ハナママゴンの雑記帳

ひとり上手で面倒臭がりで出不精だけれど旅行は好きな兼業主婦が、書きたいことを気ままに書かせていただいております。

同じ誕生日

2015-09-24 22:49:51 | 仕事

《 おことわり: 今回の記事は、個人的見解を含みます。 気分を害された方がおられたら申し訳ありません。 》

 

先月私は、仕事中に泣いた。

7年半前に高齢者用精神病院で非常勤HCA(Health Care Assistant=介護ヘルパー)として働き始めて以来、二度目。

 

初めてのときは、左目に頭突きをされた。

4年前の12月のある日のことだった。

それがまた、その年の夏に網膜剥離の日帰り手術を受けていた左目の方だったから、

痣が残るようなひどい頭突きではなかったけれども、

(なぜよりによって左目を・・・・・) と思ったら泣けてしまった。

網膜剥離が再発したらとしばらくはビクビクしていたが、

幸いそうはならず、ほっとした。

 

先月は、2:1(Two to One=スタッフ2名で一人の患者さんを見守る)の最中だった。

口元に笑みを浮かべながら廊下をゆっくり行ったり来たりしていたMさん(男性)は、74歳。

いきなり私の右手首をつかみ、反時計回りにねじ上げた。

あまりの痛さに、咄嗟に声が出なかった。

何とか手首をほどいて逃れたが、目が潤んでしまった。

仕事中に泣くなんてみっともないので嫌なのだが、涙を止められなかった。

苦痛はもちろんあったが、涙が出てしまうのは、苦痛以上にショックのせいではないかと思う。

 

・・・長身のDさんに靴下を履かせようとしていて胸元を蹴られたときは、耐えたんだけどな。

 

 

すべて認知症患者さんにされたこと。

左目に頭突きをしたJさんは入院してきたばかりで、私は靴下を履かせるため、

椅子に座ったJさんの前にかがみ込もうとしていた。

奥さんと有資格ナースも付き添っていたのだが、いきなりのことで止め様がなかった。

その後投薬治療で状態が落ち着いたJさんは、小柄で丸顔の話好きな優しいお祖父さんだった。

老人介護施設へと退院していき、そこで亡くなったと聞いた。

 

Mさんは、認知症と診断されたばかり。

暴力性が出てきたため奥さん一人の手には負えなくなり、入院となった。

背が高めだし、今どきの70代はまだまだ元気で力も強い人が多い。

暴力的になったときスタッフ一人では不十分なため、2:1である。 (眠っている間は1:1。)

2:1や1:1はスタッフの間で一時間毎に交代するのだが、忙しいときや

スタッフに欠員が出た(仕事に来るべきスタッフがシフトをドタキャン)ときは、二度回ってくることも多い。

入院当初は不穏状態がずっとひどくて、身体抑制をせざるを得なかったことも何度かあったそうだ。

鎮静剤を経口で服用してくれない場合は、4人がかりで身体抑制をしての筋肉注射となる。

 

《 資料画像: 身体抑制 》

(病棟で働くスタッフは、年一回 『身体抑制法』 のトレーニングを受けなければなりません。)

 

たとえ相手に悪気がなくても、暴力を振るわれるってやはりショックだ。

認知症患者が暴力を振るうようになったら、在宅介護は無理だろう。

私だって、もしオットーが認知症を発症して暴力を振るうようになったら、一人で介護は絶対無理。

認知症の夫を在宅介護していた奥さんが、旦那さんに殴打されて亡くなったというニュースもあった。

心配して様子を見にきたお隣さんが、血まみれで床に倒れて亡くなっている奥さんと、

訳がわからず救急車や警察を呼ぶという発想もないまま途方に暮れている旦那さんを発見したという。

 

