前回は抗うつ剤の投薬が始まるまでを書きましたが、今日はその後のことを書きたいと思います。
薬を服用し始めて一時は良くなったかに思えた症状が、日に日に悪くなって行くのを自覚し始めました。
ただ主治医は内科が専門で父親である院長の神経科の資格でそういう治療も行っていたような感じで、調子が悪いことを訴えても効果的な処方はされず、
あいも変わらずの内科の対処両方でした。
これでは悪くなるのは明らかでしたし、かと言ってほかの病院へ行く気力さえすでになくなっていましたので、そのまま悪い状態を引きずりながら仕事をしていました。
その状態で3ヶ月ぐらいたったころでしょうか、朝起きると窓から外を眺めてぼんやりしている自分がおり、会社でも呆然としていました。
明らかにおかしい・・・・。
調子が悪いと早退させてもらい自宅に戻ると無性に死にたくなってしまったんです。
多少冷静さがあったんでしょうね、すぐに妻に連絡をし『どうにもおかしい、医者に連れて行って欲しい。』と妻のパート先に電話をしたのでした。
状況はわかっていましたので、すぐに帰ってきてくれ医者へ連れて行ってくれました。
その道中では『もう仕事をやめてもいいから、私ががんばる。』と言ってくれたことを今でも鮮明に覚えており、感謝もしています。
医師に頼んで市民病院への入院手続きをとってもらい、翌日入院をしました。12年前のことです。
この続きは次回に・・・。
薬を服用し始めて一時は良くなったかに思えた症状が、日に日に悪くなって行くのを自覚し始めました。
ただ主治医は内科が専門で父親である院長の神経科の資格でそういう治療も行っていたような感じで、調子が悪いことを訴えても効果的な処方はされず、
あいも変わらずの内科の対処両方でした。
これでは悪くなるのは明らかでしたし、かと言ってほかの病院へ行く気力さえすでになくなっていましたので、そのまま悪い状態を引きずりながら仕事をしていました。
その状態で3ヶ月ぐらいたったころでしょうか、朝起きると窓から外を眺めてぼんやりしている自分がおり、会社でも呆然としていました。
明らかにおかしい・・・・。
調子が悪いと早退させてもらい自宅に戻ると無性に死にたくなってしまったんです。
多少冷静さがあったんでしょうね、すぐに妻に連絡をし『どうにもおかしい、医者に連れて行って欲しい。』と妻のパート先に電話をしたのでした。
状況はわかっていましたので、すぐに帰ってきてくれ医者へ連れて行ってくれました。
その道中では『もう仕事をやめてもいいから、私ががんばる。』と言ってくれたことを今でも鮮明に覚えており、感謝もしています。
医師に頼んで市民病院への入院手続きをとってもらい、翌日入院をしました。12年前のことです。
この続きは次回に・・・。