猫屋敷の無駄ブログ

現在、我が家は猫3匹。もう猫屋敷とは呼べませんけど。。。

猫の尻尾

2007年11月23日 | Weblog
十市さんのリクエストにお答えして、現在の我が家で唯一ストレート尻尾のククルちゃんの後ろ姿の写真です。

すでに亡くなってしまいましたが、パイプ君の尻尾も美しいストレートでした。
長男アカ君は先っぽがほんのちょっと曲がってましたが、ほとんどわからない程度のストレートでありました。
あとは、半分から鉤型に曲がっているもの、何重にも曲がってお尻をこすっているかのようなもの、団子状のもの、ほとんど無いに等しいもの、さまざまであります。
ストレート以外のものはすべて、無いものまで含めて、『尾曲がり猫』と呼ぶらしいですよ。

昨年のさるくガイドさんのお話で、長崎に尾曲がり猫が多いのは、鎖国時代唯一の貿易窓口であったためと、実は私も初めて知った次第であります。

世の中には、いろんなことをリサーチなさるえらい学者さんもいらっしゃるようで、元京大の野澤謙さんという方は、全国歩いて統計を取ったということです。その統計表をまたわかりやすくウェブ上に公開なさってる方もいらっしゃるし。(笑)
この表を見ると、長崎県の猫の八割近くが尾曲がりであることがよくわかられると思います。
この野澤先生、なんでも尾曲がり猫のルーツを求めて海外までリサーチなさったとか。
で、結論は、『尾曲がりネコの原産地はアジアの南東マレー半島からインドシナの島々にかけて』なのだそうで、それ以外の地域では尾曲がり率が極端に減少していくらしいです。
中国や韓国の留学生も、そういやうちの猫たちの尻尾見て、大変珍しがっておりました。

それから、飼い主が尻尾の形を変えることなんてできっこありませんから。母猫の体の中ですでに尻尾は形成されて誕生してくるんですよ。
あ、これは、とある方から、「なんで尻尾をこんな形にしたんですか?」なんてとんでもないことを言われた経験がありますもんで。

下の写真を見てください。
正面右側のククルと左側のアーク、二人とも同じ父親の遺伝子を持って同じ母親から同じ日に生まれたのに、尻尾も毛色も性格(笑)もぜ~んぜん違うのですよ。


しかし、今日は勤労感謝の日ですよね。
この日は日頃働いている人たちをねぎらう日のはず。
けど、亭主は展示会の立ちんぼに出かけ、私はこうやって店番しながらブログなぞ書いている。
なんで、日頃働いてもいないこやつらが、あいも変わらず日がな一日こんなやっているんだろ?
どうせ猫にゃ平日も祝日も関係ないのよね~~~

急に

2007年11月21日 | Weblog
風が冷たくなってきました。
日曜日に台所にホットカーペットが登場したら、もう月曜日にはガスストーブが登場してきました。

床暖があるのに、ホットカーペット?
なぜならば、床暖は五時間以上の連続運転ができないために、人間が家にいる時以外使用できないのです。
はい、あくまでも猫様達のためであります。
本当はあやつらが足にくっつけてくる泥やら砂やらで、カーペットよりも床暖のほうが汚れにくいのですが、根性なしの我が家の猫様達には冬の必需品なのです。
そして、昼間はほぼ一日中フルタイム稼動。
天気が良くて気温が少し上がったからとスイッチ消すと、いやいや外に出てきて日向ぼっこをしはするのですが・・・
でもスイッチつけると、あっという間に屋内に戻ってきます。
贅沢・・・

さて、ストーブですが、今年の灯油は18リットルで現在1,600円越え。
灯油を買いに行く気が起きません。
高いですねぇ。
ほんとは、灯油のほうが暖かいとわかっちゃいるんだけど、しばらくはガスで我慢しとこうなんて考え中なのであります。

おタマの後姿も、「イマイチやねぇ」とでも言いたげなのでありますが。。。

日見峠越え

2007年11月12日 | Weblog
♪~日見で火もろうて 矢上で焼いて~♪
かなりローカルではありますが、長崎に伝わる江戸時代のわらべ歌、長崎街道の歌であります。
長崎は昔から陸の孤島。出るには船を利用するか、日見の峠を越えるかでありました。
そして、その日見峠。昔は西の箱根とも言われるほどの難所であったとか。
大正15年には日見トンネルが開通し、以来峠を通る人は途絶えたらしい。
今まで一度は峠を越えてみようと思いつつ、なかなか重い腰をあげかねておりましたが、昨日は腹決めてチャレンジしてみました。
路面電車の終点「蛍茶屋」から出発。地図上は4キロちょっとの道のりです。
いよいよトンネル入り口、つまり峠の登り口にさしかかると、工事中通行止めの看板。それでもここまで来たからにはと、登り始めました。
民家の前でバトミントンしている親子連れがおりまして、「この先は通行止めですか?」とたずねると「日曜だから工事はお休みですよ」と返事をもらいました。その時の小学生の女の子の一言が「何しに行くと?」
すべては、この一言に集約されております。
トンネル通ればすぐなのに、なんで?う~ん、通ってみたかったからとしか言いようがありません。
しかしその後、坂の傾斜が一段と凄まじくなってきました。道はコンクリートで舗装されてはいるのですが、滑り止めの階段状の筋が細かく刻まれております。足が動かないとかではないのですが、息が上がってしまって胸が苦しくなってきて、一休みすればもうそこから動けなくなりそうで、ただひたすら歩き続け、坂を登りきった所でとうとうへたばって・・・
亭主からは、「口ほどにもない」とか「情けなかなぁ」とか蔑みのお言葉を多々頂戴しましたが、言い返す元気も失せるほどの坂でありました。
確かに体力が落ちている。なんとかせねば。。。
まあ、それは今後の課題でありましょう。

