笑いまみれ・はなこば日記

笑うことを積極的に考える女の日記
新アドレス→http://hana58.hatenablog.com/

世迷いごと

2014年10月22日 | 


お友達からすすめていただきまして
読みました。

マツコ・デラックス著(というか語り起こし)
『世迷いごと』
2010年に刊行されたものに加筆修正を加えた単行本です。



目次、こんな感じ。

1章ごとに
個人名をあげて女性のことを語っています。

マツコさんの良さがたっぷり含まれていて
決してガッカリしない内容です。
テレビなどのメディアで押さえられている部分が開放されていて
マツコ・デラックスの真骨頂!
マツコさんのエキスを堪能できます。

旅行に出たり
移動が多かったり何か本読みたいなあ
ってときに
エッセイとして超オススメ。
特に女性に読んでほしい。

さて表層部分の感想はこれくらいにして、
読んで感じたことを書きます。

マツコさんのことがよりよく分かる本で
「女子アナ」や「女優」を
ばっさり斬り込んでおり
「ご意見番」を喜ぶひとには
拍手で迎えられそうなことばかりが書いてあります。

これってでもマツコさんのサービス精神の一端だ。
冒頭がだって
「夜中にこんなシケた飲み屋にひとりでくるなんて、アンタもよっぽど暇ね…」
ですわ。
ぶった切りは
これと同じですわ。
サービスですよ。

わたしがいいな!と思うのは
この人のモノの見方の特異性です。
つまり万人の意見じゃないところ。
個性的なんです。
しかも狙っているわけじゃない。
人と違ってすごいでしょ!
ていう選民意識の高い批評家きどりが多い中で
マツコさんは
しっかり真っ当に自分の意見として面白い切り口で女の人を語っている。

こちらとしては
「そうかも!確かにね!」と膝を打つ時もあるけど
「いやいや、それはピンとこねーな」というときもある。
でもその全てを楽しめる。
自分と違う意見を持つひとを発見すると自分の意見がはっきりして
何か語りたくなるでしょう。
「いや!マツコちゃん、それはちょっと違うよ、あのね…」って言いたくなる。
わたしにとって
マツコさんは
ご意見をありがたく頂戴する人
とはちょっと違うんです。
ディスカッションしたい人。
脳みそ刺激される人です。
こちらは口が達者じゃないからディスカッションしたら当然負けるけどね。

一番共感したのは
女子アナの考察で
「諸悪の根源は、(中略)女子アナを色眼鏡で見てるヤツらなのね」
ってところで、
わたしが女子アナに対する想いと共通しました。
憎むべきは
女をモノ扱いしてチヤホヤする
テレビ局の上層部およびニヤニヤ見ている男ども。
ニュース原稿を読むのが下手でも
声が変でも
バッシング受けながらパンチラ撮られて
ある程度の年齢行くとオバサン扱いされる可愛そうな女子アナたちを
女性アナウンサー愛とともに
マツコさんは1章つかってこれでもか!と書いてます。
女子アナをぺちゃくちゃ語る男どもに声に出して読ませたいわ。

マツコさんの興味の対象は
ニュースや報道。
テレビの媒体を通してあまりニュースを見ない私には
そこまで原稿をしっかり読むのが必要なの?
とは思いました。
きっとマツコさんはそこに愛があるのね。

民放の報道やニュースはお遊びだとわたしは思っています。
だって、めちゃくちゃつまんないネタを堂々とニュースみたいな顔して放送してんじゃん。
見る価値ないし、時間の無駄です。
あとちゃんと聞いているわけじゃないけど耳障り悪い。
上手な人もいるけど一定のクオリティがない。
だから音声で聞くときは
NHKにする。
天気予報も含めて、NHK以外は当てにしていないかもしれない。
テレビを見ている時間の中で
ニュースはスポーツの次に見ていないジャンルのわたしが
偉そうに言いますけど。
(スポーツはたぶん1年で5分も見てない)

なんてことにも気付いたよ。
わたしはそこに愛がないのだ。

黒木瞳の薄っぺらさや
中山美穂のダササにも
良い所を突いて言及しています。
そして気づいてなかったけど
こちらにもそれなりの意見がある。
黒木瞳さんの料理自慢はいつも「しらねーよ」と思ってたもんね。
テレビ見てて良かったわ
って思えた。
わたしももっと書いていこーと。

ではまた金曜日。


お笑いラジオの時間

2014年01月08日 | 
お笑いラジオの時間。
読了。



お友達に借りて、
少し読んで
「これ買おう」
とネットでポチリました。

内容は以下。
お笑いナタリー様から
コピペです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー
ムック「お笑いラジオの時間」収録内容


■おぎやはぎ×吉田豪
無責任ラジオ論

■オードリー
ラジオブースは試合帰りの部室

■山里亮太
“ラジオの天才”になりたい

■大谷ノブ彦
冷静(ツッコミ)と情熱(ボケ)のあいだ

■山田ルイ53世
何度でも再生(ルネッサンス)するラジオ

■東京ポッド許可局
お笑いラジオ論

■お笑いラジオ 温故知新
・松村邦洋「松村邦洋のオールナイトニッポン」
・鶴間政行(構成作家)「コサキンDEワァオ!」
・水道橋博士「ビートたけしのオールナイトニッポン」

■制作スタッフが語るお笑いラジオの現在と未来
・宮嵜守史(TBSラジオ「JUNK」プロデューサー&ディレクター)
・宗岡芳樹(ニッポン放送「オールナイトニッポン」プロデューサー&ディレクター)

■コラムの時間
・RAM RIDER「僕と談志と伊集院。」
・てれびのスキマ「3・11、芸人はラジオで何を語ったか」
・村上謙三久「真夜中の引き笑い」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

