じぶんの人生に花丸を。

物忘れが多い老人の備忘録。

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このブログを終わりにします

2016-06-15 | 最後のお知らせ

今回で、このブログを終わりにします。

自分の意識を保つため、
思い浮かんだことを、ただひたすら書き、
調べたことをとりあえずコピペメモしてきたのですが、

なんだか同じようなことを、繰り返し書いたり(笑)

気持ちが変わって、記事を削除したり・・・(^_^;)

記事数も増え、PCに放り込んだ下書きメモも増え、
先日からそれを読み返したのですが、
内容がバラバラで、頭がついていきません。

 

実は加齢のためだけでなく、病気のために、
脳が普通の人とは違う状態で " お馬鹿 ” になっております。
(多分、同じ病気の方にしかわからないと思います)

まとまりのある、限られた分量の文章しか読めません。

そして、一つまた一つと、
ちゃんとつながった言葉しか、理解できないのです。

これは整理し、まとめてからアップしないと、
過去記事もつながるように整理しなければ、

自分が読んでついていけないブログなど、
自分にとって意味がない。

そう考えて、作業に取り掛かったものの、

・・・すぐに諦めました。

こういう作業は、
" お馬鹿な脳 ” にとっては、かなり負担になるようで(^_^;) 

そこで、ここはこのブログと下書きメモから
最低限・必要不可欠な言葉だけ選び、

新しいブログに移すなら、何とかいけるんじゃないかと。
昨日思い付き、そうすることに決めました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

さてさて、病気の老人のブログをご覧下さったみなさまに、心からお礼申し上げます。

読んで下さる方がいらっしゃる。
それが嬉しかったり、励みになりました。


本当は、脳をもっと休ませるべきで、
ネットにアクセスする時間も制限すべきだったのですが、

今までは、「PCの前に座ること・タブレットを見ること・ブログを書くこと」。この3つを第一優先にして、脳によくないことを続けてきたわけです。

それでも読み続け、書き続けたおかげで、
最近は何となく、新しい出発点にたてそうな気がしてきました。

わたしや子どもが、なぜ理不尽な攻撃を受け続けたのかとか、
今の病気を治したいとか、
そんなことはほとんど思わなくなりました。

世の中にはいろいろな人がいて、

病気は治るものなら治る。
治らないものなら治らない(笑)。 

これからは、
今までとは、すこ~し違う生き方をしていこうと思います。

乱暴な言葉になりますが、
ずっときゅうくつに感じていた常識とはすっぱり縁を切り、

自分勝手に、自由に、シンプルにいく方が
ずっと楽しいんじゃないか・・・と思い始めました。

残りの時間、どう過ごしていくか?

そんなことを少し意識していこうと思っています。

 

またどこかでブログを始めます。

今度は、思ったこと・感じたことをそのままで、
100%ぶっちゃけて。

ネットとつながる時間を減らし、

今までとは違うことにもっと時間を振り向けたらどうだろう。

ちょっと試していこうと思います。

なので、ブログにあまり時間をかけず、
読まれることもを考えにいれず、
自分さえわかればいい簡単なメモを、つけるつもりでいきます。

このブログはこのまま、残しておきます。
いろいろな、いい思い出の記録なので。

では、10ヶ月の間、ありがとうございました。

それではまた。 

追記: 2016.7.11

「自己紹介」も含め、更に、20個位の記事を削除しました。ここに残しておく必要もなくなったので。 お二人が下さったコメントも消えてしまいましたが、お許し願います。

もうこのブログをご覧になる方は少ないと思ったので、読者登録して下さっていた方のリストも先日削除しました。お詫び申し上げます。 

追記: 2016.8.24

「自己紹介」は、新しく始めたブログに移しています。

引越し先のブログは ⇒ 半分は共病記&半分は雑記帳

 

 

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何を食べ何を見、何をするか?

2016-06-06 | 自己発見みたいなもの

一昨日、突然、頭に浮かんだ言葉が2つ。

じぶんが選べることは、

・何を食べるか

・何を見るか

・何を調べるか

・どんな人と、どんなふうにつきあうか? だ。

 

ブログを書く時は、

  ゆうゆうと、

  ゆったりと、

  堂々と 書く。

じぶんの気持ち思いを、正直に出す。

引け目やどう思われるだろうか・・・など気にしない。

できるだけ「書いて、気持ちがすっきりする、心地よい文章」をめざす。

人のためではなく、じぶんのためにだ。

 

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今日、ブログをざっと読みかえしてみたら、
これは削除しようと思ったのが4つ出てきた。

削除した中から、残しておきたい言葉だけをここに残す。 

 

何かを、するか・しないか は、自分の心に訊く。

・それをすると 気分がよくなるか?

