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(増補版)436E2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1886年11月~1886年12月)

2016-10-16 05:19:34 | 日記
題:(増補版)436E2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1886年11月~1886年12月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
1886年11月30日、陸軍少将:乃木希典(38歳)と、陸軍少将:
 川上操六が、ドイツ留学を命じられた(満一年の予定)
乃木希典(のぎまれすけ)は、長州藩士・陸軍大将・伯爵。
  吉田松陰に心服し、伯父・玉木文之進の門に入る。
  ドイツに留学し軍制・戦術を研究した。
  台湾総督を経て、日露戦争には、第三軍司令官として
 旅順攻略を指揮した。
  戦後、軍事参議官・学習院院長となる。
  1912年(大正元年)、明治天皇陛下の御大葬の当日に、
 妻と共に殉死した、64歳。
  川上操六(かわかみそうろく)は、陸軍軍人で、近代
 的戦略を導入した。
  薩摩藩洋式兵分隊隊長として、鳥羽・伏見の戦い、戊
 辰 (ぼしん) 戦争に従軍。
  1871年(明治4年) 陸軍中尉となり、
  1877年、西南戦争に官軍側で従軍。
  1884年、大山巌陸軍卿に随行してヨーロッパ、アメリ
 カの兵制を視察し、
  1887年、ドイツに留学。
1886年11月、東京・日本橋小網町に、東京での初めてのコ
 ーヒー店「洗愁亭」が開店した。
  日本にコーヒーが伝来したのは、江戸時代の徳川綱吉
 の頃、長崎の出島で、オランダ人に振舞われたのが最初。
  大田南畝(おおたなんぽ、文人、狂歌師)の『瓊浦又
 綴(けいほゆうてつ、随筆)』には、コーヒーを飲んだ
 体験が書かれている。
  これが、日本でもっとも初期のころのコーヒー飲用記
 であるが、「焦げ臭くして味ふるに堪えず」とあり、日
 本人の味覚には合わず受け入れられなかったことが記さ
 れている。
  その後に、黒船来航と共に西洋文化が入って来て、長
 崎、函館、横浜などの開港地を中心として、西洋料理店
 が開店するようになったが、
  そのメニューの一部として、コーヒーが一般庶民の目
 に触れるようになった。
  1866年(慶応2年)に、輸入関税が決定され、正式にコ
 ーヒーが輸入された。
  1877年(明治10年)頃になる、とコーヒーを商品とし
 て取り扱う地盤が出来上がり、
  下岡蓮杖(しもおかれんじょう、写真家、画家)が、
 浅草寺境内に開設した「油絵茶屋」(1876年)をはじめ、
  神戸元町の「放香堂」(1874年(明治7年)開店-創業
 は天保年間・現在も神戸市中央区元町通りに現存)、
  東京日本橋の「洗愁亭」(1886年(明治19年)開店)
 などの店でコーヒーが扱われた。
1886年11月、旭玉山、石川光明、高村光雲らが、第1回彫
 刻協議会を開催した。
  旭玉山:あさひぎょくざん、彫刻家で、象牙(ぞうげ)
 彫刻を学び、
  1877年(明治10年)第1回内国勧業博覧会出品の「髑髏
 (どくろ)」で最高賞の竜紋賞を受賞した。
  1881年(明治14年)に、石川光明(こうめい)らと彫刻
 競技会(のちの東京彫工会)を結成した。
  東京美術学校(現東京芸大)教授、帝室技芸員。
  石川光明:いしかわこうめい、彫刻家で、家業は代々
 宮彫師。
  幼時、狩野素川に日本画を、根付師・菊川正光に牙角
 彫刻を学び、無類の巧技を示した。
  1881年、第2回内国勧業博覧会で妙技2等賞を受け、
  1890年、第3回同博覧会審査官、帝室技芸員となる。
  高村光雲:たかむらこううん、彫刻家で、高村光太郎
 の父。
  仏師・高村東雲に師事(門人)で、その姉の養子とな
 り、高村姓を継いだ。
  1889年~1926年、東京美術学校木彫科教授となり多く
 の後進を育成した。
  西洋彫刻の写実性を取り入れ、伝統的木彫の近代化、
 彫刻の近代化に尽した。
  帝室技芸員会員・帝国美術院会員。
1886年11月、愛知紡績所を篠田直方に払下げた。
  愛知紡績所は、明治政府が設立した日本で最初の綿糸
 紡績所で、