豪華。
かな。

残念ながら、
わたし現在聴いているラジオは
上記の中にはなくて…
本当にお笑い好きで
ラジオ好きなのか
と自分に問いたくなりました。

吉田豪さんが
おもにFM聴いていると言われるとガッカリする
と本の中でおっしゃってましたが
ああそうか
ここらへんを聴いていると
お笑いラジオ好き
と言われるのか。
と思い
…よし、絶対にこれからも「FM聴いている」って言おう
とアマノジャクがウズウズしました。

そんなもんで
一番グッときたのは、
TBS・ニッポン放送の両制作スタッフのインタビューと
東京ポッド許可局の「お笑いラジオ論」でした。

前者は
TBSのJUNK
ニッポン放送のANN
の両敵対番組の同じ立場のひとに
同じ質問していて
共通点と相違点が見えて
とても面白い。
両者とも相手を意識しているのも
ワクワクした。
後者は
さすがヘリクツ…違った、分析力に優れていて
ネット界の片隅で音声配信をする身として
とても勉強になりました。

そのほかのインタビューも
基本的にはラジオ大好きな気持ちが詰め込まれた
読み応えのあるものと思いました。
どの記事も面白いよ。

ここで書くとなると
やっぱり
わたしがいま唯一深夜に聴いている
芸人さんのラジオ
TBSラジオJUNKサタデー『エレ片のコント太郎』の
裏番組
『オードリーのオールナイトニッポン』について
語っている
オードリーの記事です。

まず

と思っている
というネタをここでも何度も書いていますけど
オードリーはスター性と実力のある素敵な芸人さんです。
本心から言うと
嫌いなんてことはまったくない。

ただ
聴取率においてエレ片が常に劣勢に強いられる
そのせいで
終わる大きな要因となりえる
ということにおいてのみ
裏番組は大きな脅威であり、
忌み嫌うべき敵対相手なのです。
なぜなら
わたしは、エレ片を愛しすぎていて、
終わってしまうことが何よりも生活において困るから。
超個人的感情。

でもね、
この記事を読んで
オードリーのラジオの概要がわかり
エレ片が好きである感情とまったくかかわりがない
と気付いて
エレ片リスナーが
裏に流れることは
今後もないだろうな
と思い
安心したのでございます。

2009年10月に始まった
オードリーのANN。
2008年のM-1グランプリで
ブレイクしたふたりが
スター芸人としての不動の地位を確立していく様が
ラジオの歴史につまっているのだ
と感じました。
ふたりのフリートークも
すべてふたりの生活に基づいていて
それは
ふたりがテレビで活躍していて
その裏側として
リスナーに提示するものだ。
春日さんが「部室」と形容しているのもうなづける。
テレビで活躍する素敵な二人が
本音や素をさらけだしているのは
好きなひとにとっては
たまらない
と思う。

オードリーはテレビと連動している。
スター芸人ありきのラジオで
それは
ラジオの特性として
うまいこと作用するし、
必要なことだと思う。

たいして
エレ片はそうではない。
むしろ
ここでしか会えないから(って卑屈?うふふ)
この場ですべてが生まれ終わる感覚だ。
またエレ片にはそれを意識している節がある。
自分たちが楽しければそれだけでいい
だけではない
きちんとしたリスナーに向けた戦略を感じるときがある。
いわゆるサービス精神だ。
…失敗しているときもあるけど。

そんでもって
かつて
JUNKを全曜日聴いていたけど
エレ片しか聴かなくなった理由が分かった。

テレビで活躍しているひとたちの
「ご存知」感が
面倒だったのだ。

テレビもちゃんと見なきゃいけないの?

って思うと億劫で
また
「テレビの顔はこうですけど、
 ラジオではこう」
というスタンスで話をされるのも
ちょっとだけ苦手だったのだ。

テレビを見ているひとの絶対数のほうが
多いのは知っていますし、
リスナーの気持ちとしては
テレビで好きだから
ラジオも
となるんだろうから
わたしは少数派なのだろうけど。

小さいころから
ラジオがずっと流れている家で育ち
顔を知らないラジオスターばかりを知っていたわたしとしては
なんだか
テレビありきの態度を取られると
違うなあ
って思ってしまうのかもしれません。

「ラジオだけでこんなことを見せちゃうよ」
という距離感はわたしにとっては
暑苦しいし、重いのだ。
ラジオのほうが優れている
という
ラジオ好きの父からのラジオ英才教育を受けたので
テレビをまったく別のメディアととらえているのだと思う。

一方で
テレビと同じテンションの芸人さんも
ラジオの距離感が分かってないな
とか思って
引いちゃうのが
むずかしいところよ。

今後
エレキコミックが
どどーん
と売れて(本気だよ)
今のようなラジオのスタイルは無理な日が来るかもしれない。
それは承知のうえで
あえて言いますけど、
やっぱり
エレ片は面白いし、
ちょうどいいのだ。

耳にスッと入ってくることが大事
とか思っていて
朝はNHK-FMを選んでしまう(日本語がきれい)
古いタイプのリスナー
なのよね。

そんなことがオードリーのインタビューで分かった。

どうして
裏番組が
ここまで好きなのか分析できた。
ありがとう
オードリー。

だからこの本で
まったくエレ片を無視しているのは
許すとしよう(敵スタンス)。
ところで
この本、
3.11についての記事が載っており
これについても
エレ片は全く触れていない。
そんなのありえないでしょ!
とエレ片好きとは思う。
この話は長くなったので、また今度。
書く、絶対に書く。

長々すいません。

一億総ツッコミ時代

2013年03月04日 | 
を、お友達に借りて読みました。



槙田雄司著。
芸人マキタスポーツさんの本名なんですね。

感想を書きます。
素人っぽく、
失礼な物言いで
書きます。
借りたくせに。

この本は、
少し前だと2チャンネル?
今だと
ツイッター
フェイスブック
ニコニコ動画
など
パソコンどっぷり世代に送る
そのコミュニケーション合っているの?
というところを出発点に
ソーシャルメディアにおける
どんな所作が望まれるのか
について書いた
HOWTOっぽい本です。

え?!
何言っているか分からないって?
うん、わたしも全部わかった気になっていません。
そもそもこの紹介であっているのかも疑問!

