ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

群馬県高山村、塩原太助「馬つなぎの松」です!!

2017-04-21 09:46:17 | 遺跡・史跡
塩原太助馬つなぎの松は、高山村役場の北東約4kmのところ

県道36号線の赤根トンネルの上、金毘羅峠の手前にあります

赤根トンネルの手前を旧道に入って、みなかみ町との界が金毘羅峠です

東屋脇に車を止めさせて頂きました






赤い鳥居が立っています

説明版が有ります
   塩原太助馬つなぎの松
    塩原太助が江戸に向うべく故新治村を出奔する時、愛馬「あお」を金毘羅峠まで引っ張って
    いよいよ別れる時つないだ松で、樹齢約270年経た老松であ。
   福守石
    三国街道を新田から3500m程峠にかかり、塚原に向けて途中の馬つなぎの松の手前にそ
    の形が男根に似た高さ80cm、太さ経30cm程の立派な陽物石がある。
    俗に摩羅石と云い子孫繁栄を願う人々で賑わい、その破片を守護に持ち帰った人が多かった
    という、今は鳥井と赤い鉢巻を老人会の人々が寄進し観光ブームに景を添えている。
          中部北陸自然歩道  環境庁 群馬県 高山村



峠側に進むと案内板です

説明版です
   塩原太助馬つなぎの松
    塩原太助は、利根郡新治村(今のみなかみ町)下新田「塩原角右衛門」長男として寬保3年
    (1743)に生まれた。幼少の時に母と死別し、継母に育てられ厳しい仕事に耐えたが、
    むごい仕打ちに故郷を跡に江戸を目指して出奔。愛馬「あお」をこの松につないで別れたと
    云える。時に宝暦21年(1761)の晩春で、太助18歳であった。後に天明2年(17
    82)、江戸本所に炭や「塩原」を独立し財をなした。
    かつて太助出奔のおり喉が渇き水を欲したが、この辺りには水がなく苦渋した。そこで、反
    りの中山峠茶屋主「中野久兵衛」に旅人の無料接待を望み、茶釜と年一両ずつを喜捨してい
    る。
    文化13年(1816)8月14日73歳をもって、本所相生町二丁目(今の両国三丁目)
    で生涯を終えた。因みに法名は「塩原寿山居士」と諡された。いまでも中野家には太助翁の
    位牌が祀られている。
                         (撰文 稲川昭三)
    初代 「馬つなぎ松」
    種別 赤松
    樹齢 300年位
    目通り2,5m(直径約80cm)
     幹部は、いぶき会館に展示しています。
    現在の松は、二代目の「馬つなぎ松です。初代「馬つなぎ松」は、村指定文化財(天然記念
    物)になっていましたが、平成18年の夏に老木ゆえに枯れてしまいました。
    村ではこの場所を史跡として末永く伝えていくために、二代目「馬つなぎ松」を植樹しまし
    た。
        平成19年12月            高山村教育委員会



.
二代目のマツが成長しています

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