・それをすると ほっとするか?

・それをすると 体がラクになると感じるか?

Yes であればする。
No であればしない。しない、と決める。


そして、面倒だと感じる時は、それを「しない」。

面倒な努力はしないーと、心に決め、ためらわずに「しない」を選ぶ。

 

 

 

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第七章 癒しのエネルギー 力の源泉メモ2

2016-06-03 | 仏教などのメモ

『心の治癒力―チベット仏教の叡智』第七章から引用メモ。(勝手に色づけしています)

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癒しのエネルギーを目覚めさせること

P156~157:

・・・・じぶんの身体は、驚嘆すべき素晴らしいものだ、と考えなさい。皮膚、骨、筋肉、神経、内臓、生命の奇跡のために必要な何兆という細胞。そのすべての素晴らしさを感じなさい。

科学的に精確かどうか、こだわる必要はない。イメージは、じぶんがいいと思う程度に、描けばいい。瞑想によって治癒力を引き出すための鍵は、じぶんの身体は、膨大なエネルギーと回復力に満たされた素晴らしい場所だと感じ、信じることだ。・・・・


肉体の一個の細胞から想像を始めるのは、とても役に立つ。細胞の中に入り、その素晴らしい生命力を見たり、感じたりするのである。細胞の大きさを感じなさい。想像しなさい。細胞を、宇宙全体とおなじ大きさだと想像してもかまわない。

・・・・・・・・・・・細胞の豊かさと美しさに感謝しなさい。

身体は、驚くべき強さと治癒力をそなえている。美しく驚異に満ちた、無限に豊かな場所にいるのだと感じなさい。


輝く光、平和に満ちた感覚、祝福の音によって、身体や心の中の暗闇や、寒さや、痛みや、圧力や、悲しみや、不調和が、すべて癒されたと想像し、感じなさい。細胞はすべて温かく、至福感に満ちており、一体になって生動し、饗宴をくり広げている。・・・・温かい安らぎに満ちた光を浴び、日なたぼっこをしなさい。その感覚に、くりかえし、もどりなさい。 


日常生活における癒しの光とエネルギー

P158~P161:

自然の光を喜び、感謝することは、気質や瞑想の熟達度にかかわらず、誰にでもできる。太陽の光。そして一年の季節によるその微妙な変化。美しい日没。月の光。星の光。一日のなごりの柔らかい輝き。


生きていることの広大な感覚を楽しみ、身体を伸ばし、リラックスし、解放しなさい。自由に呼吸していると、自然にエネルギーが輝き出す。そのままにしておきなさい。動きを誇張する必要も、心配の重荷もない。そのことを感じなさい。・・・・

・・・・指一本の動きすら、光とエネルギーの戯れであり、喜びであり、祝福であり得る。

 

瞑想を学んでいる人たちは、ある癒しの実践が「じぶんに向いている」か、あるいはじぶんは「正しいやり方」でやっているか、よくわたしにたずねる。どんなときでも、リラックスした解放感をもたらすような瞑想をすればいい。光の存在を意識することは、癒しのエネルギーを湧き起こらせるための一つの方法だ。


それ以外にも、方法はたくさんある。肉体的な活動は、生命にバランスをもたらし、エネルギーを引き出すための偉大な方法だ。歩く、ハタヨーガ、体操、踊る、歌う・・・・・それらはすべて人生を祝福し、健康をもたらしてくれる。

(引用終わり)  

 

 

 

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第七章 癒しのエネルギー 力の源泉メモ

2016-06-01 | 仏教などのメモ

『心の治癒力―チベット仏教の叡智』第七章から引用メモ。(勝手に色づけしています)

原題は、「The Healing Power of Mind: Simple Meditation Exercises for Health, Well-Being, and Enlightenment

第一章のおさらい

P25~P27:

・・・・内なる智慧こそがあらゆる癒しの源泉である。その扉を開けば、癒しの日光、温かさ、そして柔らかいそよ風が流れこんでくる。

癒しのエネルギーの源泉は、自己の内部にある。だから、いつでも触れ、分かちあうことができる。・・・

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力(=癒しの力)の源泉

P148~149:

