そうは言っても、当時、役立ったと思えたものは、予備校配布の偏差値順のランキング表とか、過去問集みたいなやつだったな。赤本もそういう延長だよね。模試を受けるとカネもかかるが、お得感のあるそういうサービスもあったんだろうねw情報過疎を救ってくれたのは予備校主催の模試だったわけだなw
— 『自由党』支援道民(浜菊会) (@hamagikukai) 2017年1月9日 - 21:28
今でも嫌いなのが、机上の空論バカw
— 『自由党』支援道民(浜菊会) (@hamagikukai) 2017年1月9日 - 21:34
オレがかつて出会ってきたバイト先の人々とか、学歴ないけど仕事の本質を知ってる人々とか、誠実・正直を旨とする人々とか、そのような方々を尊敬しているわw「グラン・トリノ」に出てきたイーストウッドのじいさん的人とかw口ばっかの奴は大嫌いww
一方で、コネ重視派が、一発成り上がり系の人間を毛嫌いするだろうな、というのも分からないではないw
— 『自由党』支援道民(浜菊会) (@hamagikukai) 2017年1月9日 - 21:38
その最たる存在が、慶応でしょ?w
慶応閥ってのがあると思うが、慶応の良い部分ってラグビーが強いとか、お坊ちゃまとか、ガキの頃からのコネと結束ってことくらいしか思い浮かばないけどなw
まあ竹中平蔵が慶応教授に収まった、というのを見ても分かるとおり、それなりの人間を「カネで解決」できる程度に、そういうシステムってのがあるんだろう。
— 『自由党』支援道民(浜菊会) (@hamagikukai) 2017年1月9日 - 21:40
山本一郎が慶応云々言うのにも、相応の意味があるってことなんだろうなw上場企業の社長クラスでさえ、慶応のご威光が効くらしいからなww
なので、オレの評価基準からすると、嫌いな学校の最先端が「慶応」
— 『自由党』支援道民(浜菊会) (@hamagikukai) 2017年1月9日 - 21:44
理由は簡単。
貧乏人の一発当てるシステムの対極にあり、コネと人脈と肩書が一番威力を発揮するから。
国公立はコネは通用しないが、家柄とか幼少時から持ち上がりとか、一切関係ないから好ましいw
文化資本が脆弱ではあるがw
finalventの言う『高度成長期の事実上のリフレ政策』って、どんな意味なのだろうか?
— 『自由党』支援道民(浜菊会) (@hamagikukai) 2017年1月9日 - 21:57
彼は経済の理屈に疎いという印象が常なのだが、何故か「リフレ政策」には明るいらしいwしかも、高度成長期の事実上のリフレって何をさしてそう呼んで… twitter.com/i/web/status/8…
戦後日本でインフレ率が猛烈に高くなった昭和22年頃までというのは、供給力不足と需要超過が著しかったことであろう?米国輸入物資しかなく、国内生産がほぼ消失してたわけだし。物不足、食糧不足に代表される状態ってことだ。GHQの経済運営の大失敗、ということになろう。当時は米国ですら
— 『自由党』支援道民(浜菊会) (@hamagikukai) 2017年1月9日 - 22:04
経済運営の基本方針として、計画経済チックなものが主流派だったということだろう。管理為替策とか、生産計画とか輸入計画みたいなのって、ほぼそうした「社会主義経済」的発想に支えられれるってことでは。なので、GHQでも、計画経済っぽい運営が意識されていたのであろう。それが物価騰貴を招いた
— 『自由党』支援道民(浜菊会) (@hamagikukai) 2017年1月9日 - 22:07
物価統制令というのが計画経済の根底にあったわけだが、社会主義的経済運営は失敗だった、と。米国でさえ、官僚主義というか軍政内部的には、経済面で「左派的」だったのだろう。
— 『自由党』支援道民(浜菊会) (@hamagikukai) 2017年1月9日 - 22:11
物価騰貴の原因は、日本政府が戦時国債的に大量の債券発行だったものが、償還が怪しくなって信用を失ったことが第一では
国策会社的な「満鉄」の債券や株も紙屑化してしまった、とか、日本政府は支払能力が著しく低下し貸した金が返ってこないかも、という風に信用を失うと、物価はハイパーインフレ状態みたいになる、と。
— 『自由党』支援道民(浜菊会) (@hamagikukai) 2017年1月9日 - 22:14
ジンバブエ紙幣も似てる。日本政府が信じられない、ってなると、貨幣価値は暴落するわけだw
政府の財務残高の水準では必ずしも決まらない、ということだろうねw
— 『自由党』支援道民(浜菊会) (@hamagikukai) 2017年1月9日 - 22:18
物価騰貴の対策として、ドッジ・ラインが打ち出された。デトロイト銀行頭取をして、インフレ抑制策を強力に打ち出したら効くだろう、とやった結果はどうだったか?
ドッヂ不況を招いたわけだよw
インフレは抑制されたが、不況に
陥り、計画経済チックな運営方針で、固定為替レート360円もこの時に設定された。物価も許認可、数量規制などもあって、日本経済はデフレに陥ったわけだ。しかし、マイナス物価は朝鮮戦争の特需で1年で解消されるに至った。ここで分かることは、ドッヂラインは物価を下げるってことだ。具体的には?
— 『自由党』支援道民(浜菊会) (@hamagikukai) 2017年1月9日 - 22:21
緊縮財政をとること、日銀も含めて借入金返済に勤しみ金融引き締めを行うこと、固定的為替レート、というものだったわけだ。なので、土居教授の言うみたいに、借金返済を頑張るとデフレを悪化させかねない、緊縮財政はそれに輪をかける、ってことだわなw
— 『自由党』支援道民(浜菊会) (@hamagikukai) 2017年1月9日 - 22:25
朝鮮戦争特需が日本経済を救済したってわけだ
さて、話を戻すが、finalventの言うリフレ策は高度経済成長期にあったのだろうか?朝鮮特需が終わってから、60年代にはオリンピック景気が来たわけだが、リフレ策なんてなかったのでは?w
— 『自由党』支援道民(浜菊会) (@hamagikukai) 2017年1月9日 - 22:28
オイルショック前までに、日本経済がリフレ政策をとっていた時期というのは分からないわけだが、
finalventの言う『事実上のリフレ政策』とは、どの期間での、どういった政策を指すのか、明らかにすべきである。オレの認識からすれば何れかの期間においてリフレ策が実施されたとは思えないが、どういうことなのか。高度経済成長期は需要増が要因だったわけで、金融政策は決定的でないような
— 『自由党』支援道民(浜菊会) (@hamagikukai) 2017年1月9日 - 22:33