医療崩壊は始まっているのかもしれません。
読み込んでいるうちに、SF「冷たい方程式」を思い出し
たりしました。お医者さんの側からしてみると、もうあき
らめた方がいい患者という存在がいるのですね。このブロ
グ主である春野ことりさんの醒めた見方からすると、私た
ちはどうやら生き意地が張りすぎているのかも? そして
そうであっても、<死>を受け入れるような心構えの涵養
というのは、医者の仕事ではないですし、政治や経済でも
ない。「患者の皆さん、あきらめてください」という言葉
は、患者の側からすれば医療放棄としか映らないでしょう
し、あるいは、こういう形で「医療崩壊」が始まっている
、と見なされる結果にならないと言い切れません。経済合
理性の追求こそが最善の行いなのだとの言説は、この意見
も当てはまるように思えます。この考えに、<死>を受け
入れられない人格というものが、論理のどこかで接続して
いるようです。もし、医者に行っても医療を施してくれな
くなったら、社会はだいぶ変化するでしょう。お医者様の
社会的な立場も、風のように移ろうことになるかもしれま
せん。医療の現場でのオーバーワークこそが、彼らの社会
的優越性を担保しているのだとしたら、この世とは実につ
らいものなのかもしれません。
読み込んでいるうちに、SF「冷たい方程式」を思い出し
たりしました。お医者さんの側からしてみると、もうあき
らめた方がいい患者という存在がいるのですね。このブロ
グ主である春野ことりさんの醒めた見方からすると、私た
ちはどうやら生き意地が張りすぎているのかも? そして
そうであっても、<死>を受け入れるような心構えの涵養
というのは、医者の仕事ではないですし、政治や経済でも
ない。「患者の皆さん、あきらめてください」という言葉
は、患者の側からすれば医療放棄としか映らないでしょう
し、あるいは、こういう形で「医療崩壊」が始まっている
、と見なされる結果にならないと言い切れません。経済合
理性の追求こそが最善の行いなのだとの言説は、この意見
も当てはまるように思えます。この考えに、<死>を受け
入れられない人格というものが、論理のどこかで接続して
いるようです。もし、医者に行っても医療を施してくれな
くなったら、社会はだいぶ変化するでしょう。お医者様の
社会的な立場も、風のように移ろうことになるかもしれま
せん。医療の現場でのオーバーワークこそが、彼らの社会
的優越性を担保しているのだとしたら、この世とは実につ
らいものなのかもしれません。











現在の扱いは奴隷以下です。世界中で日本ほど医師が下等な扱いを受けている国は他には存在しません。
僕もそう思います。寝れない、飯を食べる時間もないという点で少なくとも囚人以下の生活をしています。40時間一睡もできずぶっ続けで病院中を走り回り、その間に口にしたものは菓子パン2個(1日目の昼に一個、翌日の昼に一個)と水だけという日もありました。そこまでしても社会から、自分のミスでなくとも結果さえ悪ければ犯罪者扱いされ、現場では「はよ診ろ!こっちは病人なんだぞ!」としっかり睡眠をとった自分より元気な患者に怒鳴られるのです。本当に疲れました。
>40時間一睡もできずぶっ続けで病院中を走り回り、その間に口にしたものは菓子パン2個(1日目の昼に一個、翌日の昼に一個)と水だけ
ほんとうにツキハモウロウさんもこんな生活をしているのでしょうか?