非情な認知症。

その人本来の人格を奪い、人を変えてしまう。

自分が何をしているのかの認識がないまま、他人に暴力を振るう。

男性に限ったことではない。 女性だって、暴力的になる。

70歳の女性患者さんに手首をねじ上げられて骨を傷めた同僚は、4ヶ月も休職しなければならなかった。

旦那さんを編み棒で刺そうとして入院してきた90歳女性もいた。

そういう状態に私がなったら、ぜひぜひあの世に行かせて欲しいと思う。

『安楽死』 ではない。

尊厳の無くなった 『生』 など続けたくないが故の、尊厳を守るための、『尊厳死』 だ。

 

最近は50代の患者さんも珍しくない。

50代半ばのLさんは、入院してきてから認知症と診断され、号泣したと聞いた。

Lさんの立場だったら私だって泣く――号泣する――だろうから、気持ちはよくわかる。

私は心配性だしどちらかというと悲観的なので、『認知症にかかったって幸せに生きられる』 などとは思えない。

認知症病棟で働くことにより、現実を見過ぎてしまったせいだろう。

 

 

最近認知症病棟から、私と同じ誕生日の女性患者さんが老人介護施設へと退院していった。

私より9歳上なだけの、62歳の方だった。

私は今後も一人旅で外国を訪れるつもりでいたけれど、

残された時間は思ったよりずっと短いかもしれないと、改めて思い知らされた。

(50代で認知症にかかることも有り得る)と漠然とは思っていても、なかなか実感は沸かない。

同じ誕生日の方をお世話して、初めて現実が見えたというか・・・・・

 

私は尊厳死賛成派です。

人の手を借りて食べさせてもらい、排泄の後始末をしてもらい、

なおかつ私を助けてくれる人に暴力を振るうようになってまで、

生きていたくない。

 

否、その状態になった私は “生きている” のではなく、 “存在している” だけ。

私の世話をしてくれている人に暴力を振るう私は、もはや私じゃない。

私という人格が回復の見込みがないまでに失われてしまったら、それは人格が死んでしまったということ。

人格死です。

その状態になったら、惰性で存在を続けるよりあの世に行かせて欲しい。

人間いつかは必ず死ぬんだもの。

私のために将来使われるであろう医療費は、回復の見込みのある他の人のために使って欲しい。

介護施設で “存在” を続けるために貯金を切り崩すくらいなら、その分ムスメに遺してやりたい。

 

だからといって、尊厳死を選ぶ方法はあるのか?というと・・・・・

あるんです。

皆さんもうご存知かもしれませんが。

 

これからしばらくは、尊厳死を記事のトピックにしたいと思います。

(しんどいトピックなので、たぶん毎回ではありませんが。)

 

 

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コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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たしかにしんどいですね。 (フト丸)
2015-09-26 11:57:08
大変なお仕事なさっているんですね。
大男なんかに暴力を振られた場合、
「私の人権を何だと思ってやがるんだこのでくの棒めが!!
私の幸福と安全は国家により保証されるものなんだぜ知らないのかアホ!!!
貴様なんかに見くびられたらご先祖様に申し訳が立たん!!」
って言うしかないですよね。

私は医療従事者でもなんでもないのですが、
認知症になると初期段階で本人は「物忘れが酷いんだ」と周囲に先ず訴えてくるんですってね。
そこでまずは物忘れ外来を受診して、早期?の治療を行い進行を遅らせる努力をする・・だったはずです。
これって周りの協力が必要ですよね。

そしてハナママゴン様達病院スタッフのの心のケアも必要ですよね。
返信する
残酷な病気 (ハナママゴン)
2015-09-27 06:57:44
暴力を振るわれると、「本来のこの人じゃないんだ」と頭ではわかっていても、やはりムカッとするし凹みます。
「でくの棒!アホ!」 言えたらスッキリするだろうなー。
というか、心の中ではいつも言ってます!?

HCAは肉体労働だし、そのうえ暴力の被害を受ける可能性も常にあるから、
いつまでもできる仕事じゃないな~と思っています。
自分自身が介護される年齢に徐々に近づきつつあるし。
退職しても、未練はなさそうです。
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