昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い 吾昭和の記憶を物語る
 

ほう・・・、それで、親孝行とは如何ですか

2021年05月08日 05時07分22秒 | 5 青春のひとこま 1973年~

昭和50年 (1975年 ) 5月18日の事は、
朋友・長野には、私以上に感慨深いものであったようだ。
彼は、此がキッカケで○○学会に入会したのだから。
以降彼は、
組織の中に身を置いて 宗教というプロセスで以て、

自己をみつめることにした。
私は、「 俺はオレ、オマエはお前 」を、肝に銘じ、
更に自分と向合うことで、自己を追究しようと考えた。
「 吾は吾の道をゆかん 」
・・・との想いは、頑なに不易。 変へなかったのである。

・・・リンク→ 「サークル」  長野君の小冊 

 ・
昭和59年(1984年)
私の結婚式・披露宴
で司会を務める 朋友・長野
その司会振りは立派なもので、皆を感嘆させた。

「 ナンムミョウホウレンゲキョウ 」
仏壇の前に坐る朋友・長野
凛とした大きな声で、大真面目、一心に唱えている。
後ろで傍観した私
その姿に、何かしらん、奇異を感じた。


昭和51年 ( 1976年 ) 2月24日、
ロッキード事件の強制捜査が開始された。
同年、7月27日、
田中角栄前首相逮捕と謂う とんでもない展開に日本中が驚愕した。
「 記憶にございません 」
此は、国会・予算委員会
での証人喚問に於いて
田中角栄と 『 刎頸の友 』 と 謂われた小佐野賢治が繰返し繰返しの答弁である。
吾々の世代なら、決して消えることのない記憶であらう。

親孝行したい
昭和51年 ( 1976年 )、22歳の私
「 人と会って、話しを聞く 」 ・・・は、普段の心がけであった。
ある日曜日
朋友・長野に呼ばれ、一人住まいの彼宅を訪れた。
其処には、五、六人の御婦人と 一人の老人が居て、仏壇に向ってお題目を唱えだした。
皆で一丸となって、
南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経
後ろで傍観の私
この構図・・・今度も変りはない。
やはり、斯の時も違和感を覚え、
彼等の姿に奇異を感じてしまったのである。

私は、至って単純な性格で素直な心の持主
・・・と、自分ではそう想っている。
 「俺は、あの中には入れない 」
・・・と、素直にそう想った。

お題目をあげ了った後の ミニ座談会、
一同が丸座になった。
私も丸座に加わった。
私に、一人の老人が口火を切った。

「 感想を聞かせて欲しい 」 ・・・と、言う。
まさか、「 違和感を覚え奇異に感じた 」 ・・・とは、言えまい。
而も、関心がないこととて、
殊更感想もなかったのである。

一人の御婦人が言う。
「 私の母が亡くなった時、毎晩夢枕に現われた。
ナミアミダブツ ・・・と、
念仏を唱えたものの効き目がない、
そこで改宗して お題目を唱えたら、現われなくなった。
母はこれで やっと成仏したのだ・・と、そう想った 」 ・・・と。

然し、私は斯の話しにも
何ら関心を持たなかったのである。

「 貴方は今何がしたいですか 」
・・・と、一人の老人が私に訊ねた。
私は、「 親孝行がしたい 」
・・・と、即座に返答した。
 
「 ほう・・・、それで、親孝行とは如何ですか 」  ( ・・・いかに ・・なに ・・なん )
・・・・
問答が始まった。
戦前は 中野正剛  に師事していたと言う斯の老人、さすがに百戦錬磨の長者である。
而も、温和で魅力ある中々の人物に見えた。
その魅力に、誰もが引き込まれて行くのであらう・・と、そう想った。

「 親の傍を離れないこと 」 ・・・此が、親孝行と 私は答えたのである。

「 立派な心がけです、しかしそれだけでは足りません、半分です 」
・・・と、そう言う。
自分でも
、斯の答えでは半分だと想った。
本当のところは、
「 立派な人間に成る ことこそ、親孝行である 」
・・・と、堂々と
胸を張って、そう言いたかった。
然し、そこまで言いきれる自信がなかったのだ。
その 奥ゆかしさ 故に、
「 半分です 」
・・・と、相手に感じさせたのである。

「 論語読みの、論語知らず 」
・・・と、言葉尻を捉えて御婦人が言った。

この博識の御婦人、
それが如何に無礼な発言と認識すらできないのであらう。
然し素直な私、
さもあらん、そのとおり
・・・と、そう想った。

そして、斯の老人、ニコニコしながら言った。
「 究極の親孝行は親にも信心させることです 」
・・・と


昭和51年(1976年)10月30日  事務所の皆と彦根城をスケッチ

今なら、
『 親孝行とは如何 』
・・・と、問われたら、
「 親の傍を離れないこと 」
・・・と、
自信を持って言いきろう。

此こそ、
私が洋々辿り着いた
究極の真理だったのである。

宗教と謂うもの、分ろうともしなかった若い頃。
そのこと今も尚、なんにも変っちゃいない。
そんな私が、
青雲の涯てに逝った両親を偲び、
仏壇に向ひて線香をあげ、合掌するとき、
ナミアミダブツ・・・・・・・
そう、唱えている。

それで いい。


コメント    この記事についてブログを書く
« 古いお寺に ただひとり | トップ | 君達がいて僕がいた 1 「 仲... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。