私の日常

毎日の生活で印象に残った出来事を記録しておきたい。

湿度に悩まされて

2016-07-27 08:42:02 | 日記

July 27, 2016

なかなか明けない梅雨、湿度に悩まされている。毎日変わらない日常でも何か話題を見つけてブログに記してきたのに、最近はその情熱がなくなっている自分に気づき、恐いと思う。今日はがんばってここ1週間ほどの暮らしを振り返ろう。

7月26日(木)
いつもの点訳の例会で、武蔵境まで出かける。この近くに住んでられる方の話によると、以前はあまりパットしない駅前だったそうだが、今は大木の緑が並び、新しいコミュニティ用の建物や食事どころなど、なかなかおしゃれな街並みが続く。生まれた場所に近い阿佐谷の駅もこの沿線にある。新宿駅から中央線で来る途中の駅なのだから、涼しくなったら1度降りて近辺を散策してみたい気持ちもある。この建物を借りるための予約などをして下さっているのは、この点訳の会でいちばんご高齢の86歳の方で、三鷹に住んでられる。勉強会ではなかなか鋭い指摘をされ、大先輩として見習うことが多い。日増しに襲ってくる加齢による衰えを嘆いていてはいけない。校正のファイルをいくつか預かって帰宅する。

7月25日(月)
なかなか実が付かず、今年はこのまま雄花だけで終わるのかと思っていたゴーヤに、突然3個も実が付いているのを発見した。点訳の校正でも自分の目の節穴には呆れているが、毎日目をこらして探していたのに見当たらず、突然3センチほどの実が目の前に現れたのにはびっくりした。この湿度で途中で腐って落ちないかと心配しつつ、ひとつでも食べられる大きさまで成長してくれることを願っている。さてこの日は「たまプラーザ」で月に1度ぐらいの割合でお会いする友人と、ランチをしながらおしゃべりを楽しんだ。読んでいる本の傾向も違うし、政治の話をするわけでもない。ただ何となく日常のことを話しあうだけでも気持ちのいい時間が過ぎていく。毎日誰とも話さずに暮らしているので、大切な時間だ。お知り合いの方の自分史、市吉澄江『まなび愛ひたむきに』(生活思想社)をお借りした 。紹介文によると、1923年生まれ、1945年治安維持法により検挙されるという体験をへて税理士として心強く生きた90年の生涯を記した本だという。楽しみだ。

画像は、友人から誕生日にいただいた「クレマチス」。

 


メアリー・カサット展

2016-07-19 19:42:36 | 日記

July 19, 2016

7月18日(月)
朝日新聞読書欄で、池上冬樹さんが薦めていた本3冊を図書館に予約したら、早速、真保裕一『ストロボ』(文春文庫)が整ったという連絡があり、読みはじめた。主人公の写真家の人生を、第5章から第1章まで逆に振り返る物語、気が付いたら夕食も忘れて9時過ぎまで読み続け、読了した。いつもブログで書いていることだが、日本の現代作家の作品はあまり読んでいない。この作家も初めて読んだ。初期の隠れた名作だという。池上氏のこの言葉に値する作品だった。あと2冊は北欧ミステリーだが、まだ手元には届いていない。点訳に追われたりしていると無性に小説が読みたくなる。せっかく読んでも面白くないとがっかりする。池上氏のような達人の推薦する本を読むのもいいなと思った。 

7月19日(火)
横浜美術館で開催されているメアリー・カサット展を観てきた。この頃展覧会の入場料も高価でなかなか出かけられないが、友人が招待券を用意してくださった。メアリー・カサット(1844-1926)は、ドガに誘われて印象派に参加した画家で、ルノアールと並んで紹介されてきた。日本では35年ぶりの回顧展だそうだ。印象派の画家の展覧会でその作品がいくつか展示されていたのを目にはしていたと思うが、初期から晩年までのどの作品も、とても新鮮に思えた。しっかりしたデッサンと柔らかい色あいからなる油絵独特の筆運び、本物が与える印象は画集を見るのとは全く違う。親交のあったドがやモリゾ、ピサロの作品もいくつかあり、豪華版の覧会だった。

さらにカサットは、82歳の生涯を独身で通し、姉の死や両親の介護などの困難を乗り越えその意志を貫いた女性画家のパイオニアのひとりだと、紹介の言葉があった。現代でも女性が自立して生きることは困難を伴う。経済的に恵まれた家庭の出だとはいえ、画家として自立したいという本人の意思の力が花咲かせたものなのだろう。優しい印象のある絵ではあるが、その底にある強い筆力を感じることもできた。梅雨明けが近い蒸し暑い日々の中で、心安らぐひとときだった。

画像は、パンフから撮ったカサットの代表作、「桟敷席にて」。


大賀ハス

2016-07-17 14:45:59 | 日記

July 17, 2016

       

       

参院選、都知事と、選挙の話題が続き、珍しくテレビに見入った日々だった。実際には都知事選は月末であり、さらに私は東京都民ではないので、高みの見物的な所もあるが、生活の重要なことは東京まで出かけるので、セミ都民ともいえる。参院選は世間では自民党が大勝利のようなことを言っているが、私は野党も思いのほか票を集めたのではないかと思う。何しろ現在のような一党独裁的な状況は変えなければならない。心地よい言葉の裏に隠れている保守の本当の顔を忘れてはいけない。今の若い人たちは政治に無関心な人が多いという。たまにテレビなどで60年安保の頃の映像が流れたりすると、私の、またあの時代を共に過ごした友人の政治への思いは、あそこに原点があるのだと思う。東京都知事選の結果がどうなるか、楽しみでもあり、心配でもある。

