ハナママゴンの雑記帳

ひとり上手で面倒臭がりで出不精だけれど旅行は好きな兼業主婦が、書きたいことを気ままに書かせていただいております。

ベトナム戦争の“Napalm Girl” ①

2012-07-09 22:12:50 | 戦争

1972年6月8日。
21歳の若きベトナム人カメラマン、ニック・ウトは、サイゴンから西北西に40kmほど離れたチャンバンの村外れの1号線道路にいた。
AP通信のカメラマンだったウトは、同じくAP通信のカメラマンだった兄を7年前にベトナム戦争で失っていた。
北ベトナム軍に占領されつつあった南ベトナムのその地域。村人は、南ベトナム軍が辛うじて守備していた寺院に三日前から避難していた。
しかし南ベトナム軍の空軍パイロットは、人々を敵と誤認し村に空襲をかけてしまう。
空襲が終わると、避難していた寺院から火傷を負い、負傷し、恐怖にかられた人々が路上にいた兵士やジャーナリスト達の方へと駆けてきた。

  
            左: ナパーム弾の空襲を受け、子供を抱えて逃げてくる男性と女性。この写真の子供二人は死亡した。
            中: キム・フック(後述)の叔母が抱えた9ヶ月の男児は、10日後に死亡。
            右: 瀕死の孫息子(3歳)を抱えて逃げる、キム・フックの祖母。孫は祖母の腕の中で息を引き取った。


ウトは回想する。

「我々ジャーナリストが村に近づくと、逃げてくる最初の人々に会った。
 左脚にひどい火傷を負った女性が突然現われた時、『何てこった!』と思った。
 死んだ赤ん坊を抱いた女性が続き、それから、皮膚が剥がれてボロボロになった子供を抱いた女性。
 彼等の写真を撮っていたとき子供の叫び声が聞こえ、見たら幼い少女が火のついた服をひきちぎっていた。」

少女は当時9歳だったファン・ティー・キム・フック。ニックは駆けてくる彼女の写真を撮った。
駆けながら彼女が「熱い、熱い!」と叫んでいたのをウトは覚えている。
こうして『戦争の恐怖』と題され、ベトナム戦争の象徴として全世界を駆け巡る写真が、その日、生まれた。
写真は翌日の『ニューヨーク・タイムズ』紙第一面を飾り、翌年ピュ―リッツァー賞を受賞した。

          
          左から: 目に怪我を負い、痛みに泣き叫ぶキム・フックの12歳の兄。軽傷で済んだ5歳の弟。キム・フック。
                彼女の幼い従弟と従妹。


キム・フックがウトの脇を過ぎたとき、彼女が背中にひどい火傷を負っていることにウトは気づく。「何てこった! もう写真はいらないぞ!」
彼女は「死んじゃう、死んじゃう! 水をちょうだい、水を持ってきて!」と泣き叫んでいた。
英国人ジャーナリストのクリストファー・ウェイン(下の写真で屈み込んでいる男性)が彼女を止め、ウトと共に彼女に水筒の水を与え、火傷にも水を注いで応急処置をする。
ウェインはカメラマンに、その場の状況を撮影するよう要求した。状況を世界に伝えることが、彼等の使命と思ったからである。

                       動画はこちら

彼女の親類が周囲に集まってきた。ウトはキム・フックが兄(彼女の向かって左側を走っていた少年)に「私、たぶん死ぬと思う」と言うのを聞いた。
彼女の両親は、まだ寺院内に隠れていた。彼女の叔父に頼まれ、ウトは彼女をヴァンに運び、彼女の兄弟と親類が乗ったあとから自分も乗り込んだ。
「喉が渇いた、水が欲しい」と泣き続けるキム・フック。ヴァンが動き出すと、痛みのため大きな叫び声を上げ、彼女は失神した。
ヴァンはサイゴンへの途上にある病院へとひた走り、ウトは「心配いらないよ、すぐに病院に着くからね」と彼女を慰めた。
病院には1時間以内に着いた。

戦場カメラマンとしての体験から、ウトは既に知っていた。
医者は、助かる可能性が高い負傷者から優先して手当する。死ぬ可能性が高い負傷者は、後に回される。
キム・フックは後回しにされる可能性が高かった。しかしウトは医者や看護師にAP通信の記者章を見せ、彼女の手当を懇願。
彼女が治療台に横たわって初めて病院を後にし、写真の現像のためサイゴンに向かった。
写真の中のキム・フックが全裸であったことから、ヌード性に関するポリシーのため公表を躊躇する声が上がった。
が、ベテラン編集者のホルスト・ファースは、一目見るなり規則を破る価値のある写真だと確信した。

ウトはキム・フックを助けたことは公言しなかった。
28年後のロンドン。キム・フックはエリザベス女王の前で言った。 「ウトさんは私の命の恩人です。」


ベトナム戦争の“Napalm Girl” ② につづく》

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3 コメント

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感銘しました (ulala)
2012-07-14 15:11:06
はじめまして。
四国の愛媛県に在住しております。
ちょうど本日の朝日新聞に、この写真載ってて、なんか惹かれて検索してこのサイトに来ました。
すごく詳細に紹介されており感銘いたしました。
とりあえず、御礼まで。
Unknown (ミカンポッキー)
2012-07-14 15:31:46
フェイスブックのアドレスをクリックして
たどり着きました。。。
有名な写真にこんなお話が付いていたのですね
はじめて知りました。
助かってよかったです。
コメントありがとうございました。 (ハナママゴン)
2012-07-15 06:21:46
ulalaさん、ミカンポッキーさん、まとめてのコメント返しになって申し訳ありませんが。 
あの写真、有名な割にはあの少女のその後はあまり話題になりませんでしたよね。その後もいろいろと苦労され、ようやくカナダで自由な生活を手に入れられたんですね。

キム・フックさんがあの火傷のためあのまま亡くなっていたら、二人の息子さんも生まれることはなかったんだな・・・ と、最後の写真(④の)を見たとき、感慨深かったです。
たくさんの人が彼女を救おうと手を尽くし、そうして今日の彼女がある。
本当に助かってくれて、幸せになってくれて、嬉しいです。

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