していないです。今、淹れたてのキリマンジャロを啜りながら時間をつぶし、姉夫婦のところに夕食を取りに行くところです。私はタバコもやめましたし、いま少し減量したいなぁ、と考えております。そろそろ、姪っ子が文字に興味を示し始め、できれば彼女の知育に与しできれば実に幸福なことだ、と考えて、本をプレゼントしたり、(彼女はまだ字を書けないのですが)手紙を書いたりして遊んでいます。私の生活そのものは、恵まれている方でしょう。それは、もともと経済の多寡<だけで>人間の幸福を計っていないからだ、と認識しています。まれに、経済力のないことを馬鹿にする人もいるようですが、あまり気にしていません。繰り返しますが、私自身は、恵まれていると考えています。成長期の子供が、私のようなものを必要としてくれる感動とは、なかなか得難い。
私自身は、そういった生活をしております。また、あなたは、ご自身を最底辺の生活者だと認識なさっているようです。勤務医であれば、人並み以上の見返りがあると思うのですが、あなたは劣悪な労働環境を改善する意欲も見受けられません。「同情を示す」といえるのは、立場が同等でないと、なかなか通じ合えません。ですが、私の認識では、あなたの方が、社会的には恵まれているはずなのですが。その辺りの齟齬がありますので、あなたはあなたの思い通りの言葉を、私から引き出せないでいるのでは、と考えます。もしあなたが、フリーターであったり派遣社員であれば、もう少し違う表現になるのかもしれませんが、あなたは社会的には強者なのです。その強者が、ご自分を「奴隷」だというのですが、これに共感ができないのですね。はじめに述べたとおり、私の環境はそれほど悪くないです。それは、私が長い時間とお金をかけて、作り上げたものだからです。ですが、私は資本主義の社会では、負け犬なのです。あなたもご自身を負け犬と考えているのかもしれませんが、まだ院内にとどまっているご様子。ですから、その使命感を、ご自身で明白にされるべき、と前回申し上げたのですが、よく伝わっていない。なんだか重箱の隅をつつくみたいに、ご自身の劣悪な労働環境を強く意識される。私には、お医者様の社会的な立場を担保する能力は、ございません。残念なことですが、この辺を勘案なさって、お書き込みくださいませば、幸いなのですが。
このばあい失礼に思われるかもしれませんが、「紺屋の白袴、医者の不養生」という言葉をおもいだしました。unknown氏の職務に対するこだわりと、患者に対するどこか投げやりな物言いが不揃いで、なんだか痛ましい感じがします。なにか病を得、医院に行って、診察して下さるお医者様が、あなたのような感じで自分を見ていると思うと、ちょっとつらいです。もしかすると自分は死んでしまうかもしれない、と思った患者が、お医者様に「ほどほどに仕事してください」って考えるでしょうか?? あなたは、努力に見合った報酬と社会的な立場を望んでいるのでしょうが、そこには<義務>も生まれるのです。患者は自動車やコンピュータのような機械ではないのです。「壊れたから直せばいい」というのは、技術としての側面ではいえるのかもしれませんが、人には<心>があるのですね。「医者の不養生」とはこの場合どういう意味なのか、一つお考えください。それと、患者をクレーマー扱いすることが、お医者様の立場を悪くする一因になりませんか? 私は、不当な扱いを受けたら怒るべきだと思うのです。そして、何が不当で何が不当ではないか判断するのは、お医者様ではないでしょう。医療技術を施して失敗し、不具合が生まれるのは100%患者なのです。患者は、お医者様の情けにすがりたい。そのとき、語勢に勢いが生まれてしまうわけです。「患者が過当な要求をする」という言葉は、まずいわけですよ。今時の社会は、<死>を受け入れないような風潮になっていることは認めますが、これは国民の劣化ではないのでは? もし、簡単に死を受け入れるような、戦中の美談のような社会になってしまったら、みな医者なんかいかない、病になったらこんこんと臥せって、働かなくなってしまう。国家はニヒリズムに手を焼くことになる。死を受け入れづらいというのは、勤勉性や労働観あたりと関係しているのでは。それこそ、勉強しいい学校やいい会社に入ったりすれば、この世から去るということが非常に苦しくなる。投資した分、元を取りたいわけです。射幸心をあおられすぎて、いつも無い物ねだりをしている。この世界に対するこだわりの強さは、それこそ「患者が死を受け入れない」ということにつながっている。昔の言葉で、業が強い、というのは、この辺のことを指しているように感じます。もちろん、その反面といいますか、物質的には非常に恵まれているようです。今、あなたはお仕事が非常に負担に思えてならないかもしれない。ですが、医療とは大切な営みです。もし、その仕事に何の煩いも感じなくなったら、あなたはお医者様の仕事を続けられなくなるのでは? 