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(増補版)433E2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1886年10月~1886年10月)

2016-10-12 17:41:51 | 日記
題:(増補版)433E2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1886年10月~1886年10月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
1886年10月16日、整理公債条例を公布した(9月説あり)
  6分利以上の公債を5分利に借り換え、1億7500万円
  低利で、長期の公債へ借り換えが進められた。
  日本のイギリス・ポンド建て国債は・・、
  1870年4月に発行された9%国債、
  1873年1月に発行された7%国債、
  1897年に売却された5%国債、
  日本のリスク・プレミアムは低下した。
1886年10月16日、宝塚温泉が開発され、落成式を迎えた。
  この温泉は、1884年に、温泉が発見された(開業が、
 1887年説あり)
1886年10月18日、軍艦「畝傍(うねび)」、回航の途につ
 いた(10月19日説あり)
  海軍増強計画で、フランスに発注された軍艦で、
  ル・アーブル造船所にて完成したこの畝傍艦は、
 フランス人艦長によって日本に回航される途中の、
  1886年12月3日に、シンガポール港を出た後に、
 行方不明となった。
  飯牟礼俊位海軍大尉以下日本海軍将兵(日本側回航員)、
 および、駐日フランス人の家族が乗船していた。
  また、造船所雇用のフランス人乗員70数名も乗船して
 いた。
  全乗客・乗員は計90名で、消息は未だ不明。
  日本政府は、保険金で、イギリスに代艦を発注した(
 千代田艦)
  因みに、日本は、この畝傍の建造費の残額を、払う必
 要が無くなった。
  しかし、フランスは、残額を回収する為に、水雷砲艦
 「千島」を建造した。
  しかし、何と・・この「千島」も回航中に、イギリス
 船と衝突し、遭難してしまった(千島艦事件)
  この畝傍艦の消息不明の原因説に・・フランス艦伝統
 のトップ・ヘビーで復元力が「不足する」があった。
  また、日本の武装搭載の特別注文もあって、復元力不
 足増大があり、
  また、東シナ海での想定外の風雨(台風)に因る・・
 などと・・言われている。
1886年10月20日、第八回条約改正会議
  イギリス・ドイツの両国案の審議が開始された。
1886年10月23日、ロエスレルが、町村制に関する意見書を
 提出した。
  御雇い外国人のドイツ公法学者・ロエスレルは、1878
 年11月に来日していた(~1893年、離日)。
  井上毅(いのうえこわし)の法律顧問として諸種の法律
 草案の作成に重要な役割を果たした。
  明治憲法、民法、商法の制定に尽くした。
  1881年より、井上毅と討論を重ね、
  伊藤博文(いとうひろぶみ)の渡欧以前に、
  プロイセン憲法に範を求める憲法の制定を、政府に決
 断させるのに多大な影響を与えた功績ある人だった。
1886年10月24日、ノルマントン(Normanton)号事件
  また、イギリスの卑劣さが・・この事件にもある・・
  この日に、横浜港を出港し、神戸港に向かっていたイ
 ギリス商船(貨物船?)「ノルマントン号(240トン)」
 が、
  暴風のため、紀州沖・熊野灘の暗礁で座礁・沈没した。
  (三重県四日市より和歌山県樫野崎までの沖合で難破
 、座礁沈没の説もある)
  この際、イギリス人船長以下の乗組員(26名、計27人)
 だけが、全員ボートで脱出したが・・
  (人種偏見で、乗客を置き去りにして、イギリス人船
 長が逃げるのはおかしい?)、
  日本人乗客 25人(23人?)のみが救助されず、日本人
 全員が船内で溺死した。
  事件の4日後の10月28日、松本鼎和歌山県知事からの電
 報で、遭難事件のあらましを知った第1次伊藤内閣の外務
 大臣・井上馨は、
  日本人乗客だけが、全員死亡したことに不審をもった。
  そして、その場の実況調査を命令した。
  そして、日本人乗客が、石炭艙に乗っていて、全員が
 救助されずに置き去りにされ残っていたことが判明した。
  死体も発見されなかった。
  国内世論は、ドレーク船長以下船員の日本人乗客にと
 った非人道的行為と、
  その行為に根ざす人種差別に沸騰した。
  例えば、『東京日日新聞』(1872年創刊)では・・、
  「船長以下20人以上の水夫も助かったのだから、1人や
 2人の日本人乗客とても助からないはずがない」・・との
 憤懣を記した。
  事実検証においても、不平等条約の壁に阻まれ、満足