なぜなら
ピンとこないからです。

タイトルにもある
「ツッコミ」は
ヤフーのニュースの下にあるコメントとかに象徴される
上から目線のコメントについてのことを
言っていて、
このメディアにおけるひとびとを
「ツッコミ」と「ボケ」に線引きしている。

思いもよらない線引きに「!?」となるのが
著者の狙いとも思えます。

著者は、
バラエティの普及によって
ひとびとは
お笑いにしばられるようになった。
ツッコミの役割を演じることで
自分を高い立場に持っていくことを
おおくの一般の人がするようになった。
しかしそれでは
誰もがツッコまれないようにびくびくし
減点法で人を見、そしてツッコむ閉塞的な世界になる。
もっと
自分らしくボケになってみよう。
というようなことを言っています。

後半、あいまいです。
この著作は「ツッコミ」とはどんなものか
というところに重点を置き丁寧に解説はしているけれど、
「ボケ」については
詳しく語られていないため
わたしのような読解力のなさでは
「ボケ」とは
それでは
一般のひとと考えると
はたしてどのような人のことか
うまくイメージできませんでした。
ツッコまれるひととしてのボケだんだろうけど
季節を感じてみよう
とか
夢中になれることをさがそう
だとか
子育てもうまくいかないところが面白い!
的なことを書いてあり、
最初は
ソーシャルメディアのなかでだけの「ツッコミ」だとイメージしていたものが
突然世界が広がってしまって
ぼんやり見えてくる。

わたしのように、
みんながツッコむようなことには口を閉じ
まだそんなにツッコまれていないようなことに
牙をむこうとする。
また、
まったく違った意見しか浮かばないときに
あえて発言する。
ボケとツッコミの間を行き来するようなひとは
どうなんだ。(←というかむしろアマノジャク?)

中間層は無視です。
大人としての節度を持って
ネットを使用しているひとは
蚊帳の外です。
読みながら
「つーか、もう知っているし!」
「あれ? ひょっとしてわたしに向けて書いてないな」
と、ツッコミつつ
どんどん気持ちが離れて行きました。
なんせ、
ネットが浸透しはじめたのが
大学生になってからですからね。

「それぞれの責任で、節度を持って」
なんて書いてしまっては
ネットどっぷり中学生高校生は
絶対読まないだろうしね!
あくまでも
「ツッコミ」「ボケ」
と分ける。

もう一個重要な線引きとして
本書に出てくるのは
「メタ」と「ベタ」。
「メタ」って何回説明されても
正しく使える気がしないけど
ベタの逆の意味ですね。
物事をひいて見る。
ベタなことを
「ベタなことやっているな」
と、上から見ることですね。

こういうのは
ダウンタウンの影響と
書かれていて
「ほうほう」
と考えさせられました。

ですが、
お笑いの悪影響で
ツッコミというスキルを一般人が身に付け
閉塞感のある社会ができた。

という意見には
半分わかるけど
半分は、信じられない。
という考えです。
だってわたしの周りで
バラエティ見ている人なんて
ほんのひと握りだし
そういうひとに囲まれていない。
みんなツッコミなんてしないよ。
ネットだと別人格
というなら
まあ知らないからそうなのかな?
くらいです。
でも
バラエティ番組くわしいひと
あんまり出会わない。
学生の世界では違うのかもしれませんが。

あと
これは
アゲアシトリですが、
「西洋文化はツッコミ文化」
という章で説明されていることは
間違っていると思います。

ダイエットしてないと出世できない。
禁欲主義的なものが根っこにある。
感情を制御されることが求められる。

とツッコミ西洋文化の特徴として本には書いてあります。
西洋文化がどっからどこまでのことをいうのか
分かりませんが。
イタリアとかスペインとかも西洋っていうよね…?
人々も感情のままってイメージじゃない?フラメンコとか(意見が浅い)
もちろんイタリアのそばには
バチカンがあるから
禁欲主義的なひともいるかもだけど。
米国はダイエット大国ですが、
そもそも太っている人が多いからです。
ダイエットをすることが理性的である。
と言うのは分かりますが
ホワイトカラーにおけるビジネスシーンのみでのことで
それ以上に
理性なく太っているひとが大勢いる。
だからダイエットが商売になる。
理性や禁欲がツッコミとすれば
それと同数のボケもいる。
むしろボケ文化のカウンターとしてそういったツッコミ文化が生まれた
とわたしは思っている。
それくらいいろんな国のいろんな文化が
わしゃわしゃと混ざり合って
複雑なのが西洋文化だと思う。
でもまあ、
どのことを言っているのか
断定していないので
こんなに書くことはないのだけど。
知っていると
違和感で
もやもやしちゃった。

一方、
アイドルの話は
こっちは知識がないから
なるほどねー
なんて受け入れています。
ももくろに飽きた理由はこれだ
と、納得した。
イタイケ商法に食傷を起こしたのだ。
でも
アイドルに詳しい人が見たら
また違った意見なのかもしれません。

この本、
考えなしに
意見していると勘違いしている
学生もしくは
学生を抜けきれない幼稚な大人に向けて
すごく有効な本です。
だれかが
こういうふうに書いておくべきだとも思う。
また
これから
ネットをするであろう世代にも
分かりやすく
ネットで上から目線は
格好悪い
と教え込むのには良い本だ。

