浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

【本】ブレイディみかこ『花の命はノー・フューチャー』(ちくま文庫)

2017-07-19 12:59:33 | その他
 イギリスの「地べた」からのみかこさんの報告は、なかなか刺激的である。彼女の本は、私はほとんど読むようになっているが、この本は2005年に出版されたもの。増補版がちくま文庫になったので購入した。

 残念ながら、「解説」が栗原康。私は彼の、何を書いてもワンパターンの主張が好きではない。彼の結論はいつも同じ。「倫理もクソもありゃしねえ。やっちまいな」「なんでもやってやれ」・・・・。大杉栄を書いても、伊藤野枝を書いても、誰も皆、栗原の理想とする破壊的な生き方を増長させる人間としてしか描かれない。それがなぜか脚光を浴びている。今まで彼は、カネがない,カネがない、借金なんか踏み倒せなどと叫んでいたが、最近はカネが入ってきてどういう変化が生まれたのか知りたいものである。

 彼の文章に、私は書き込みをしたり、傍線を引いたことは一度もない。ただあきれながら読んだだけだ。

 しかしブレイディさんの文には、事実を事実として書きながら、そこから箴言めいたものが引き出される。たいへん参考になる。『ヨーロッパ・コーリング』、『THIS IS JAPAN』などは傍線や付箋がいっぱいである。

 この『花の命は・・・』は少ないが、たとえば「ゴッドになったようなつもりで世界を変えようとするのは、クレイジーな人間のすることである」(25)。まさにトランプや、安倍晋三という輩が、そのような「人間」であることがわかる(ブッシュのことが記されているのだが、この記述に普遍性が感じられるのだ)。

 また

 「生きる甲斐ががなくても生きているからこそ、人間ってのは偉いんじゃないだろうか」(191)

 なんて、なんて哲学的!と思う。

 私はかつて障がい者問題に取り組んだとき、生きているそれだけで、人間は尊い、という感慨をもったことがあるが、それに近いことばである。

 それから、イギリスの貧民層は、一時的に貧乏になったのではなく、自分も、親も、そのまた親も貧乏であったとし、その「プアには脈々と流れるヒストリーと伝統があ」り、「恒久的貧乏だけが「階級(クラス)」として確立される」、「由緒正しい貧乏人なのだ」(280~281)という指摘に、そうなのかと教えられる。そして彼らは、貧乏でない状態を知らない。だから生きていくために、政府の補助金をだまし取り、通行人に暴行を働いたり、窃盗やヤクをやる。

 イギリスは階級によってことばが異なる、というが、そうした「ヒストリーと伝統」がことばの違いを生み出すのだ。

 日本も、イギリスのような「ヒストリーと伝統」を作り始めている様な気がする。貧困の再生産。新自由主義に魅了された者たちによる政治には、「貧乏人」の存在がその視野に入らない。世界中がそうなっている。

 貧しき者たちよ、団結せよ!、このことばは有効なのだろうか。
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