千葉県に住む妹から、いつものように写メールが届いた。千葉市の川村記念美術館の庭園で撮ったという「大賀ハス」と「睡蓮」の写真を使わせてもらって、今日のブログのメインとしよう。「大賀ハス」は、私が千葉県の高校に通っていたときに、千葉市検見川で発掘中の遺跡から種子が発見された古代ハスで、当時話題になった。今は千葉を離れてはいるが懐かしい。


読書会

2016-07-12 20:34:53 | 日記

July 12, 2016

読書会、本は講談社文庫の伊坂幸太郎『魔王』と『チルドレン』。初めて読む作家の本だ。『魔王』が単行本で出版されたときは、いわゆる郵政選挙で小泉自民党が大勝利をした2005年9月の数ヵ月前である。くしくも11年後の今週の日曜日は、参議院選挙の投票日だった。憲法改正に必要な3分の2の議席を与党が獲得して大勝利に終わり、メディアが騒ぎたてている。本書の著者は東北大学法学部の出身だそうだ。政治的な問題についてある見識を持っている人物のように見える。たまたま状況が一致したということかもしれないが、2005年の時点で今日の政治状況を見通したような話の運びは、興味深かった。『チルドレン』は、少年法や裁判制度など、この小説の土台にはやはり法に支配されている優等生の著者の姿が見え隠れする。とはいえ、満員電車にゆられ疲れた体に鞭打って働く中年男性にとって、伊坂幸太郎の作品は気が休まる内容の小説かもしれない。

履歴を見ると、大学卒業後あまり年を経ずに様々な文学関連の賞を受賞し、人間を深く観察する間がないままに小説家になったようだ。読書会でも話題になったことだが、売れ筋の作家として編集者に書かされた感もある。 40代でまだ若く、才能がある作家なので、人間の心と深くかかわれるような専門職を持ち、小説を副業としてみるなんていうのもどうだろうか。気ままなブログの失礼な言葉をお許し願いたい。

画像は、今年も住まいのある団地の玄関先にいつの間にか満開となった「ブッドレア」。少し離れたところから仰ぎ見ると美しい。


太田治子『石の花』

2016-07-04 15:49:10 | 日記

July 4, 2016

梅雨はあけていないが、毎日30度を超える真夏日である。湿度があるだけに余計暑く感じる。部屋でパソコンに向かっていると、隣の住まいの小学生が弾くピアノの音が、ベランダ越しにかすかに聞こえる。私の家は冷房をかけていないので窓は開け放しだが、多分冷房を効かせているのだろう。小学校2年生くらいだと思うが、学校へ出かける前必ず30分は練習し、帰宅後もずっと弾いている。私もこの音に啓発されて始めたキーボードだが、こちらは怠け者で一向に上達しない。それにしても、クラッシックのピアノを学んでいく様を耳にするのは、なにか勇気づけられる。たまにお母様に玄関先でお会いすると、「うるさくてすみません」とおっしゃるが、「楽しませてもらっています」という私の返事は、言葉どおりのものだ。

太田治子『石の花』(筑摩書房)を読んだ。この本を読むきっかけは前にブログに書いた。たぶんそんなことがなければ手にしなかった本だと思うが、なかなかの力作だと思う。本書の副題に「林芙美子の真実」という言葉があるが、まさにその通りの内容だった。林芙美子は『放浪記』で世に出た作家であり、又『放浪記』が菊田一夫演出、森光子主演で何度も上演されたことがその名を広く世に知らしめることにもなった。私は、読書会で取り上げた『浮雲』に感動して以来、フランス滞在中の日記ぐらいは読んだが、『放浪記』も読んでいない。太田さんの本書を読んで、『放浪記』は自叙伝の形はしているがあくまでも一つの作品であり、まして菊田一夫氏に脚色された演劇は、芙美子自身の像ではない。太田さんは、芙美子の像が間違って独り歩きしてきた現実に対して、「林芙美子の真実」として、書いてみたかったのだろう。よく知られている作品とは別に、全集に収められている短編や詩の一部が随所に紹介されている。そんな作品をぜひ読んでみたいと思っているが、これらを読んだだけでも、林芙美子がいかに才能に恵まれた作家だったかが分る。

太田治子さんは、太宰治とその愛人との間に生まれた女性として世に知られている。しかしもちろん当然のことではあるが、その経歴は今全く関係なく太田治子として羽ばたけるだけの仕事をしてきている。私はこれ1冊読んだだけだが、太田治子『星はらはらと 二葉亭四迷と明治』なども読んでみたい。物事に対する素直な目と、自分の気持ちを率直に述べる言葉が、私には新鮮に思えた。物書きになるという人はいろいろの経緯をとるが、どんな学習をしてもたどり着けない何かを生まれつき持っている人ではないかと思う。膨大な資料の分析と綿密な取材に、著者の明晰な頭脳が分るが、生い立ちの中で感じた感性の蓄積が本書の土台にあったのだろう。久しぶりに大部な本を読み終えた気持でいる。

画像は、友人のメールから、「ブーゲンビリア」。夏の花です。