天気 晴
穏やかな三が日が終わった。最近は三が日に雨の降ることが殆どない。
毎日、富士山を堪能でした・・遠くからではあるけれど。
正月三日間だけは朝はお雑煮、夜はおせち、ということにしている。
我が家のお雑煮は、東京近辺では普通に食べるものと同じ・・はず。切り餅を焼き、鶏肉と蒲鉾(今年は鳴門巻にした)、人参里芋小松菜。普通のすまし汁。あ、写真は元日だけれど折角買ってあった三つ葉を忘れた。
そして、よそ様と違うのは揉み海苔をたっぷり振りかけることかもしれない。房総の海岸育ちなので、子供のころは巾海苔が欠かせなかった。でも、手に入らなくなってからは普通の海苔になった。海苔は無論、今も千葉産、と決めている。東京にはそんな習慣はないかも。
お雑煮でいつも思い出すのは、中学3年で父の転勤のために行った四国での初めてのお正月のことだ。
米屋から餅が届いたとき、母は米屋と喧嘩になった。
「おそなえの餅は一組頼んだだけなのに、何で小さい餅がこんなにあるの!!」と母。
丸いお餅が木箱のいっぱいに並んでいたのだ。私もびっくり。
「奥さん、関東風がいいと注文のときに言ってくれんかったら困る!」と米屋。
結局、のし餅と交換してくれたようでいつものお雑煮が食べられた。
さらにびっくりしたのが・・正月に同級生の家へ遊びに行ったら、昼食になってしまいお雑煮を出してくれた。白いどろどろの汁の中に丸い餅が入っている。こちらでは丸い餅が普通なのだと納得。でも、白味噌の味は関東育ちには今ひとつ。
そして、仰天は、そのお餅を齧ったら、中に甘い「あんこ」が入っていた。無理して食べた記憶がある。
友達の名前もその家のことも思い出さないのに、今もあのお雑煮のことは思い出してしまう。まさにカルチャーショックだった。
そろそろお餅に飽きて、昼にはご飯を炊いてしまった。
三日はや昼餉に越後コシヒカリ KUMI
穏やかな三が日が終わった。最近は三が日に雨の降ることが殆どない。
毎日、富士山を堪能でした・・遠くからではあるけれど。
正月三日間だけは朝はお雑煮、夜はおせち、ということにしている。
我が家のお雑煮は、東京近辺では普通に食べるものと同じ・・はず。切り餅を焼き、鶏肉と蒲鉾(今年は鳴門巻にした)、人参里芋小松菜。普通のすまし汁。あ、写真は元日だけれど折角買ってあった三つ葉を忘れた。
そして、よそ様と違うのは揉み海苔をたっぷり振りかけることかもしれない。房総の海岸育ちなので、子供のころは巾海苔が欠かせなかった。でも、手に入らなくなってからは普通の海苔になった。海苔は無論、今も千葉産、と決めている。東京にはそんな習慣はないかも。
お雑煮でいつも思い出すのは、中学3年で父の転勤のために行った四国での初めてのお正月のことだ。
米屋から餅が届いたとき、母は米屋と喧嘩になった。
「おそなえの餅は一組頼んだだけなのに、何で小さい餅がこんなにあるの!!」と母。
丸いお餅が木箱のいっぱいに並んでいたのだ。私もびっくり。
「奥さん、関東風がいいと注文のときに言ってくれんかったら困る!」と米屋。
結局、のし餅と交換してくれたようでいつものお雑煮が食べられた。
さらにびっくりしたのが・・正月に同級生の家へ遊びに行ったら、昼食になってしまいお雑煮を出してくれた。白いどろどろの汁の中に丸い餅が入っている。こちらでは丸い餅が普通なのだと納得。でも、白味噌の味は関東育ちには今ひとつ。
そして、仰天は、そのお餅を齧ったら、中に甘い「あんこ」が入っていた。無理して食べた記憶がある。
友達の名前もその家のことも思い出さないのに、今もあのお雑煮のことは思い出してしまう。まさにカルチャーショックだった。
そろそろお餅に飽きて、昼にはご飯を炊いてしまった。
三日はや昼餉に越後コシヒカリ KUMI
本年も宜しくお願いいたします。
子供の頃はば海苔の事をはんばと言っていました。
私の父方は伊豆多賀で昔は従兄弟が毎年送ってくれました。
漁業権が有り解禁の日が決まっていて、岩に付いたのりをかいて四角にすると。
たまに熱海で売っていますが高くて見るだけです。
火鉢で炙って、ご飯の上に揉んでかけ醤油をたらして食べる。
いい香りと、ぱりぱり感が何ともいえず美味しい。
懐かしいです。
海ホタルでも見かけなかったので、館山の方まで行けばある、のかもしれません。
やっぱり、お雑煮には巾海苔ですね、御存知の方が居て嬉しいことです。
ちょっと高いけれど、20年ぶりくらいでしたから。
そうそう、その時に伊豆では「はんば」海苔と言うと知りました。
でも、2月でしたから、お正月まではとっておけず・・
でも、お雑煮を食べると思い出します。香りが何とも言えませんね。
家のあたりは浅草海苔の産地でしたけど、内海なので巾海苔はありませんでした。
房州から海女さんが売りに来たのです。
だんだん、昔のものがなくなっていきますね。