  遅れていた西洋式紡績業の奨励を図るために、民間の
 模範工場として建てられた。
  愛知と広島の二か所に建設された。
  明治時代前期に愛知県額田郡(現:岡崎市)男川村に存
 在した官営模範工場。
  全国で唯一の官営紡績工場として(広島は、開業前に
 民間払下げになった)紡績技術者の養成などで、指導的
 な役割を果たしていくことになった。
  工場の動力として水車が使われ、イギリスから輸入し
 たミュール精紡機など西洋紡績機械により綿糸を生産し
 た。
  開業直後は、72人の従業員がいたが、その後、
  1886年(明治15年)に民間に払い下げられ、
  1896年(明治29年)に、火災によって建物の大半を失
 い消滅した。
  篠田 直方(しのだ なおかた、1825年~1898年)は、
 三河国加茂郡宮口村(現愛知県豊田市)出身の政治家・
 実業家。
  西大平藩郡代の養子となり、代官・郡代・郡代兼用人・
 陣屋代官を歴任した。
  額田県大属租税課次席を最後に下野し、官営愛知紡績
 所の払い下げを受け、同所経営者に転じた。
1886年11月、東京棉社が設立された(鐘紡の前身)
  東京の繰綿問屋5店は、1886年に、東京綿商社の設立を
 決議し、
  翌年・1887年、認可され、隅田川の鐘淵に紡績所を建
 設した。
  1888年、鐘淵紡績会社となる(渋沢栄一は顧問)。
  苦境期に三井の支援を受け、多くの紡績会社を吸収し、
 重化学工業へも進出。
  繊維以外の事業を行なっていた鐘淵実業と、1944年に
 合併し、鐘淵工業(株)が発足した。
  第二次大戦後は、繊維事業中心に転換し、
  1946年に、鐘淵紡績(株)と社名復帰し、化粧品・食品
 等の事業にも次々進出、
  1971年、鐘紡(株)となる。
  (渋沢社史データーベースを参考にした)
1886年12月1日、日本鉄道によって那須(現:西那須野)~
 黒磯間の鉄道が開業した。
  この時点では、駅は未設置だった。
  東那須野駅が開業したのが1898年11月28日。
  そして、1906年11月1日に、日本鉄道が国有化され、官
 設鉄道となった。
.
  (今日の言葉)
.
  題:今・現在の日本政府も・・満州事変の頃と同じようにする・・
   中国に対し、言うべきことを言わずに、「日中友好」が優先
   言う事を言わないで、何が、日中友好だ・・??
.
2002年5月8日、瀋陽総領事館北朝鮮人亡命者駆け込み事件
  中華人民共和国の瀋陽市(しんようし)に置かれてい
 る日本国総領事館に
  朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)からの亡命者(金
 高哲一家など5人)が救助を求め、駆け込んだ事件。
  小泉純一郎首相(自由民主党)の時である・・、
  中国の瀋陽にある日本の瀋陽総領事館に、北朝鮮から
 逃げて来た人(脱北者)が、助けを求めて逃げ込んだ。
  しかし、日本の領域とされる総領事館に、中国の武装
 した警察官(中国人民武装警察部隊)が無断で踏み込ん
 だ。
  完全なる日本の主権の「中国による侵害」である。
  『日本の領事館内に踏み込めない』などという事は、
 初級の知識であって、この中国の警察官たちは知ってい
 る訳だが・・、
  つまり、確信犯的に「法を犯した」のだった。
  まったく日本は、馬鹿にされている状況だった。
  この逆の事が、もし日本で起きたら戦争にまでなりか
 ねない重大な国家の主権侵害なのだ。
  しかし、何と、悲しい事であるか、日本の領事官が、
 その北朝鮮からの助けを求めてきた人を、中国側へ渡し
 たのである。
  日本という国家の主権を背に、業務をしている外交官
 として「まったくの失格行為」だった。
  当然、問題は起こり、日本は中国に謝罪を求めた。
  しかし、当然の様に、悪い中国であるはずだが、中国
 は謝罪をしなかった。
  (日本は慰安婦問題で謝罪ばかりしているが・・??)
  日本は、まったく馬鹿にされていた。
  日本の国会議員たちが調査に行った。
  そして、どの様に中国から言いくるめられたのか・・
 この国会議員らは、逆に、日本政府を攻撃した。
  『何たる国会議員なのか?』と言いたい。
  日本は、何も知らない所で、降って湧(わ)いたよう
 な話が、湧いただけの話なわけなのだが、日本に謝罪し
 ろと中国は言った。
  日本は何をしたというのか?
  日本の何が悪いと言うのか?