遠くに長崎の町が見えます。よくまあこんなところにまで家が建っているもんだ。この付近の住民の方達は、よほど足が丈夫なんでしょうね。
そして、民家も途絶えた頂上付近は完全に山の中です。その山の中に関所がありました。


あとは日見宿目指して下る一方ですが、途中20名以上はいる大パーティーと遭遇。
お互い心の中に相通じるものを感じて「こんにちわ~」「こんにちわ~」と声掛け合いながら、すれ違いました。
その時思ったこと。
昔々に思いを馳せながら、山登りする。
これぞ熟年の正しい休日の過ごし方なんじゃなかろうか?
な~んてね。


大宰府さるく

2007年11月05日 | Weblog
昨日は夫婦して大宰府さるく。

まずは水城(みずき)
天智天皇が白村江の戦いで唐・新羅連合軍に破れた後、大和防衛のため築いた土塁堤の跡。
高速道路からもはっきりとわかる1キロ少々続く人工の木立を、是非一度間近でゆっくりと見たかったのです。
土塁上の木立の間には、隠れるように墓所がありました。相当に古いものもあり、やっと読み取れた文字は文政年間のもの。一番新しいものは平成四年というものありましたが。
昔の官道は現在は市道となり、車が往来しております。
現在の感覚で言うと、相当に内陸部に作ったもんだと思われるのですが、海の方向は見渡す限りの福岡平野が広がり、古代の人たちにはここが適当と思われたのでしょうね。

続いて大宰府政庁(都府楼)跡
広い公園内ではそれぞれ散策したり、お弁当を広げたり、子供達が走り回ったり。
園内にある昭和40年代の航空写真を見ると、一面の田んぼや民家があったようで、それをここまで整備するのにどれだけの苦労があったかと、つくづく偲ばれました。

都府楼通りの散策路を歩いていくと、官衙(かんが、今で言う職員住宅)跡、学校院(官僚養成校)跡と続き、その先には観世音寺があります。
ここは、天智天皇が、百済を授けるために九州の地にやってきた母君の斉明天皇が崩御されたため、菩提を弔うために建立されたとか。
なんでここでよその国を「授ける」と表現されているのか、少々引っかかりを感じましたが、その古さといい格式といい、とにかく西日本随一とも言われたお寺であったのは確かで、木造の鐘楼には国宝の指定を受けている梵鐘が金網に守られて下がっておりました。
そしてその隣の戒壇院。
双方とも、相当に古く維持費用の捻出には苦労しているようでありました。
浄財として、千円を備え付けの封筒に入れ、住所氏名を書いて、賽銭箱に入れてまいりました。
木造の古い寺には、柿色の実がたわわに実った柿の木が実に良く似合う。この雰囲気をなるべく後世まで伝えてほしいと思う気持ちでありました。

それから場所を移動して天満宮の駐車場へ。
昼食はふと目に付いた、九州ラーメン総選挙(?)一位受賞と書かれた「暖暮」という店へ。
なかなかにおいしかったのでありますが、我々夫婦には少々味が濃くて喉が渇いたかもです。
段々と薄味嗜好となりつつある己の体を感じつつ、4人の甥っ子姪っ子が全員無事に上の学校に落ち着くことができたお礼とご報告を、道真公へ申し上げに行きました。

そして、光明禅寺。
一滴海庭と呼ばれる裏庭の石庭がお目当て。
本当は紅葉してると、よりすばらしかったのでしょうけど、残念ながら今年は相当に遅れているようでした。
しかし、こういう空間、なんとも言えません。
日本人の美意識を具現するとこうなるのでしょうなぁ。


紅葉はいまだとわかりながらも、それから竈戸(かまど)神社へ向かいました。
「春はもえ 秋はこがるる かまど山」
社殿へと上る石段の右側は桜、左側はもみじが続きます。
ここは、大宰府の鬼門に当たり、宝満山とも呼ばれ、1時間かけて山頂まで上れば、玄界灘も見えるらしいのですが・・・
山頂からはいかにも登山者の格好をした人たちが、三々五々降りてきておりましたが、皆さん一様にかなりくたびれたご様子でありました。
この山登る時は、それなりの覚悟して来なきゃだなと、昨日はあきらめた次第でありました。
国立博物館の「本願寺展」ものぞいてみたかったけど、それも無理。
朝8時に家を出ても、大して回れなかったなぁと考えながら帰宅いたしました。
最後にかまど山で1本だけ色付いていたもみじの写真を。

旅立ち

2007年11月01日 | Weblog
明後日文化の日は幼稚園のバザーです。
本日、我が家で今年五月から七月の間に生まれ育った84匹、そして従妹に分けて育ててもらった50匹、合計134匹が旅立ちました。
従妹と一緒に不思議がったのですが、数が微妙に減っておりました。
死骸も見当たらないのに全くのミステリーです。
共食い?ヤゴ?足でも生えてどっかに脱走した?

まあ、それはさておいて、幼稚園の子供達が無事育ててくれるんだろうか?
大変疑問ではありますが、きっと中には大事にしてくれる家庭もあるものと信じております。

さようなら(; _ ;)/~~~
そしてどうか元気でいてね~~~