 な解決が得られなかった。
  治外法権下のイギリスの領事裁判制度で、神戸駐在イ
 ギリス領事・ツループで、この海難審判が進められ、
 船長を無罪とした。
  無罪理由が、また、理由となってない「こじつけ」で・・、
  「日本人に早くボートに乗れと言ったが、英語が分か
 らず、乗船せず、船内に籠って、出て来ようとしなかっ
 た」・・の証言だった(死人に口なし)。
  卑劣である・・
  イギリス人たちが、必死になってボートに乗り移って
 いる状況は、言葉が通じなくても、状況判断から、明ら
 かに、はっきりとできる、理解ができる。
  燃えさかる火事の家から「出ろ・逃げろ」と言われ、
 英語が通じなかったから逃げなくて、焼け死んだ・・な
 んて、おかしくて理由として言えないこと・・
  よくもこんなことを言ったものだ・・
  この様な「子供だましの証言」が通る訳がない。
  無罪の証言証拠になる訳はない。
  こんな低レベルで処されていた当時の日本だった・・
  自分たちだけが、荒れる天候の中で、ボートに乗り・・
 そして、荒れる天候で・・乗り過ぎると危険だと、危険
 を察知し、人種差別もあって、日本人の乗船拒否をした
 のだ。
  この裁判によって、弊害が明らかになり、不平等条約
 に対する日本国民の憤懣(ふんまん)が沸き起こった。
  また、日本政府も、急遽(きゅうきょ)、兵庫県知事
 の内海忠勝に、ドレーク船長を殺人罪で告訴するよう指
 令した。
  当時の新聞も・・。
  「東京日日新聞」は、「いかに日本人は無知だといえ、
 危にのぞんで、危うきを知らず、助けをえて、助けをか
 りることを知らないほどの白痴瘋癲(はくちふうてん)
 であるはずがない」・・と、紙面で抗議した。
  当然だ・・同じだ・・
  新聞の抗議は連日にわたり、
  悲しみの論説も・・続いた。
  高名な法学者たちも、ドレーク船長の告訴をとなえ、
 在野の政客は、各地に演説会を開いて、イギリスの横暴
 と非人道を責め、民衆に国権回復を訴(うった)えた。
  神戸での予審の後を受けて、横浜駐在イギリス領事館
 のハンネン判事は、12月8日に、ドレークを有罪とし、禁
 錮3ヶ月と判決した(軽い!)。
  しかし、死者に対する賠償金は支払われなかった(日
 本人の命の値段は0円か?・・いつもこうだった)
  (米軍基地関連で死んだ日本人の命も軽かった・・い
 つもいつも軽い命だった)
  当時の、明治の方々も・・条約改正を要求する国民の
 声は盛んになった。
  日本の方々・国民の対イギリス感情も極度に悪化した。
  そして、国論者の政府の欧化政策に対する批判も台頭
 した。
  この様な中で、条約改正交渉が、極秘裏に進められて
 いた・・、
  その秘密裏に進められていた改正案の内容を、法律顧
 問ボアソナードが知り・・、
  従来の不平等条約より国権を毀損している・・
  何と、以前より悪化している・・イギリス・ドイツ案
 という意見書を秘密出版で流布させた。
  因みに、この事件・・ドレーク船長以下の乗組員の全
 員が、漂流していたところを助けたのは・・優しい日本
 人だった、
  沿岸漁村の日本人の人びとが、救助し、手厚く保護し
 た。
  感謝の意思表示もなかったようだ・・恩も知らないの
 か?
  そして、領事裁判権は、本事件の8年後の1894年に撤廃
 された。めでたし、めでたし・・、
.
  (今日の言葉)
.
  題:歴史的に卑劣な事ばかりして来た・・アメリカ
.
1876年6月25日、アメリカのカーター将軍が、アメリカ・
 インディアンの方々との戦争で敗れた。
  それから・・アメリカの卑劣な行為、「先住民族のア
 メリカ・インディアンの方々」への、卑劣なかたちの武
 器使用がなされた。
  卑劣な武器使用をするアメリカは・・この国は昔から
 こんな形の卑劣な事ばかりして来た。
  ベトナム戦争でも、色々と、また、次々と、新しい武
 器を・・卑劣な事に・・いろいろと試した。
  ベトナムの方々を・・そのテスト使用で・・殺戮し続
 けた。
  本当に非人道的な事を・・次々とやった。
  日本の原爆投下もそうだった。
  ウラン型原爆とプルトニウム型原爆を、広島と長崎に
 投下した。
  テスト投下だった。
  自制心は・・まったく働かなかった。
  『日本人は、有色人種だ』というキリスト教の教義に
 洗脳された頭では、自制心の働く余地は無かった。
  以下に記述する「アメリカの先住民族の方々」への・・
  アメリカ・インディアンの方々へも・・「卑劣な武器
 使用」をしたアメリカだった。
  1876年6月25日に、カーター将軍が、リトルビッグホー
 ンの戦いで、
  アメリカ・インディアンの方々に敗けると、
  アメリカは、まさかの敗北に・・仰天し、いきり立っ
 た。
  アメリカ合衆国政府は、卑劣にも大勢の兵士を、近代
 兵器で装備させて・・繰り出した。