でも
節度を持って
たまにネットをするくらいで
あとは
日常生活を営んでいる
ちゃんとした大人には
わざわざ???
な本だ。

買ってもいないのに
こんなに上から目線のツッコミを書いちゃってスイマセン。
最後に
このスタンスからのひとことで締めようと思います。

ただ時代を切り取った本ではある。
そこは
拍手。



なーにがっ拍手だっ!
あ、いかん。
最後についツッコンでしまった。
ほかの人に
ツッコまれるのが怖くてぇ・・・。

ではまたー

ナインティナインの上京物語

2013年01月09日 | 
お友達に貸していただいたので
読みました。



ナインティナインにハマってない私ですが、
興味ぶかく
感動的で
おもしろかったです。

東京進出したその日から
社員でもないのに
マネージャーやらされて
1年ばかりナインティナインとともに過ごした
女友達が
当時の思い出と
ナイナイとの友情と青春を書いております。

この手のタレント本はなんとなく辛気臭く
お金の匂いがするので
敬遠しておりましたが、
友情が嘘っぽくないところに
好感が持て、
書けないこともたくさんあるのだろうけど
暴露本でなく
上京物語
としたところが
さわやかでうまいと思いました。

テレビタレントとしてあっという間に成功することが
人の心をどれだけ閉ざさせるかが
上手に描写されております。

それから
岡村さんと矢部さんの
本来の性格は
うなづけるところがたくさんあって
信頼に足る。

キャッキャしている岡村さんに
そこまで惹かれないわたしが
どうして
「旅猿」だけを見るのか
という疑問が解けました。

あの番組だけ
岡村さんは

なのかも。と。

旅猿では
岡村さんは
面白いことをやったり言ったりしない。
大人しくて、きちんとしていて真面目で
細かくて、口うるさく、
それでも人当たりの良いひとだ。
東野さんの毒のうしろに
ピタッとスタンバイしている印象で
それだけなのに
ひどく魅力にあふれている。

本に書かれていることが本当ならば
こっちの岡村さんが
本来の性格なのかもしれない。

でも、ま、妄想かな!

妄想といえば。
著者の女性はナイナイと同世代で
ユニットグループ「天然素材」の販促物をつくっていたイラストレーター。
メンバーと仲良くしているところを
マネージャーの人員が足りなかったため抜擢された。
3日の約束で
ナインティナインのふたりと東京に出張に行き
次々に舞い込むテレビ出演をこなしているうちに
そのまま帰れなくなる
というのが
マネージャーになったきっかけである
と、書かれている。

これを読んで
一番はじめに思ったことは
中学生時代に仲良くしていた同級生
たまちゃん(仮名)に
このことを伝えたい
ってこと。

たまちゃんは、
「天然素材」のファンだった。
長崎(私は中学三年から高校まで長崎にいました)で深夜放送されていたのだが
打ち切りになってしまって(大阪では継続)
それで
抗議の電話を一緒にかけてほしい
と頼まれた。
何回かかけたよ、わたしも。

このことを
タイムスリップして
当時のたまちゃんと私に伝えたら
たぶん
嫉妬で死ぬ
と思う。

死にはしないか。
だけど寝込むくらいのことはあると思う。

だって当時の女子中学生の思い描いていた
芸人さんと仲良くなるシナリオそのまま!
だから。
いや、わたしだけかもしれないけど。
わたしは
ウッチャンナンチャンでそのことを
朝から晩まで考えて
文章にも起こしてたくらいだ。

寝食ともにしていた。

と書かれているんだから
「い”や”ああああああ!!!」
と発狂する。
これがリアルに存在するなんて。
たぶん当時だったら
あったことないこの人に恨みさえ抱くと思う。

え?わたしだけ?
オールナイトニッポンでたびたびネタにされた
とも書いてあるので
周知の事実で
みんな心広く過ごしているのだろう。

今だから言えるということはたくさんあって
だからこそ、面白くさわやかに思えたのかも。


ところで
岡村さんの病気については
ANNで語られていること以上
しっかりと書いてあるんだけど、
病名だけはやっぱり書いてない。
「こういう病気です」
って言わないのは
何かしらの配慮なのだろうか。
それを言うと笑いにできないからなのかな。
だから時々、
治ってないのかな
って不安になるときがある。

いやいや
そんなことないよね!
だって
テレビで笑う岡村さんは
やっぱり前とは違うもの。

にしても、今の写真のほうが男前。
ダウンタウンとかは
27歳くらいのときがダントツ格好いい
と思っているんだけど、
ナイナイは
今がいい気がする。

最後にふたりのインタビューが載っていて
自然体のふたりが
だいぶ無理していた過去を話しています。
それを言えることが
いまの良い感じのナインティナインを物語っている。

ではでわ
また金曜日に。

週刊文春とTV Bros.

2012年02月22日 | 

私らしくもないです。
一日雑誌を2冊も買うなんて。
週刊文春は
読みたいコラムがあって、
時間があるからちょっとだけ…
と、立ち読みしてたら
心臓を打ち抜かれ
これは買わなくてはなるまいっ
と購入しました。
(本当に打ち抜かれたわけではないです。
 言葉のあやです。生きてます)

読みたかったコラムとは、
近田春夫さんの「考えるヒット」。
清水ミチコさんがツイッターで
チャットモンチーについて書いている
と呟いていたので。

ミュージックステーションで
チャットモンチーの新曲を聴いて
理由もなく号泣。
それで読みたかったんです。

コラムには
チャットモンチーの新曲が
バンドの表現として
「マーケティングやらプレゼンやらの気配が薄い」とし、
「世間の様子を気にしている感じがしない」と評してから、
第4段落にこんなことが。
(発売中の雑誌を引用していいのか疑問ですが、なにかあったら教えてください)
-----------------------------------------------------
最近の書き手は、伝えたい、作りたいものを目指して勉強するよりは、どうやったら受けるかについて必死に研究することが日常になっている。そうすると自然と曲傾向などは似通ってきてしまうし、個性は優先順位の下の方に追いやられてしまうだろう。
------------------------------------------------------

