はじめの家

井関広志

ドジソン先生の小咄(こばなし)

2010-05-16 12:01:09 | 不思議の国
古くからの小咄に、王様と死刑囚の対話というものがある。

嘘ばかりついてきた死刑囚の男が、明日死刑になるという時
王様はきいた。
「最後に本当のことを言えば、命は助けてやるぞ。」
死刑囚は、しばらくしてこたえた。
「オレは、明日死刑になる。」
王様は考え込んでしまった。
「ムム………」

王様が死刑をやめれば、死刑囚の言葉は間違っており、
死刑を行えば死刑囚は正しく、王様が嘘をついたことになる。

身動きの取れない矛盾した状態は、言葉の限界を明らかに
してくれる。この発想と形式をさかのぼると、次の小咄に
行きつくのかもしれない。

ドジソン先生(ルイス・キャロル)の小咄
 一匹のワニがナイル河の河岸で赤ん坊を盗みました。
 母親が、赤ちゃんを返してと懇願しました。するとワニは言いました。
「よし、わしが何をするか当てたら、赤ん坊を返してやろう。当たら
なかったら、食ってしまうぞ」。「食うに決まっているわ」、母親は泣き
叫びました。「それじゃ」と狡賢いワニは言いました。「お前の子を返して
やれんな。返したら、お前の答えは間違っていたことになる。最初に
言うたとおり、お前が間違いを言うたらわしは赤ん坊を食う」。
 「そうじゃないでしょ」とワニより賢い母親は言いました、「あんたは
わたしの子を食べられないわよ。食べたらわたしの言ったことが正しい
ことになるでしょ。あんたは約束したでしょ。わたしが正しい答えを
言ったら子供を返すって」。
(『数の国のルイス・キャロル』ロビン・ウィルソンから )       

ドジソン先生の論理(ロジック)

2010-05-09 13:50:46 | 不思議の国
「きみが考えていることはわかっているぞ」と、トウィードルダムがいいました。
「だが、そうじゃないんだよ。とんでもない話だ」
「その反対に」と、トウィードルディーがつづけました。「もし、そうだったら
そうかもしれん。かりに、そうだったとしたら、そうなるだろう。ところが、そう
じゃないんだから、そうじゃないんだ。これがりくつというものさ」
               (『鏡の国のアリス』から  高杉一郎訳)


“I know what you're thinking about,”said Tweedledum;“but it isn`t so, nohow.”
“Contrariwise,”continued Tweedledee,“if it was so,it might be;and if it were so,it would be; but as it isn't, it ain't. That's logic.”
       (『鏡の国のアリス』原書から)

             チャールズ・ドジソンはルイス・キャロルの本名