  機関銃や大砲という強力な武器を使った・・、
  卑劣な武器を使って・・キリスト教が教える同罪報復・・
 復讐の怨念で・・結局、それ以上の報復を・・インディ
 アンの方々を攻めて行って・・行った。
  卑怯な、卑劣な手を使い・・、
  勝つと分かっている戦争をした。
  勝てば良いのだと・・道義も何もない輩と化した・・、
  そして、インディアンの方々は蹂躙された、
  こてんこてんに殺戮された。
  イギリスもアヘン戦争の時、悪いのは・・とことん、
 イギリスであるのに・・、
  戦争をしたいイギリスは・・くだらない理由であるの
 に・・イギリスの外貨の流出を少なくしたいのだという、
  単純な問題なのに・・その経済的問題を解決しようと、
 それこそ・・やってはいけないアヘンを・・中国の方々
 へ『国の立場』で売った。
  アヘンの麻薬売買国=イギリスだった。
  中国が・・やめてくれ・・と、いくら言っても・・止
 めないイギリスだった。
  何度言っても止めないイギリスだった・・
  ほとほと、困った中国は・・ファイトバックした・・
 立ち上がった・・そこには正義があった・・
  当然、正義は中国だった・・反抗した・・当然の反抗
 をした。
  イギリスは、待ってましたとばかりに、勝つと分かっ
 た戦争・アヘン戦争を始めた。
  第二次世界大戦の・・アメリカのルーズベルトと一緒
 だった。
  日本をやっつけるチャンスだと・・
  イギリスも・・中国の方々を、「これでもか」と言う
 ほど、進んだ武器を持つイギリスは、中国の方々をやっ
 つけた。
  戦争の結果は当然だった、イギリスが進んだ強力な兵
 器・武器を持っていたからだった。
  イギリスには・・勝ったと言ったって、当然、『少し
 も』正義は無かった。
  正義があるというなら・・今でも良いから・・言いな
 さい!
  正義の戦争でも・・何でもない・・戦争を・・イギリ
 スはした。
  弱い者いじめをした。
  また、イギリスは・・奪ったオーストラリアでも・・、
  オーストラリアの土地を奪うために、遠い昔から住ん
 でいた方々=アボリジニーの方々を・・殺戮し尽くした。
  先住民のアボリジニーの方々が・・居なくなれば、俺
 のものだの・・思想だった。
  卑劣な思想だった。
  何ら抵抗する術(すべ)を持たないアボリジニーの方々
 を、動物の狩りをするがごとくに殺戮した。
  「今日は○○人、殺した」という記述が、オーストラ
 リアをおかしたイギリス人の日記に残っている。
  この様な行為を、イギリス人の侵入者の皆んなが、ア
 ボリジニーの方々を・・殺戮した・・殺した。
  アメリカも、負けることが確実で、負けると分かって
 いる日本へ・・、
  だから・・日本が負けると分かっているからアメリカ
 は、日本へ「降伏しろ」とポツダム宣言を出した。
  それなのに・・、敗ける事が確実な日本へ、「原爆を
 落とした」・・、
  それも・・戦闘員でも何でもない・・「一般の市民の
 方々」へ、非戦闘員の方々へ、女性や子供やお年寄りの
 方々へ・・、
  その様な方々が・・大勢、死ぬと分かっているのに、
 その非人道的な、卑劣な爆弾を、地獄の行為をした。
  当時、れっきと存在していた国際的な法律の違反行為
 だった。
  国際法違反の「非戦闘員殺戮」「一般市民殺戮」を・・
 アメリカはした。
  それも二発も、やってはいけないことを、二度もした。
  広島と長崎の原爆投下は、アメリカのやりたいことで
 あった。
  卑劣な実験としての卑劣な行為であった。
  アメリカは、「ウラン型原爆」と「プルトニウム型原
 爆」の効果を知りたかった。
  ただ、それだけの事で・・広島と長崎に原爆を落とし
 た。
  何十万の方々が・・亡くなった・・
  まったく卑劣と言っても言い足りない。
  アンフェアな・・卑劣な・・アメリカだった。
  ヨーロッパの知識ある人たちが、「アメリカは、ドイ
 ツに落とさなかった」、「ドイツには落す気は、なかっ
 ただろう」という「キリスト教の有色人種の蔑視思想の
 行為だ」と指摘した。
  その通りだった。
  アメリカは、その為に、投下の効果を良く知るために、
 広島・長崎に、それまで、爆撃をしていない都市に・・
 投下候補都市とした。
  そして、その為に、原爆投下の威力、その効果が、明
 確に分かるように・・その様にしていた。
  実験の効果を知る最適な地を、「最初から」作ってい
 たアメリカだった。
  東京裁判と同様に、このアメリカの行為も国際的に裁
 (さば)かれるべきだ。
  相変わらず、自国の事になるとホッカムリするアンフ
 ェアなアメリカなのだ。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive
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