  それも、中国側が、屁理屈を言うだけではなく、日本
 の常識を持った日本の国会議員たちが、日本の国会で、
 同じ様に発言して、日本の政府を攻撃をしているのであ
 る。
  まったく、中国の代弁者のごとくである・・、
  まったくの体たらくの行動を、議員活動をしているの
 である。
  諸外国に対して恥ずかしい限りである。
  この政党は、本には「民主党」と出ている。
  この史実は、この後、消えることなく書き留められ、
  「民主党の国会議員へ、正義が問われる」ことになる。
  卑劣な国会議員である。
  この様な議員へ、国民の税金が消費される事に憤りを
 覚える。
  教科書にしっかり書き記すことが大切だ。
  以後、しっかり語り継いでいくべき事項である。
  日本国民は、民主党が思うほど「忘れっぽくない」の
 である。
  民主党は、安易な「利敵行為はしないこと!」。
  民主党は、誠実に政治に取り組め。
  (注)この事件の一切が撮影されたビデオが公表され
    た。
     驚くべきことに、日本の副領事・宮下謙は、こ
    の時、対応に出て、「亡命者の取り押さえ行為」
    に抗議をせず、当然すべき日本大使館員としての
    行為をしなかった、怠った「失格外交官」だった。
     また、さらに、「敷地内への立ち入り」への抗
    議もしないという最悪の外交官だった。
     さらに、脱げて落ちた武装警官の帽子を拾って
    あげるという、何と表現したらよいか迷うほどの
    日本の恥行為を行なった。
     いつもの様に、中国のその後の言い分は、「同
    意を必要としないで良い場合もある」という言い
    方だった・・が、その言い方から・・、
     「同意は存在している」に言い方を変えた。
     満州事変の頃の日本政府と同様、「中国との友
    好」が優先した「外務省のその後の対応」が続い
    た。
     何たることか・・??
     そして、その後の中国は、「事件が再発しない
    様に・・」との言い方で、
     日本の領事館などの周りを、中国人民解放軍で
    厳重警備し、また、壁や堀を構築するなどしてい
    る。
.
  そして、次の話
.
2002年5月14日、外務省の管轄の中国駐在の日本大使が、酷
 い指示を出していると、共同通信社が伝えた。
  北朝鮮「亡命者は追い出せ」 阿南駐中国大使が指示
  【北京14日共同】
  阿南惟茂・駐中国大使が、8日午前10時(日本時間同11
 時)から開かれた北京・日本大使館の定例全体会議で、
 職員全員に対し、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)か
 ら脱出した住民が、日本大使館に入って来た場合は「不
 審者とみなして追い出せ」と指示をしていたことが14日、
 明らかになった。
  複数の同大使館関係者が明らかにした。
  この指示の約4時間後に瀋陽の亡命者連行事件が発生し
 た。
  事件では、中国の武装警察官に北朝鮮住民5人を連行さ
 れてしまった日本総領事館の対応が問題となっているが、
  阿南大使の指示は、人道問題として日本だけでなく国
 際社会でも大きな波紋を広げるのは必至だ。
  また、事件前に、北京の大使館から瀋陽総領事館に「
 駆け込みに気を付けるよう」指示したことが明らかにな
 っているが、
  この際「追い出せ」との内容が含まれていたかどうか
 が今後、焦点になりそうだ。
  日本政府は、原則として政治亡命を受け入れない立場
 だが、
  阿南大使の発言が個人的な判断からなのか、外務省の
 指示に基づくのかが重要なポイントだ。
  阿南大使は、共同通信の取材に対し「(館内に)入っ
 てしまったら人道的観点からもきちっと対応しなさいと
 言った」と述べ、
  「追い出せ」と指示したかどうかは直接答えなかった。
  阿南大使は、会議の席上、北京で外国大使館などへの
 北朝鮮住民の駆け込み事件が頻発していることに関連し
 「大使館内に入ってくれば、不審者とみなして追い出せ。
  人道的な面で問題になれば、わたしが責任を取る。
  入ってきて、面倒なことになるくらいなら追い出した
 方がよい」と指示したという。
  日本大使館では、毎週水曜日に全体会議を開いている。
  阿南大使は、別に行われた幹部会議でも同様の指示を
 したという。
  北京の各国大使館では、北朝鮮住民駆け込みへの警備
 を強化する一方、
  大使館内に入った場合は、中国側に引き渡したり、追
 い出したりせず、
  第三国へ移送するなど人道的な措置をとっている。
  これが定着してきただけに、阿南大使の発言が問題化
 するのは必至だ。(了)
  (注)阿南大使は、中国に駐在している日本の大使で
    ある。
     あまりに酷いことをしているので確認のために
    (注)を書いた。
     記者の問いに、「追い出せとは指示してない」
    と、確実にその問いに答えられないという事は、
    「追い出せと、阿南大使が指示した」ということ
    である。
     酷い日本の阿南惟茂・駐中国大使である。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive
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