これはたぶん音楽に関わるひとに対して書いた言葉なんだろうけど、
どんな表現者にも言えることだ。
こんなあたしに対しても。
最近
あーあ
アクセス数あがんないかなー
とか、
考えていた自分をボコボコにしてやりたいです。

このコラム最後の最後まで、
音楽や表現に対する愛情があふれまくっていて
感動いたします。

文章を書くにあたって、
お手本
としているひとがいるならば
私は
近田春夫さんのこのコラム
と、バラしておこうと思います。
ええ、そりゃあ足元にも及びませんが、
あくまでも目標とする方なので。
近田さんのコラムは
音楽にまったく詳しくなくても
意味など分からなくても
最後まで引きつけて
読ませてしまう魅力がある。
私、恥ずかしながら
そんなひとになりたいんです。
えへへへ(照)

照れている場合じゃなかった。
テレビブロスは、
ちょいと立ち読み
と思ったら、
あまりの文字の細かさと情報量に
とても立って読む体力はなく
購入しました。

ウレロ☆未確認少女の特集に興味があって。
先日
お前は「"アンチ"ウレロ」だ!
と言われてしまいました。
そうか。
アンチ?
誰も言わないから
言っているだけですが
でも、
その魅力をしっかり知らなくては批判もできないよね。
と思いまして。

結果、紙面に文句はありませんが、
作家さんとプロデューサーさんの対談で
思いだしたことがあります。

それは
「あらびき団」で
2丁拳銃のコントを止めて
修士さんの妻 友紀子さんが
言い放ったこと。
女装コントで履いているハイヒールが
ぶかぶかなのを見て
「気になんねん」
「笑いの量が減るやろ」
と。
気付かないひともいるかもしれないけど、
気付いた人は、
笑うのに1個それが邪魔な情報になるよね。

ウレロを見ていて、
わたしがそこまで入り込めないのは
きっとそのせいだと気付きました。
気になってしまう。
筋や笑い所とは
まったく関係ないところで。
どうして一人が話しているときに
みんな棒立ちで囲んでいるのか。
会社なのに
会社の仕事風景を描かないのはなぜか。
なぜ常に団体でしか行動しないのか。
(同じ仕事を全員ですることほど効率悪いことないのに)
キューがかかったように
怒りだすのはなぜか。
パソコンで検索する際に
実際に打つのもクリックするのも嘘バレバレで
それくらいリアルに演出できるだろうに
どうしてやらないの!?

1個ならいいけど
なんか色んな事が
色んな事があああ。

取り乱しました。

いいじゃん
そんな細かいこと別に。
っていうのも
分かりますよ。
へりくつです。
粗さがしのつもりはないけど
結果そうなっているのも分かります。
笑えない理由を考えたら
出てきたってだけで。
媒体が舞台だったりしたら
また違うのかなあ。

それでも
ウレロの魅力紹介コーナーは
分かりやすい説明で
ほう~となりましたよ。
(と、今更フォロー)

だれかが
「ウレロそうでもねーな」っていったら
全力で否定したかもしれません。
評価が高いと
反対に行かざる得ない
あまのじゃくな自分が嫌です。
(うそ、結構好き)


まだまだ書けるけど
今日はこのへんで打ち止め。



では
お休みなさいませ。





浅草芸人 ~エノケン、ロッパ、欽ちゃん、たけし、浅草演芸150年史~

2012年01月11日 | 
久々に「本」カテゴリーでの更新です。
そうです。
わたしはあんまり本を読みません。
年に数回くる活字ブーム以外は
本とは無縁の生活です。
開き直ってなどおりません。
恥ずかしいことです。

そんな私が
浅草の浅草演芸史が書かれた本を
読みました。

内容は副題にあるように
浅草芸人
ってそこそこ聞くけど
そもそもどういうことじゃいな。
ということが分かる本です(え?ちがう?)
似たような本はあるけれども
ある一人の人を追っているわけでなく
演芸史としたところに
多角的な見方が生まれ作者のこだわりに感じました。
というのも、
いま現在
わたしたちが見ている笑いにつなげたかったのかもしれない
と推測するからです。
わたしが大好きでみているテレビを
過去へ過去へ遡ると
この本の最初に行きつく。
読み終わった最後に
そうかタイムスリップすると
こんな感じか
と時間旅行妄想もできたりして。

……。
書評っぽく書こうと思いましたが、
無理です。
称賛の言葉はたくさんの方が書かれています。
わたしもほぼすべてに同意します。
とにかく
読んでいる資料の量たるや
知識の量たるや半端無い。
作者は時代小説も出版したことのある作家さんとのこと。
それに見合う感想など
テレビをアホの顔して見ている私などに書けるわけがないのです。

漢字が多いよ。
…読めない。
自分のバカさ加減にがっかりです。
長編の時代小説の最初のほうは大体いつもそうですが
どりゃ読みです。
要は飛ばして読みます。
わたしは
たまに洋書なども読みますが
あれも大体がどりゃ読みです。
後半追いついていきます。

そんなわけで
わたしレベルの方向けに
感想を書こうと思う。
申し訳ない。
ちゃんとした感想は
しかるべき場所にまとめてあるので
そちらをご参考に。
(アマゾンとか作者のHPとか)
みんな漢字が読めるんだな…。
とそれにも疎外感と劣等感を感じつつ。