ほとんどどんな癒しの瞑想においても、決定的に重要なのは、苦悩の変容を助けてくれる「力の源泉」からやってくる加持や祝福やエネルギーを、信頼することだ。


力の源泉は、自己の内部にそなわっているエネルギーや智慧を、癒しのために活性化させる道具ーー方便ーーである。仏教なら、さまざまな、仏像や、イメージや、加持のエネルギーを使うのがいいだろう。ほかの宗教を信じているなら、じぶんの信仰にしたがって、神のヴィジョンや聖なるイメージを使ってもいい。 

 

プラスのイメージであれば、自然、エッセンス、力、太陽、月、宇宙、水、川、海、空気、火、木、花、人間、動物、光、音、匂い、味など、どんなものでも、力の源泉たり得る。

じぶんに勇気と癒しの力を与えてくれるエネルギーであれば、どんなものでもかまわない。 


一般的には、霊的な存在(ブッダ、処女マリア、あるいは母なる女神)の姿のほうが、普通の対象よりも、大きな効果がある。究極的な平和と普遍的な心理の喜びを表現し、体現しているからだ。

 

力の源泉を決めたら、瞑想を始める前に、何日も、力の源泉について考え、そのエネルギーとの間に絆を確立する必要がある。それから、実際に癒しの実践ーーこれについては第二部で説明するーーを行うときには、体験し、信じることによって、エネルギーとの間に絆を新たにするといい。  

特定の力の源泉をイメージすることによって、緊張がひきおこされたり、狭苦しさやストレスを感じたら、たとえそれが本来は聖なる対象であったとしても、見方がまちがっているのである。・・・・それでは、問題をやわらげる助けにはならない。ほかに何かいいと思うものを見つけたら、じぶんの欲求や精神的・感情的な成長に応じて、変えてもかまわない。


人によっては、助けてもらおうとイメージを頼りにするのは、文明人のじぶんにはふさわしくないと思うかもしれない。何かイメージしたり、瞑想したりするのは、じぶんの外部に何かを「でっちあげる」ことだと考えているのである。だが、真実は逆だ。イメージを使うことによって、まだじぶんでも触れたことがなかったような、自己の強さを引き出す手がかりが得られる。 

どんな形やイメージを力の源泉として選ぶかは、あまり問題ではない。なぜなら、そういうイメージをつうじて、実は、自己の内なる知恵に触れようとしているのだからだ。


大切なのは、この知恵を信頼し、それに向かって、じぶんを開くことである。みずからの内なる知恵こそ、宇宙の真の本質からの祝福に満ちた贈り物だ。力の源泉を成長させていくにつれ、多くの問題を作り出す原因となっている、狭くこわばった態度や感情はほぐれ、癒しに開かれた肯定的な心が成長する。 


力の源泉を瞑想することによって、温かさや平和や力を感じられるなら、その力を、感情的、精神的、霊的な困難を癒し、心の強さを育てていくために使うことができる。

 

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感想メモ:

こっちの過去記事で、しんどい時は、ママァ~ と呼びかけるママがほしくなる(笑)と、書いたが、

著者の意見によれば、ママは、じぶんの中にいることになる。まだじぶんが気づいていない「じぶんの中にある知恵とエネルギー」になる。 わたしの中にも、あるのだろうか・・・・・

まずは、どんなイメージが自分に一番、ぴったりするか。

そのイメージ探しをすること。

温かさと平和と、柔らかい風を感じさせてくれるもの。

 

* 方便とは:

仏教用語。 原義は近づく,到達するの意。 仏陀が衆生を導くために用いる方法,手段,あるいは真実に近づくための準備的な加行 (けぎょう) などをいう。 加行=修行
「衆生を教え導く巧みな手段」あるいは「真実の次元に導くための便宜上の教え
仮の方法


* 加持とは

元はサンスクリット語のadhisthana(アディシュターナ)の訳語。

原語には、寄りそって立つ、住処、などの意味。仏が、信仰する人=信者の素質に応じて働きかけることが加、信者が仏の力を受けとめ持つことが持、相応し関わりあうことで加持となる。仏の大悲の力が衆生に加えられ、一方衆生の信心が仏に伝わることでその効果を発揮するとされる。

 

 

 

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第六章 肉体の病に、どう対処するかのメモ2

2016-05-31 | 仏教などのメモ

前回 の続き。
『心の治癒力―チベット仏教の叡智』第六章から引用メモ。(勝手に色づけしています)

:::::::::::::::::::::::::::::::::::::

P142~143:

