浜床のふろしき

尾道市因島から日常を記します

秋季査閲

2010年10月31日 | 日常

秋季査閲
我が分団の秋季査閲が行われました。

114名の団員を抱える尾道市内でも最大規模の分団であり、規律をきちんとしないと分団としての行動が成り立たなくなります。そのため、普段はバラバラの生活をしている団員も規律を守り行動します。

その成果が発揮された秋季査閲となりました。 終わった途端に雨が降り出すなんて、幹部の執念が天に届いたとしか思えません。

皆さんお疲れ様でした。


10年間

2010年10月30日 | 日常

人には人生の岐路とも呼ぶべき瞬間があります。

進学や就職など、多くの人が経験する明らかなターニングポイントがあれば、後から気付く人生の選択もあります。

僕にとっては、10年前の11月1日がその人生の岐路になります。息子との二人暮らしが始まった時です。戸籍上で父子家庭となったのは、もう少し後ですが・・・。

この時の経験が今の僕を形成する上で大きな財産となっています。家族や多くの友人たちに支えられてきましたし、喜びも苦労も沢山経験させてもらいました。

あの時から10年が経ちます。これもまた一つのターニングポイントだと思います。


付け焼き刃

2010年10月29日 | スポーツ

20数年前のこと、僕は確かに中学校の陸上部に所属していました。僕は長距離が嫌いだったので、短距離グループにいましたが、その中学校は駅伝シーズンになると短距離選手も長距離選手も関係なく駅伝選手として練習をしていました。

僕は長距離が嫌いなのですが、決して苦手なわけではなく、元来の負けず嫌いと生真面目な性格が災い(?)して練習を頑張ってしまい、駅伝の出場選手に選ばれていたのです。

そうは言っても、元々の長距離選手としての才能があるわけでもなく、ただ真面目に練習を続けて記録が伸びただけなので、本当に速い選手とは大きな差があったのも事実です。その頃は僕の一学年上や二学年上の先輩がとても速くて、そんな先輩たちにかわいがってもらいました。

さて、そんな中学時代にお世話になった先輩から「駅伝に出ない?」というお誘い(命令?)を受け、この度『因島フラワー駅伝大会』に出場することになりました。実は中学生の頃、この大会がまだ因島一周で行われていた時に椋浦から外浦という山を二つ超える最長区間を走ったことがあります。

しかし、今の僕は別人です。 大会まで1ヶ月しかありません。普段から少しは運動をしていると言っても、今の僕の身体(特に内臓系)は長距離を走れる状態では無いので、毎日のトレーニングが必要となりそうです。

付け焼き刃での参加ですが、楽しみたいものです。


子育て親育ち10カ条

2010年10月25日 | こども

尾道市PTA連合会の前期総会に出席してきました。

この市P連の会合に出席すると、毎回「子育て親(おとな)育ち10カ条」というのを出席者で唱和します。でも各学校のPTA会員の人たちがこの存在を知っているかどうか分からないので、とりあえず、アップしてみます。

《あいさつ》
 「おはようで始まる幸せな一日」
《親の学び》
 「叱らずに 聞いてあげよう 子の気持ち」
《日常生活》
 「はきものを そろえて心 ひきしまり」
《個 性》
 「十人十色 人と違って 当たり前」
《見守り》
 「見逃すな! 大事なサイン 子の悩み」
《日本人の誇り》
 「受け継ごう 日本の文化 礼儀やマナー」
《親の愛情》
 「子育ては 叱るも誉めるも 親心」
《親の余裕》
 「ボタンかけ も少し待とうと 深呼吸」
《子どもからのメッセージ》
 「夢いだき 子どもが見てるよ 大人の社会」
《地域の役割》
 「子宝は 地域社会で 目を配る」