わたしレベル。
ほとんど本を読まない。
テレビは見る。
「時代」と名のつくものは抵抗感がある。
人向けに感想を書きます。

まず。
80ページくらいまで、どりゃ読みしましょう。
情報量が多く、一個一個理解していたら、私の単細胞では処理しきれません。
80ページくらいにエノケンこと榎本健一さんのお芝居の内容があって、
文字で書かれているだけでもキレがあって、
よくできていることが分かる。
その後、わたしとしては知っている話が多く、
親近感があって追いつけたのかもしれませんが。
後半に行けばいくほど
知っている名前が増えていくので
楽しくなるはずです。

つぎに、
吉本について
…嫌いなのかな?
と感じる。
もちろん浅草の歴史なので
大阪で勢力をふるっていた会社については
どちらかというと敵対的で良いと思うけど
歴史とは
多角的な見方が大事
ということを念頭に置いて
読むべし。
吉本称賛の歴史を知らない人向けに。
殿様有利に歴史は書きかえられているもんで
大体、吉本側のいい感じの歴史になっていたりするもんですが、
この本は違います。

実際泣ける。
もっとも好きな箇所は
エノケンのお芝居台本を書いていた
菊谷栄の話全般です。
三谷幸喜脚本の「笑いの大学」のモデルにもなったひと。
ほかにも
戦争に翻弄されつつも
笑いを守ってきた芸人たちの辛くもたくましい様子を
垣間見ることができる。

またお笑い愛を感じます。
いま
わたしたちが笑ってられるのも
150年のなかに生きてきた芸人さんたちの
おかげ。
ということが
しっかり分かる。
説教ではなく
情報を頭の中で組み合わせているだけで
自動的にそうなるようにできている。
そこ、あっさり端折ったわね。
とか思ったりもするけれど、
そこはセンスの問題で
むしろ情報量が多い中で
どこにフォーカスを置くかが
工夫されているように感じた。

この本は誰が読めばいいのだろうか。
ということについて考えました。

まず
あの頃
戦前戦後の演芸が好きな人。
父の世代にドハマりだと思うので、
この後、渡してみようと思います。
それから。
笑いが好きな人。
とくにマニアックに好きな人。
芸人さんなど。
なんでそう思ったかというと、
この本が売れに売れるには
もっと世間が笑いを好きになっていなくてはならない。
まだ足りない。と思ったから。

お笑いって、そこまでなー。
と思う人にとって
この本は「お堅い本」と
とらえられてしまうのではないでしょうか。
しっかりとした文章で
分かりやすく噛み砕いていて
過去と今をつなげてくれている
ありがたい本なのに
どうしてそう思うかと言えば、
私の勘違いであってほしいけど、
この本を好きになる人たちほど
多くの他の人たちは
笑いを欲していないし
尊敬していない気がするのです。
笑いを好きなひとたちが
サブカル的な(サブカルってなにさ)位置にいるような
気がしてならない。
浅草に勢いがあった当時、
多くの人が劇場に詰めかけたと
繰り返し本の中には書いてある。
当時の日本人たちは
今と比べて
笑うことが好きだったのだろうか。
大勢のひとってどのくらい?
ラジオしかない世の中で
どれほどのひとが笑いを愛していたのだろうか。
この本からは、あんまし分からない。
それは演者の技巧や舞台裏に詳しいから仕方がないことで
才能あるひとびとが
どれほど凄かったかは分かるのだから
それでいいのかもしれませんが。

この本は
笑いに熱い。
でも少し温度差を感じるのは
当時の空気を
今感じることができないところに
理由がある気がする。
もちろん知っている人は知っている。
当時のことを知るひと。
笑いを尊敬しているひとは
ちゃんと分かっている。
ただ
みんなが笑いを愛する世の中で
この本がベストセラーになればいいよね。
なんて思いました。

いまは
どうしたら
多くの人が
もう少しだけ
笑いを愛するようになるだろうか
ってことを考えております。

長くなりました。
一回データが消えたけど
どうにか書きました。
ではこのへんで。

ブロスをひさびさ買ってみた

2011年07月06日 | 


7月になってから買って
テレビ欄
半分ほど過去
になっておりました。

が、表紙買いして
期待どおり
ってことはめったにないのですけど、
まま
今回もなー。
マツコ&有吉の怒り新党。
三人の対談が載っていただけ。
切りこみは特にない感じで。
うーん。
「ほほう!」
と興奮するようなことが
書いていないという意味なんですけど。
なんだろう。
この手ごたえのない感じ。

ブロスを愛読していたのは
大学生の頃です。
いや変わってない
んだよな。
でも「なつかしー、これこれぇ」って
喜べない雰囲気を
買うたびに思う。
210円でこれだけ細かく読むところがあって、
豪華な連載陣だし…。
こんな文句も申し訳ないんだけど。
大人になっちゃったのかしらね。

いやいや。
批判ばかりではいけません。
マツコ&有吉の怒り新党。
の記事にわたしは何を期待していたのか
考えてみようと思う。
ブロスは
あの番組のゆるトークを紙面上でやろうとしたのだ。
でも
それは
テレビで見ているからファンとしては
いいや。
と思った。
ひょっとして、こんな感じだよ
ってのをアピールしておいて、見たことない人に宣伝しようとした。
というコンセプトも考えられるけど…。

私なら、
たとえば、
有吉さんとマツコさんが
数々発言した問題コメントに対して
出演者三人、もしくはスタッフ側の
アフターコメントが欲しかった。
「おぼえてねーな」
っていうコメントでも良い。
30分の番組の中に
いつもスリリングな山場がある番組なので、
そこをきちんとフィーチャーしたうえで
あのとき出演者の方々は
スタッフの方々はどう思っていたのか
知りたかった。
マニアックすぎるかい?
でもこの番組に私がハマっているのは
最前線のテレビバラエティで体張って魂売っているふたりの
裏側が見えるからなの。
この番組を見たことのないブロス読者に
絶対伝わったはずだ。

