ハナママゴンの雑記帳

ひとり上手で面倒臭がりで出不精だけれど旅行は好きな兼業主婦が、書きたいことを気ままに書かせていただいております。

悲しい知らせ

2016-10-30 18:35:51 | 日記

昨日(10月29日土曜日)午後半ばに早番から帰宅したら、

悲しい通知が待っていました。

ドイツの友人クラウスからの、母親のルイゼが亡くなったというお知らせです。

明日(10月31日月曜日)がお葬式だそうです・・・・・。

 

私たちの愛する妻、母、義母、祖母であるルイゼ・グルーバー(1935年5月6日-2016年10月25日)は、

家族が見守る中永遠の眠りにつきました。 私たちは深い悲しみに沈んでいます。

グルーバー家と親族一同

 

 葬儀は2016年10月31日月曜日にローゼンハイム墓地で執り行われます。

レストラン・クロムバッハでルイゼを偲びつつコーヒーをご一緒していただきたくお願い申し上げます。

 

  

“私を探すのなら、あなたの心の中を探しなさい。 私の居場所がそこにあるのなら、私はあなたの中で生き続けます。”

 

 社会人になりドイツ旅行を夢見ていた私はクラウスと知り合い、1984年11月、生まれて初めての海外旅行でドイツを訪れました。

(30年前の初ドイツ 前編 / 後編

彼はそんなどこの馬の骨かもわからない私に、家族ぐるみで親切にしてくれました。

ルイゼ(右から3人目)はあのとき49歳だったことになります。

左から私、クラウスの友人、クラウス(手前)、クラウスの妹アリシア、クラウスの奥さんハイジ、ルイゼ、クラウスのお父さんヘルマン、クラウスの母方のお祖父ちゃん

 

20代の私はその後も毎年のようにドイツに遊びに行き、クラウスの両親はそんな私を快く泊めたうえ観光にも連れ出してくれました。

 

 ドイツでは高齢の親は娘夫婦と暮らすケースが多いそうで、当時はルイゼのお父さんが同居していました。 といっても屋内で2世帯になっていて、

玄関だけ共用。 クラウスのお祖父ちゃんは小ぢんまりした一人用フラットのような、家の中にある独立した住居で暮らしていました。

下右は、旅行中のアリシアから預かったオウムのローラを霧吹きで涼ませてあげるルイゼ。

 

 私の父が亡くなり、一周忌を済ませたその足で1998年に母に渡英してもらい、ひと夏を一緒に過ごしました。

母・ムスメ・私の三人でドイツにも旅行し、クラウスの一家にも会うことができました。

 2004年夏、ムスメと私だけでドイツへ。

 

 

 2006年にも、ムスメと私でドイツへ。

 

 それ以降は会う機会がないまま、すでに10年になっていたんですね。

3年前にヘルマンが送ってくれた下の写真が、私にとっては最後のルイゼの写真になってしまいました。

左からアリシアの夫ヴィルヘルム、彼とアリシアの娘ユリア、アリシア、クラウス、ハイジ、ルイゼ、ヘルマン。

 

今年2月付のヘルマンからの手紙では、ヘルマンが視力の衰退により車の運転をあきらめねばならず、代わりに

ルイゼが運転するようになったと聞いていました。 だからまだまだ元気でいてくれると思い込んでいました。

久しぶりに来年あたりはグルーバー家の皆に会いに行こうと思っていたのに・・・・・

 

私にとってルイゼは、ドイツのお母さんを代表する存在でした。

いつも優しい笑顔で迎えてくれ、ドイツに行けばそこにいるのが当たり前の人でした。

もうドイツに行ってもルイゼに会えないと思うと、とても悲しいです。

 でも私の悲しみなんて、ご家族の悲しみとは比べものにならないことでしょう。

 

今日お悔やみカードを買ってきました。

ルイゼのお葬式に心を馳せつつ、明日投函しようと思います。

 

 

= 記事中の氏名はすべて仮名です =

 

 

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