離れ人ママキの、奇妙な放浪と生活。

現実と非現実が錯綜し入り混じる。狂気と妄想のカレイドスコープ。

土用の丑の日に、うな丼を食べずに読む。

2017-07-29 13:30:52 | 日記


うなドンはうな丼では無く、謎多きうなぎの生態を解き明かすために、悪戦苦闘する自分たちをドンキホーテに見立てた言葉だった。ドンキホーテと言っても、ドン、ドン、ドン、ドンキー。ドンキホーテーではなくって、セバスチャンの小説にでてくる風車小屋を悪魔だと思って決闘を挑む、ちょっと天然の騎士の事。

ウナギは不思議な魚だ。長年、どこで産卵しているのかも分からなかった。実は降下回遊魚で、日本から3000キロも離れたグアム島沖の海山で産卵している。卵から孵ったウナギはレプトセファルスという幼生体になって海を漂い、やがてシラスウナギに変態して日本を目指す。なんでそんな面倒なことをするのか分かっていない。
そんなウナギの生態の謎を解くべく、3人の学者が、未だ標本の無いメガストマというウナギを求めて南の楽園タヒチに行き悪戦苦闘するという話。



長山 潤著 うなドン( 南の楽園ににょろり旅 ) 講談社

話が浅い。悪戦苦闘すると言っても、リゾート地のタヒチだ。公園で遊んでいるのと大差ない。
TVのバライティー番組で、アウトドアなんかしたことの無い、若手お笑い芸人3人が川で本格的なキャンプをしながら、未知の生物を探すみたいな内容になっている。
3人の学者のドジっぷりも、笑いを取るために放った、苦し紛れの一発ギャグみたいで、いまいち笑えない。
ウナギの不思議な生態について、もっと突っ込んだ専門的な話が聞きたかった。
学術調査と言ってもこんなものなのか、と分かったことが良かったかな。
あまり面白く無い本は読むのに時間がかかる。一気に読めないから、途中で退屈して他のことを始めてしまう。でも、読み始めた本は最後まで読まないと気が済まない。
そしたら、本の終わり間際にとても興味深いことが書いてあった。

そぞろ神の物につきてこころを狂わせ、道祖神の招きにあって取るもの手につかず、、、
松尾芭蕉『 おくのほそ道 』のう一文である。ここに生物の旅、すなわちウナギやサケ、アユやヒトの旅の原点があるという。
未だ諸説あるものの、生物的には、自身の生き残りや繁殖に有利な環境への移動が定常化し、魚類で言うところの回遊現象が生まれたとされる。すなわち、生物の移動には合理的な理由があると考えるのだ。
しかし、先生は言う。
そぞろ神ってホントにいるんじゃないかなぁ。ほら、なんか突然、どこかに行きたくなることってあるでしょう。そんな時は、そぞろ神が耳元で囁いているんじゃないかなって思うんだよ。
初めてこの話を聞いた時、そんなバカなと思った。アフリカの草原で草を食むゾウや、水底を漁る水鳥、ゆったりとした淵にいる身を潜め、流れてくる昆虫を待つ魚たちが、近所付き合いや将来への不安にストレスを感じ、
「 ああ、こんな生活もうイヤ、どこか誰も知らない土地へ行ってみたい 」
などと思うものだろうか?しかし、よく考えてみれば、それは個体数が増え過ぎて競争が激しくなったり、環境が悪化したりすることと同義である。現在の状況に不満を感じた生物が、そこから脱出しようとすることは極めて妥当な行動であろう。すなわち、動物の旅の原初の形は、こうした脱出行動によるものである。
仮に・旅に出ることが生物にとって普遍的に必要な行動だとすれば、それは長い歴史の中で、遺伝子に組み込まれていくだろう。すると、生物がなんらかの不都合に遭遇したとき、この遺伝子にスイッチが入り、旅に出ることになるのだある。すなわち、その遺伝子こそがそぞろ神の正体なのだ。

ケッ。暑くってやってられないぜ。オレはバカンスに行くからさ、あとは頼むぜ。と言って、仕事を放棄してどっかに行ってしまうのは、遺伝子のスイッチが入ってしまったからだったのだ。( 多分、関係ない。 )

この話と関連した話がある。ラジオでタレントの武田 哲也さんが喋っていた。

この場所にこの時刻に来てくれって打ち合わせするでしょう。すると必ず一人か二人遅れてくるやつかいるんですよ。
腹が立つんですよね。なんで決められた場所に決められた時間に来ることぐらいのことができないのかって。
だけど、ある本を読んでいたら、これは全滅をまぬがれるための仕組みではないかって言っているですよ。
極端な話、打ち合わせ場所に時間通り全員が集まったら、そこにもし、隕石が落ちたとしたら全滅じゃないですか。
でも遅れて来るやつがいれば、そいつは災厄を免れ生き残る。そして皆んなの意思を受け継いで行きていくんです。
この時刻に遅れて来るという行動は、長い進化の中で会得されたもので、遺伝子レベルで決められた仕組みじゃないかって言うんですよ。
ネイチャー番組で、天敵に遭遇したイワシの群れがひとつの塊になっている様子が出るじゃないですか、あれをよく見ると全部のイワシが群れているわけじゃなくって、全然関係ないところを泳いでいるやつもいるんですよ。
アッ、こいつは生き延びるだろうなって思いますね。

この二つの話をまとめると、群れの中には群れの行動に従わない逸脱した個体が必ずいるということ、それは偶然では無く、そうなるように遺伝子レベルで仕組まれている可能性があるということ。

ある環境があるとする。それがどんなにいい環境であっても、みんなそれに適応してしまったら、その環境が失われた時に絶滅してしまう。だから常に不適応者を内包して保険にしている。

小魚の群れが川鵜に襲われているところを見たことがある。
仲間が次々に食べられているのに、小魚は群れで泳ぐことにこだわり続けた。
なぜ?バラバラに泳いで行った方が、生き延びる確率は上がるはず。
小魚が群れを作って泳ぐメリットってあるのだろうか?天敵に見つかりやすいし、見つかったら一網打尽になってしまう。

僕が小魚だったら、仲間が食べられている隙に群れから離れて岩陰に隠れるな。
卑劣な行動だと思う?
仲良く一緒に死ぬより、ひとりで生きていく道を選ぶ。

全滅は免れるだろ。
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