昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い 吾昭和の記憶を物語る
 

禁じられた遊び

2016年12月30日 | 3 青い鳥 1967年~

♪ タンタンタンターターター・タンタンタンターターター・・・・♪
近所の同級・宮下がギターを流暢に弾いている。
流行りの 「 禁じられた遊び 」・・なのだと。
「 へぇー、お前上手いなぁ 」
ギターを持つ姿が堂に入っている。
それはもう、得意顔である。
「 いい曲やなあ 」 ・・・と、聴き惚れた私であった。



昭和42年 ( 1967年 ) 中学1年生
何の一環なのかは分らないが、洋画 「 禁じられた遊び 」 を、観る授業があった。
それは、体育館に全学年が一同に会し、鑑賞したのである。
初めて観る映画であった。
宮下が得意な顔をして弾いたメロディが流れる。
「 いい曲やなあ 」・・・は、映画の物語と マッチしていない。
そう・・・感じた。
私は、
何が 「禁じられた遊び」 なのか、分らなかったのである。

ホームルームの時間。
担任の丸山先生
「 映画を観て、君等は如何想ったか 」
「 何が、印象に残ったか 」
と、吾々の感想を求めた。
自分は、
「 暗い空に発煙筒が光るシーンを観て、戦争中の空襲を想い出した 」
「 B29から落とされた焼夷弾、空が真っ赤に染まって明るかった 」
と、その印象を、己が体験と併せて しみじみと語って聞かせたのである。

私が観たものは
パリから田舎に疎開する三人の親子連れに、
後方から ドイツの戦闘機が追いかけて来る。
逃げ惑う親子連れ。
戦闘機は、彼等を狙って容赦はしない。
戦争とはなんと惨たらしいものなのか。
撃ちおろされた弾が、逃げる親子の後ろから追いかけてくる。
「 殺られる 」
真ん中に幼き少女を挟んで、三人は伏せた。
次の瞬間、両袖に伏せた両親の背中に弾が貫通した。
即死である。
戦闘機が通り過ぎ、起き上がった幼き少女。

「ママ」
・・・
呼べども返答はない。

「死ぬ」 
と、謂うことを理解できない幼き少女、
なんと悲しい場面であらうか。

吾感想は学校側の 思うツボ だったのか、
それとも、独特のピント外れ だったのであらうか。


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