病気によって、孤独を感じているときには、じぶんから外に出なさい。友人や家族や周囲の人、誰とでもいいから、関係をむすぶように努力しなさい。起き上がって、ふたたび世界にくわわりなさい。それは素晴らしく効果のある薬だ。

起き上がれなかったり、痛みを感じているときには、電話を取って誰かに話しかけなさい。

できれば、勇気を与える本を読み、心を新鮮に蘇らせる音楽を聴き、花や絵の美にながめいり、窓から降りそそぐ光の美しさに目をやりなさい。

勇気が与えてくれるものを、何も見ることができなければ、じぶんの愛する人か物のことを考えて、幸福を感じなさい。幸福を感じているとき、あなたは、癒しに向かう道を進んでいるのである。

また、じぶん以外の病気の人のことを考えてもいい。・・・・・・

怒りや恐怖や落胆が生じてきたら、どれほど強く、また長く続くもののように見えても、やさしく向かいあいなさい。激しく荒れ狂う感情すら、忍耐によって、癒しのエネルギーになり得るからだ。

我慢できないと思うなら、その気持ちもプラスに考えなさい。なぜなら、それはよくなりたいという気持ちのあらわれだからだ。 

 

P144~145:

すべての病気を治したり、「直す」ことはできない。結局のところ、身体は旅の宿のようなものだ。しばらくそこに住んでいることはできる。だが、それが終われば、いつかは去っていかなければならない。わたしたちはみな死ぬのである。けれど、たとえ、あと数ヶ月、あるいは数日しか生きられないとしても、死にいたる末期の病であっても、それをチャンスだと考えることはできる。 

じぶんが死につつあると自覚することは、本当に恵みであり得る。なぜなら、そういうときには、完全にじぶん自身のために悲しみ、身体が健康だったときにはむつかしかったようなやり方で、じぶんを開くことができるからだ。愛する者たちを、どれぐらい大切に思っているか、しゃべることができる。もつれかえった関係を修復することもできる。現在じぶんが手にしている小さな瞬間の中に、価値を見出すことができる。

 

死そのものもまた深い癒しであり得る。たとえ死にいたる状況が困難に満ち、また肉体的な苦痛があったとしても、平和を味わうことはできる。人生のすべては、執着を解き放つ過程であり得る。死もまたその例外ではない。

 

とはいえ、生命を、あまり早々と手放さないように。じぶんの生命という貴重な贈り物を大切にしなさい。もしも生きられる可能性があるのなら、回復は可能だと心に言い聞かせ、そうしようとはっきり決心しなさい。ついに死の王が身体を支配し、死の魔に呼ばれたら、行かなければならない。それがものごとの自然というものだ。けれども、ときにはちょっと死神をだますことだってできる。名前を呼ばれたからといって、すぐに返事をしなくてもいい。

 (引用終わり)

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2016/5/30 午後4時半すぎ、ベランダから見た空。

 

前にも書いたが、青い空・白い雲・風や光にあふれる空を見ると幸せだ。空も大地も、地球も太陽も、わたしの幸せのためにあるわけではない。それぞれの物理的法則(?)に従って、たまたま今のかたちで存在して、たまたまいのちに恵みを与えてくれ、わたしに幸せを与えるだけだ。

いつ頃こんな青い空ができたのか? と夫に聞いたら、28億年ぐらい前じゃないかと言った。

そうか・・・28億年、この美しい空が続いているんだ。

昨日はがんばって、個人的な資料庫の中の、CFSとFMの記事を読み返し、夜まで延長してPCで調べた。疲れすぎて吐き気と気分の悪さで寝付けず。

わかったことは、

・マクロファージによって取り込まれて断片化された抗原が、T細胞を刺激する結果、サイトカインが作られる。 

・サイトカインは多機能的。炎症性サイトカインと抗炎症性サイトカインがある。

・炎症性のサイトカインが増加

・T細胞のうちで機能の低下したナチュラルキラー細胞の増加

・ストレスと、免疫システムと、内分泌腺と、脳内神経伝達物質は、めちゃめちゃ絡み合い、相互依存の関係にあるようだ。

 

痛みと鎮痛の基礎知識 - Pain Relief
http://www.shiga-med.ac.jp/~koyama/analgesia/

というサイトを、読んでいくことにした。(「転載も自由ですが、内容には責任がとれません。このノートにある情報を鵜呑みにせずに、得たい情報を調べる足がかかり程度とお考え下さい。」と書いてあります。)

回復は可能だと心に言い聞かせ、

そうしようとはっきり決心しなさい。

この言葉が胸に響く。



 

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