猫屋敷の無駄ブログ

現在、我が家は猫3匹。もう猫屋敷とは呼べませんけど。。。

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大宰府さるく

2007年11月05日 | Weblog
昨日は夫婦して大宰府さるく。

まずは水城(みずき)
天智天皇が白村江の戦いで唐・新羅連合軍に破れた後、大和防衛のため築いた土塁堤の跡。
高速道路からもはっきりとわかる1キロ少々続く人工の木立を、是非一度間近でゆっくりと見たかったのです。
土塁上の木立の間には、隠れるように墓所がありました。相当に古いものもあり、やっと読み取れた文字は文政年間のもの。一番新しいものは平成四年というものありましたが。
昔の官道は現在は市道となり、車が往来しております。
現在の感覚で言うと、相当に内陸部に作ったもんだと思われるのですが、海の方向は見渡す限りの福岡平野が広がり、古代の人たちにはここが適当と思われたのでしょうね。

続いて大宰府政庁(都府楼)跡
広い公園内ではそれぞれ散策したり、お弁当を広げたり、子供達が走り回ったり。
園内にある昭和40年代の航空写真を見ると、一面の田んぼや民家があったようで、それをここまで整備するのにどれだけの苦労があったかと、つくづく偲ばれました。

都府楼通りの散策路を歩いていくと、官衙(かんが、今で言う職員住宅)跡、学校院(官僚養成校)跡と続き、その先には観世音寺があります。
ここは、天智天皇が、百済を授けるために九州の地にやってきた母君の斉明天皇が崩御されたため、菩提を弔うために建立されたとか。
なんでここでよその国を「授ける」と表現されているのか、少々引っかかりを感じましたが、その古さといい格式といい、とにかく西日本随一とも言われたお寺であったのは確かで、木造の鐘楼には国宝の指定を受けている梵鐘が金網に守られて下がっておりました。
そしてその隣の戒壇院。
双方とも、相当に古く維持費用の捻出には苦労しているようでありました。
浄財として、千円を備え付けの封筒に入れ、住所氏名を書いて、賽銭箱に入れてまいりました。
木造の古い寺には、柿色の実がたわわに実った柿の木が実に良く似合う。この雰囲気をなるべく後世まで伝えてほしいと思う気持ちでありました。

それから場所を移動して天満宮の駐車場へ。
昼食はふと目に付いた、九州ラーメン総選挙(?)一位受賞と書かれた「暖暮」という店へ。
なかなかにおいしかったのでありますが、我々夫婦には少々味が濃くて喉が渇いたかもです。
段々と薄味嗜好となりつつある己の体を感じつつ、4人の甥っ子姪っ子が全員無事に上の学校に落ち着くことができたお礼とご報告を、道真公へ申し上げに行きました。

そして、光明禅寺。
一滴海庭と呼ばれる裏庭の石庭がお目当て。
本当は紅葉してると、よりすばらしかったのでしょうけど、残念ながら今年は相当に遅れているようでした。
しかし、こういう空間、なんとも言えません。
日本人の美意識を具現するとこうなるのでしょうなぁ。


紅葉はいまだとわかりながらも、それから竈戸(かまど)神社へ向かいました。
「春はもえ 秋はこがるる かまど山」
社殿へと上る石段の右側は桜、左側はもみじが続きます。
ここは、大宰府の鬼門に当たり、宝満山とも呼ばれ、1時間かけて山頂まで上れば、玄界灘も見えるらしいのですが・・・
山頂からはいかにも登山者の格好をした人たちが、三々五々降りてきておりましたが、皆さん一様にかなりくたびれたご様子でありました。
この山登る時は、それなりの覚悟して来なきゃだなと、昨日はあきらめた次第でありました。
国立博物館の「本願寺展」ものぞいてみたかったけど、それも無理。
朝8時に家を出ても、大して回れなかったなぁと考えながら帰宅いたしました。
最後にかまど山で1本だけ色付いていたもみじの写真を。
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4 コメント

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うわぁ♪ (jasmintea)
2007-11-05 20:52:38
何てうらやましい!
私も行きたかったです~~。
やっぱり実際に見ないとつかめないことってありますよね。
私が一番興味ある時代の史跡です♪

もう紅葉している場所もあるんですね。
こちらも段々標高の高いところから低いところへ移りつつあるみたいです。
九州の紅葉ははなさんのblogで楽しむことにします^^
紅葉 (はな)
2007-11-06 14:18:37
かなり遅れてますよ。
先日日曜日は、竈戸神社は例年ならば「もみじまつり」とのことでしたが、あまりの色付のなさにとりやめにでもなったようでした。
いったいいつになったら紅葉するんでしょうね。

一番興味ある時代ですか?
天智天皇が、実はこの大宰府やら水城やら作ったのは、外国との戦は名目であって、実は九州を完全に大和朝廷の傘下におさめるためであったとする説もあるのです。
大宰府が海から相当に遠い場所に作られた意味、そうなると少し理解が変わってきません?
・・・と、少し興味引きそうなことも言っておきます。(笑)
雑学 (はじめ)
2007-11-07 13:00:59
私は学生の頃勉強嫌いで全然勉強しませんでした
特に日本史なんて未だに解りません

しかし、料理業界で料理を勉強すると
歴史と料理は必ず密接な関係が在ります。

古代の時代から戦争は他の領地を奪う事で
金銀財宝と「食材」を手に入れることなのです

例えは「サフラン」これは中東や東アジアが多く取れます
オスマン帝国時代にこのサフランが金より効果で
オスマン帝国が支配していました。
其のサフランと中国のお米を使って「ピラウ」が出来
スペイン王国でパエリアに成り
フランスでピラフに成りました。

日本で言うと「日本食」をどの時代までさかのぼって言うかで変わります

肉を食べない日本
味噌・醤油が無い日本
お米が無い日本

はなさんの日記時代で言うと
多分、ひえ・あわが穀物として食べられ
魚・貝類と海草・野菜も野野菜そのくらいしかない時代で
味付けは塩のみですね

私は22歳からプレンチを独学で学びました
それが歴史の勉強とつながりました。「大まかですよ」

今日本の洋食が全世界で求められています
世界各地に無い日本独特の料理
フランスでは洋食を作っても「日本料理」なんです
日本人が作るものはね
ハハハ
まるで (はな)
2007-11-08 13:55:36
我々が バケットをフランスパンと呼んでるようなもんでしょうね。(笑)

稲の伝来は、教科書で3~4世紀と習いましたので、大和朝廷成立の少し前。ですから米はあったと思いますが、確かに庶民の口にはいっていたかどうかまではわかりませんね。
天智天皇は7世紀の人です。中大兄皇子という名のほうが有名かも。

料理史から歴史を見るというのも、なかなか面白そう。

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