対して、
クイズ☆タレント名鑑の特集ページは、
司会のロンブー淳さん
プロデューサーの藤井さん
構成の興津さんに
番組の裏を語らせる対談をして
これは番組のファンには
満足できる内容だったんです。
…ですけど。

格好つけすぎじゃいっ。

って思いました。
なんかなー。
言っていることは正論で
ちゃんとしていて
土台となるスタッフたちの
思考錯誤による面白さの追求
って感じで全然悪くないんだけど。
どーも愛嬌を感じないっていうか。
ストレートにいうと
「気にくわないねぇ」
っていう偏見に満ちた言葉になる。
わたしが
この業界にうとく、
リスペクトが足りないせいなのかもしれませんね。

音楽プロデューサーとかが
テレビで
格好つけて語っていると
いつも
プロデューサーだったら
前に出てくんじゃねーよ
って思う気持ちと重なります。
一から創造することって
文句なしに
すごい。
でもさ、創造って、
考え付いたひと
だけ
が、凄いわけではないじゃない。
何十、時には何百っていう
名前のない人が周りで動いて初めて
実現できて
世に出て
すごいものになったりする。
だれの手柄
とか本当はないと思っている。
だって仕事はひとりでするものじゃないから。
粛々と仕事をする人に勝るものはない。

まあひがみなのかな。
そうかな。
これはひとの手を介した記事なので
実際はあんな(どんな?)格好つけて語ってないかもしれませんが。
やっぱり
クイズ☆タレント名鑑
面白いし、すごい。ことは確かです。

昔は
紙面の隅のほうに書いてある細かいコメントを読むのがすごく好きだったんだけど
いまこんだけ選んでバラエティを見るようになると
ん~
って、首をかしげるようになる。
やっぱり他人の解釈って当てになんないよ。
自分で見なきゃ。
と実感です。

大人になっちゃったのかな。
さびしい気持ちになりました。
おしまい。




見るべきかどうか

2011年02月16日 | 
図書館で
本を借りてきて読んでいる今日この頃。

三谷幸喜さんの
エッセイを読みました。
読んでしまうよねー。
三谷ブランド
批判しつつ
ついつい手をのばしちゃう。
そんなひと
多いんじゃないだろうか。

批判
っていうのは余計だったわ。

それはそうと
芸人さんのことを語っているエッセイがふたつほど書いていて、
ひとつは
たまたま見た
レッドカーペットで
TKOが客席に好きな子が来ているネタを見て
自分がよくやるタイプの喜劇を
1分でやっていることに驚き
もうひとつは
DVD屋さんのモニターで
さま~ずのネタを見て爆笑するひとたちを
見かけ、
自分にもできるだろうか
と問いかけておりました。

それはいいんですけど、
三谷さんは
気になりつつも
芸人さんのネタは見ないようにしているんだとか。
「勝手にライバルだと思っているので」
「見るとなんだか負けのような気がするからだ」

なるほど。

とわたしはぽんと膝をたたいた。
三谷さんの笑いが
とっても
IN
な気がするのはこのせいだ。
内輪うけ
というのとは違う。
なんというか自己完結。
相手に何かを求めない。

IN
の笑いは
独自性。
自己が表現したいこと
面白いと思うことは
これだ
という自己主張。

OUTは
大衆性。
お客様は神様です。
演芸や営業ネタは
OUTな笑いが強い。
その場だけでは俄然ウケるが
深みが足りない。

三谷さんは
OUTをやっているつもりで
INになってしまう笑いなのだ。
その理由はなんだろう。
と考えていたら
その答えがなんとなく分かった。
ほかの笑いを勉強しないと
きっとそうなる。

芸人さんは
他の芸人さんのネタを見るべきかどうか。
という問題がある。

この前
アメトーークで
雨上がり決死隊は
宮迫さんがぜんぜん他の芸人さんのネタを見ないので
見ている蛍原さんが他と被っていないかネタを確認する役割がある
と言っていた。

見てしまうと
自信を失ったり
影響されたりで
独自性が薄れるという意見もある。

でもわたしは
やっぱりそれでも
人のネタを見るべき
と思う。

コンビのどちらかでもいいし
身近なひとでもいい。
だれか
いま現在の笑いを
見ている人が必要だ。

理由は単純で
笑いは
生き物だから。

時代とともに生きている。
そのときの
風潮や流行りものに
モロに影響される。

どんなことにも影響されない
ゆるぎない個性を持つ芸人さんもいるけれど
でもそれは本当にひとにぎり。
常に細かいところを
チューニングしていないと
どんどん逸れて行ってしまう。

少し前の
さんまのからくりテレビは
台本を読まされる素人のコーナーが
主流だった。
でもいまは一切そのコーナーがない。
たぶん時代に合わなくなったからだ。
テレビの裏側が
世間に浸透されすぎて
見ている側がそれに気づくようになったから
かも?