よし。これで僕もPTA会長らしい仕事を一つしました。


阿伽羅

2010年10月23日 | 日常

去る10月13日の新聞に「阿伽羅」なる見慣れない言葉が載っていました。その内容は以下のとおりです。

10の224乗を意味する阿伽羅。その名を冠するコンピューター将棋ソフト「あから2010」が、女流王将の清水市代さんに勝利した。敗者として科学史に名を刻むリスクを承知で受けて立つ清水さんの勇気をまずは讃えたいが、一流どころの棋譜を徹底的に覚え込ませ、更に世界選手権で鳴らした四つのプログラムが導き出す考えを多数決にかけるという最強のシステムに、持ち時間を使い切り、秒読みに追われてミスが出たらしい。許可なく公の場でプロがソフトと対戦することを禁じる日本将棋連盟だが、ミスを犯す人間味も含めての「頂上決戦」にファンは酔うのだから躊躇うことはあるまい。勝敗を超えて、白い着物で機械に臨む清水さんの指し姿は十分に美しかった。

正直、よく分からない数字です。子どもの頃は「億」なんて数字を意識することもありませんでしたが、大人になった今では「兆(テラ)」まで生活の中に入り込んで来ていますから、もしかしたら将来は意識せざるを得ないのかもしれません。

ただ、この参考資料を見る限り、僕が生きているうちに「阿伽羅」なんて数字に出会うこと、無いのかなぁとも思います。


施設は増やせるのか?

2010年10月23日 | 福祉

厚生労働省の調査によれば、特別養護老人ホーム(介護老人福祉施設)に入所申し込みをしている人が42万人を超えているそうです。(平成2112月現在)←調査方法に疑問は残るけれど・・・。

その内の約半数の人が在宅で生活しており、また約半数の人が病院や他施設で生活している現状があります。

僕が勤める施設でも待機者が270名を超えています。定員が54名で、実際に入所するのは年間に10人前後ですから、多くの方が利用できないまま他施設に行かれたり、お亡くなりになられたりします。

では、施設を増やせば良いのではないか?という話になりますが、実際には様々な問題があって難しい状況だと思われます。

まず一つ目に介護従事者の問題が挙げられます。

昨年の介護従事者の処遇改善交付金の報道により「介護」の仕事がメディアで大きく報じられました。しかし、それは給与の低さだったり、仕事内容の大変さだったり、離職率の高さだったりとか、負の面を取り上げて、だからこそ賃金アップを・・・と言ってしまったことにより「介護」の仕事は大変だぞと日本国民に思われてしまったところがあります。

実際に、介護福祉士やホームヘルパーを育成する専門学校や機関の定員は大きく割り込んでしまい、閉校してしまうところもあると聞きます。またせっかく介護福祉士の国家資格を取っても福祉業界とは全く違った仕事に就く人も多いと聞きます。

都会では、定員数80床の施設が職員不足により70床しか稼働できないといった状況が起きているのも現実です。

つまり、施設を増やしたからといって、そこで働く人が集まらなければ成り立たないのです。

二つ目に介護保険料の問題が挙げられます。

40歳以上の人は介護保険料を各保険者(殆どの場合、市区町村)に収めています。そして、その保険料(50%)と公費(50%)によって、介護保険が運営されているのです。

そうすると、施設を増やすということは、それだけ出費も多くなるので、当然のことながら保険料も上がります。

65歳以上の人一人あたり4160/月(平成22年度全国平均)と言われている介護保険料をまだまだ上げないと施設を増やすのは難しいのが現状なのです。ただでさえ、将来の生活に不安のある人たちから、強制的に高い保険料を徴収するのは理解が得られにくいでしょう。

他にも問題はありますが、結局のところ施設を増やしたからと言って、問題解決にはならないだろうということです。


手紙

2010年10月20日 | 日常

僕宛にハガキが届きました。

すっかりメールに慣れてしまっている僕には新鮮に感じられました。

内容は引越しのお知らせですが、手書きでも数行のコメントをくれていて、嬉しくなりました。

まずは引越ししたことを教えてくれようとした相手の気持ちが嬉しかったですし、少しでも手書きで文章を書いてくれた気持ちにも嬉しくなりました。

本来なら僕も手書きのお返事を書くべきなのでしょうが、如何せん筆不精なもので実行に移せずにいます。僕も相手に気持ちを伝えられる手紙を書きたいものです。