今あなたは、患者に不当な扱いを受けていると感じているかもしれませんが、病を得た患者こそつらい思いをしているのでは? お医者様と患者は、経済を通して同じ意志を持つわけですが、一方は技術を持ち、一方は欠損を抱えており、境遇は同じではないです。「不当に扱われる」というのは、強い立場が弱い立場を虐げる場合なのです。お医者様が患者の生き意地に不満を持つというのは、ご自身のお仕事そのものに疑問を抱いているのではないでしょうか。「嫌なら・・」の物言いは、少し酷であったと反省しています。ですが、何が大切で何が大切でないか判断するのは、聴診器を握り看護士にカルテルを渡されるときのあなたではなく、もしかすると明日病気になり医療が必要になる<かもしれない>、生身の人間であるあなたでしょう。ご自分の生活を大事になさってください。生活を迎える喜びにふれて、豊かさの意味を味わってください。異常な勤務割りは、最終的には労働問題であって、患者の態度に原因を求めるのは、筋違いではないかと思われます。もしかすると、「最近の患者ってエゴつよいよね〜」と同意してしまえば、unknown氏は満足して眠り、彼は翌日からの仕事もはかどるのかもしれませんが、もう私はだいぶ言葉をはき出してしまったため、後には引けません。私は、過ちをただすのは大好きなのですが、過ちを認めるのは得意ではないのです。この過ちというのは、疲れたお医者様が哀れに思えてきたことを指します。もちろん、患者に、黙れ、といっているわけではないです。またなにより、自分の言葉にいくらかでも社会性があるのだ、と信念を持つことが、こうしてブログを続ける理由になっているのです。
確かに今の私も常に競争にさらされ、仕事は決して楽ではありません。しかし徹夜でご飯も食べられないなんてことはまずありません。百歩譲って、もし徹夜をしたとしても、私のような研究や、事務作業などの先が予想できるデスクワークの徹夜と、死に瀕した人間の瀬戸際での救急医療に従事する医師の徹夜とはストレスの度合いは桁が違うと思います。ご飯もろくに食べず、一睡もせず、医療現場というストレスフルな場所で何年も勤め上げるなど、人間の生活でしょうか?自分はできるという人がどれだけいるでしょうか?少なくとも私には到底無理です。それを医者には当然のように求めるのはあまりにも無責任ではないでしょうか。もちろん医療現場でのストレスなど医師になる以上当然覚悟していただかなければ困りますが、ただ睡眠も食事も与えられない労働条件は明らかに異常です。これは病院の経営者が悪いという問題ではないでしょう。それはもしここに医者が2人いて、病院が2つあり、ともに24時間体制をしかなければいけないなら、どんな優秀な経営者がいようとも、この医師2人には24時間働いてもらうしかないのです。医師の数は限られているのです。
>なぜやめない
そのような無責任なことを言う人が多いから、実際言うとおり、産婦人科、小児科、救急の医師が減っているのではないでしょうか。
私はそれが医師の志が低いからだとは思いません。むしろ3日に一回の徹夜など、自分には到底出来ないようなことを、人には平気で要求するのはあまりにも無責任だと思うのです。
また「自分だったら」という視点で考えると、私は高校時代から研究者を目指し、それに対し相当の勉強をし、たいした大学ではないですが大学院まで出て、一応研究者になれたわけです。それなのにもし今会社が、労働基準法を破って徹夜で働け、いやだったらやめろと言われてもやはり困ります。いやだったらやめろ、というのは人に言うのは簡単ですが、いざ自分のこととなったら難しいと思いますよ。
「医者が足りているんだったら寝てもいいが、足りていない以上寝ずに働くべし。俺は徹夜では働かないが医者は徹夜ぐらい当たり前だ。医者が足りず、時間がないなら飯が食えずとも致し方なし。医者は人様の命を預かっている以上労働基準法など関係ない。いやだったらやめるべし。」これが今の国民の大半の意見ですが、繰り返しになりますが、そんな無責任な意見がまかり通っているから、産婦人科医、小児科医、救急医が減っていっているのではないでしょうか。
少なくとも私は、医者にも食事の時間を与えるべきだと思うし、徹夜明けには休ませるべきだと思います。しかし現実には、当直明けの医者を休ませることができるだけの医者数が日本にはいない、だから日本の医者は3日に一回48時間も働き続けざるを得ないのでしょう。医療費が足りず政府も医者を増やせないでいる、だから日本の医者は少ない医者数で寝ずに頑張っている。世界レベルで見れば破格の低料金で破格の高度医療が夜中であってもすぐに受けられるのは、少人数で寝ずに頑張っている医師達のおかげであり、日本以外の国ではまず考えられないことだと思います。それを「徹夜で疲れる?飯を食わせてくれ?僕だって疲れてるんだよ。じゃぁなんでやめないの?」では、他人の私でさえ、それではやってられないだろうなと思います。日本の産婦人科医や小児科医や救急医が現場から去って行くのは、医者のせいではなく、今の異常な医者の労働条件を問題と思わず、むしろなにかあったらすべて医者のせいにするような、無責任な人が多いからだと思うのです。