魅了されたもの・・・

戦争遺跡とか
航空機とか
廃とか

大井海軍航空隊

2016-11-27 16:12:54 | 戦争遺跡
牧之原台地に大日本帝国海軍の飛行場建設が計画されたのは昭和14年。第四次海軍軍備
充実計画により海軍航空隊を14隊から75隊に増やすことを決定し、牧之原の地も候補
地の一つとして挙げられた。

昭和17年4月1日、長さ1,500メートル・幅80メートルの滑走路と共に海軍第1
3連合航空隊「大井海軍航空隊」が開隊。



予科練習生などの飛行訓練、偵察要員を育成する目的の練習航空隊だった。
飛行科・整備課・工作科・会計科・主計科・内務科・運用科・通信科等から組織され多い
時には2,500人から3,000人の隊員がいた。飛行機は当初、九〇式機上作業練習
機が主に使用され、昭和19年12月頃からは機上作業練習機「白菊」が主力機となった。



昭和20年に入り、戦局が著しく悪化。海軍の戦力が大幅に減少した事などから2月には
飛行訓練が中止され、ついに3月、特攻の命令が下り飛行機の多くが特攻隊に編入され、
神風特別攻撃隊「八洲隊-やしまたい-」が組織された。その後、特攻隊員は部隊編入さ
れ沖縄決戦に備えて各地の基地に向かっていった。



白菊には、爆弾が装備され教官など選抜された隊員により特攻訓練が開始。当初昼間に行
われていた訓練も途中から、夕方や夜間に行われた。


白菊 ↑エンジン ↓タイヤ


7月28日頃、米軍の飛行機であるグラマンの波状攻撃により、司令部や倉庫、格納庫等
が被害を受け、隊員の対空射撃により、一機を撃墜したという記録が残っている。

そして8月15日の終戦により武装解除し解隊した。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