあります。
親に喜んでいただくように生きた時、
「親バカ」という昔からある言葉のように
もう自分のことのように親は喜んでくれます。


            ~ 感謝・合掌 ~


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「御垂訓」

2018-02-18 00:17:26 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


   第五章 心の曇りをとるための反省

   父母の恩を知り孝養を尽くすべき

先の続き・・・

次に揚げる「父母恩重経」には、
親の無条件の愛がどういうものかが説かれております。

吾が腹から心せよ。
山より高き父の恩。海より深き母の恩。
知るこそ道の始めなり。
子を守る母のまめやかに、吾がふところを寝床とし、
かよわき腕を枕とし、骨身をけずる哀れさよ。

美しかりし若妻も、幼な子一人育つれば、
花の芳せいつしかに、衰えゆくこそ悲しけれ。
身を切る如き冬の夜も、骨さす霜の暁も、
乾ける処に子を廻し、濡れたる処に己れ臥す。
幼き者の頑ぜなく、懐汚し背を濡らす。

不浄を厭う色もなく、洗うも日に日に幾度かや。
己は寒さに凍えても、着たるを脱ぎて子を包み、
甘きは吐きて子に与え、苦きは自ら食らうなり。
幼な子乳を含むこと、百八十石を越すとかや。
まことに父母の恵みこそ、天の極まり無きが如し。

父母は吾が子のためならば、悪行作り、罪重ね、
よしや地獄に落ちるとも、少しの悔いも無きぞかし。
もし、子遠くに行くあらば、帰りてその面見るまでは、
入りても出ても子を想い、寝ても醒めても子を想う。
髪くしけずり、顔ぬぐい、衣を求め帯を買う。

美しきは皆子に与え、父母は古きを選ぶなり。
己れ生あるそのうちは、子の身に変わらんこと思い、
己れ死に行くそのあとは、子の身を守らんこと思う。
寄る年波の重なりて、いつしか頭の霜白く、
衰えませる父・母を、仰げば落つる涙かな。
ああ、有り難き父の恩。子はいかにして報ゆべき。
ああ、有り難き母の恩。子はいかにして報ずべし。


     ~ 感謝・合掌 ~




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