ちなみに
三谷さんが時代遅れと言っているのではありません。
三谷さんが
芸人さんのネタを見ないようにしている
というだけで
たぶんテレビはたくさん見ているはずだと
伺えますし、
そもそも三谷さんは芸人さんではないのだから
この論理は当てはまりません。

芸人さんが
ほかの芸人さんのネタを好きでいると
わたしはその芸人さんをだいぶ好きになる。
それだけのことです。

INとOUTがちょうどいいバランス。
これがいちばんです。
なんか前にも書いた気がするけど。
そういえば
R-1の佐久間一行さんのネタは
そこんとこが絶妙だった。

いつも理屈っぽいわたしが
今日は
かなりの理屈女でございます。

なので今日はこのへんで。

漫画いろいろ

2010年11月18日 | 
本カテゴリーにしてみましたけど。
違うでしょ
漫画でしょ!
本の歴史にはかなわないですけど
深遠なる文化です。マンガ。

というわけで
東村アキコさんの
「主に泣いてます」
読みました。
スカイツリー建設現場の
風景など
ヒットしてだいぶ経ってからしか
漫画を読まない私には
新鮮でした。
古いものを読んでいる気持ちで
いきなり
ナウな(なう?)
情報入ってきちゃったので。

面白いなぁ。
前にも書いたかもしれないけど、
テンポと間のセンスが
すばらしい。
漫画で
テンポが出せるかね。
ってくらいの抜群の。

テレビアニメで
ギャグが
ぜんぜん決まらず
面白いですよ
空気が出ているものの
その実、
完全に
冷凍された空気が
テレビ画面から
発せられる。
そんなことを
よく感じてしまう私ですが、

アニメだからね
難しいよね

なんて
やんわり許してあげてました。
けど、
違ったわ。
関係なかった。
作っているひとのセンスなんだな。
これから
忌み嫌うことにいたします。

で、
美人すぎる
って
大変だわ。
ってことをコンセプトに
濃いひとびとが
つぎつぎに騒動を巻き起こします。
分かる気がします。
アイドルやモデル、役者になれればいいけど
それができない
美人は
生きにくい人生だろうて。

ちょうどいいのがいいよ。
めちゃくちゃブサイクってんでもなく
太っているけど
ものすごいデブ
ってわけでもない
自分を幸せに思うことにしました。
あとは
性格させ直せば
オールオッケーだ。(…ん?)

あとは。
これは笑いに
まみれてないですけど。
モテキを
やっと全部読みました。
それでもって
んー
と。

1巻読み終わった時点で
ずっと考えているんですけど
言葉にならないんです。

全部読み終わった今なら
書けるかな
と思ってみたけど
まだ分からないです。

どうして
漫画のモテキを
私が気に入らない
のかを。

コンセプトも面白いし
画も嫌いじゃないし
展開にも
基本的には
文句もないんだけど。
悪くないんだけど。
よくもない。
かゆい所に手がギリギリ届かない。

ドラマを先に見てしまって
期待値があがっていたからか。
とも思いましたが、
そうではないです。
そうではないのです。

何かが
決定的な何かが
あるんだけど。
みつからない。
首根っこつかまえて
バッサリ
切れるポイントを言語化できていません。


…。

ちょっとここまで書いて
シャワー浴びてきました。
頭を冷やしてみたら
なんか浮かぶかな。と。
こっからは笑いうんぬんの話でないので
興味のない方は気にせぬよう。

一個思いついたのは。

余白が
足りない。

ってことだと思います。
画のことじゃなくて、
お話の余白です。
要するに
説明が多すぎる。ってことなんですけど。
公開されている情報が
多すぎる。

主人公を始め
登場人物の考えることも
すべて話の中で
説明されているし、
キャラの分析が
作っている人のなかだけで完結しているような
気がするのです。
あくまでも気がするだけですが。
だから
たぶん
おもしろくない気持ちになっているのだと思います。
こっちが
あーだこーだ言うのを阻止されている気がする。
矛盾や話のつじつまは
合ってなくてもそれでいいんです。
ただ前半の説明が多すぎるために
ズレがモロズレに感じてくる後半。
主人公に感情移入できませんでした。
いちばん説明されていない
ミステリアス美女、小宮山夏樹が
その分だけ
妙にリアルに思える。
このひとがイキイキ見えるのは気のせいか。
夏樹ちゃんの口からも言わせていますけど
本音は
カテゴライズしてんじゃねーよ。
ってことです。
このセリフで、
この作品全体をぶった切った気がします。
いやいや
作り手側の意図とは無関係です。
私がそう思っただけで。
そう
この私のあーだこーださえも
すでに作中で語られているっていうね。
もやもや。

首根っこ
結局つかまえられないけど
今日はここまで!

ママはテンパリスト 東村アキコ

2010年09月04日 | 
いわずとしれた
ベストセラー
なのですね。
知らなかったです。

3巻まで読みました。

育児系のみならず
エッセイ漫画で
これほど
大笑いしたことはありません。
穴という穴から
いろんなものが垂れ流して笑いました。

なんというか。
育児のあるある
も、もちろんドハマり
ではあるんですけど、
つきはなした
客観性

笑いを生む人
というまな板にのせたときに
高センスで
クール。
好みです。

衝撃でいえば
柳原可奈子ちゃんのママのコントを
見たときに近い感覚です。
あれは
だいぶ
意地悪あるあるなんですけど
それを差し引いた感じね。
あ、分からない?
とにかく、
あるある
ドハマり
のさらに上をいく
「なに、この面白さ!」
という感覚です。
幸せすぎます。

しみったれた講釈も
説教も
感動もなし。

それでも読後、
育児を続ける人に勇気を与えるような
すばらしい内容。
ご本人にその気はなくても
これでいいのだ
理論です。

才能に惚れましたので
この方の
漫画
読んでみようかな
という気になりました。
もともとエッセイ漫画家
というわけではなく
少女系漫画で
いろいろと代表作がおありです。
単純に
おもしろいっ
って思いたいお年頃が
もうかれこれ
20年は続いている私です。

もう
面白い漫画あるなら
教えてって
年の初めに言ったじゃないよぉ。

そうそう。
今日の
笑いいっさいなし

ブログ
触発されたのかどうか知りませんが、
わが子の発言をテーマに書いてます。
さっき
見直したら
文章が破たんしていて
どうなのよ
とがっかりしましたが
お暇なら
どうぞご覧ください。