昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い
生涯の記憶を切取らん

 

君達がいて 僕がいた 「京橋はええとこ」

2016年12月28日 | 5 青春のひとこま 1973年~

京橋はええとこ
昭和50(1975年)年1月25日
第一回MA会を京橋で行った
グランシャトー通りの喫茶店に集合した吾々
そこで以て
幹事の任期を半年とし 夏の旅行 忘年会並び新年会を各々の幹事が行うと決めた
月に一度集合して、会費1000円の徴収をする
旅行費等の積立金に充てるのを目的とする
・・等々
と、決めた後は愈々親睦会
夜の京橋
いざ、きょうは何処へ行こうか

  
                                                    ↑ イメージ画像 1975年当時のものに非ず

大同門で焼肉を食べるも

ものたりず、串カツ屋へ

「タレ 漬けれるのは一回だけやぞ」 と、西村

「このキャベツ、美味いなぁ」

タレの入った器に直接浸けて食べる串カツもキャベツも、私には初めての経験

皆はこういうこと能く知ってゐるものだと、関心した私であった

食事の次はスナック・・と、親睦会は深まっていった

  
            ↑ イメージ画像 1975年当時のものに非ず
午後11時半頃

新京橋商店街をぶらついていた時

酔いつぶれをおんぶして歩いて来る男とすれ違った

何気なしに覗いて見ると

なんと、驚く哉

おんぶされているのは中学の同窓、宮下卓晃

中学三年までは一緒に野球したり、ボーリングしたりと、能く遊んだ幼馴染である

高校へ進学してからは疎遠になっていた

5年振りの久し振りであった

然し、まさか

こんな形で再会しようとは

「オーッ」

「お前、何 してんねん」

卓晃、背中に顔を付けた侭 苦笑いをして応えている

もう、笑うしかなかろう

それで精一杯の状態であったのだ

「もう、酔いつぶれるまでのんで・・」

奴もこうして青春している

・・

偶々の出遭い

吾々は、京阪モール側へ向おうと

グランシャトー前の大阪環状線のガードを潜ったところ

いくよくるよ

・・の、二人と遭遇したのである

舞台衣装の侭の姿であらうか

この頃は、未だ未だ売れない漫才師の二人

「ファイト ファイト」

・・と、下腹部に手をやる くるよ のギャグは、観客をシラケさせた

これを、ドンビキ と謂うのだそうな

徒に連発するだけで、客には全くウケなかったのである

必死で演じるその姿が、却って 悲愴であった

とは雖も、テレビに顔を出す芸人である、有名人である

然し、その態度に人目を気にする様子はなかった

吾々一般人と変らないニオイがしたのである

従って、吾々も何気なく通り過ぎたのである

一期一会

斯くして出遭うのも何かの縁と、親近感が湧いた私は

是以降、いくよくるよの漫才を応援したのである

遊ぶは楽し

国道一号線沿いには、東映、新東宝の二つの映画館が在った

深夜映画で夜を明かしたのも

大流行していた アルサロ ハワイ で遊んだ事も

私にとっては初めての体験であった

なにせ、二十歳 誰も皆 若かった

斯くして

意気軒昂、京橋界隈を闊歩したのである


アルサロ「ハワイ」
当時は有名であった

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