松岩寺伝道掲示板から 今月のことば(blog版)

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神さまや仏さまがほんとうにいらっしゃるかどうか 高田敏子の詩より

2016-10-02 | インポート

 

神さまや仏さまが
ほんとにいらっしゃるかどうか-
でも あの合掌したときの安らぎは
どこからくるのでしょう

右の手の悲しみを
左の手がささえ
左の手の決意を
右の手がうけとめる


八月と九月の「ことば」は俳句で、17文字と短めでしたから、十月は長めにしました。詩人の高田敏子(1914~1988)の『月曜日の詩集』所収「浅草観音」と題された詩の一部です。後半を略しました。掲載した詩句にこう続きます。


その上を流れる静かな時間
こうした姿勢を教えて下さったのは
どなたでしょう

ふりむくと青い目の外人さんも
手を合わせて……
小さな小さな観音さまと
何をお話したことやら


高田敏子さんは大正3年生まれです。同時代の詩人の石垣りんさんは大正9年生まれで茨木のり子さんは大正15年生まれ。この三人の詩は小中高校の教科書で常連だから馴染みもあるのでは。といっても、学校の教科書なぞ追憶の彼方へいってしまったご同輩には、馴染みというよりは懐古といった方がよいかもしれません。
こういう詩は、ただ味わえばよいのですが、仏教者として一言加えるならば、「神さまや仏さまがほんとにいらっしゃるかどうか-」と懐疑的であるけれど、合掌すれば安らぐという、日本人の一般的な感情でしょうか。宗教学者の山折哲雄氏は、このことを「感じる宗教」として次のように述べています。
「西洋の一神教的世界においては、神、あるいは神と類似のものを信じるか信じないかが重大な問題なのですが、多神教的世界における日本人にとっては、信じるか信じないかではなく、神々の気配を感じるか感じないか。「感じる宗教」なのです。「信じる宗教」と「感じる宗教」を分けて考えると、日本人の心のあり方がよく理解できる。山に入れば山の気を感じて、そのかなたに先祖を感じたり、神々や仏たちを感じたりする」
「感じる宗教」と「信じる宗教」には説得力があります。しかし、信じることが出来ないのが他人の年譜です。『月曜日の詩集』というのは、もともと朝日新聞の月曜日の家庭欄に掲載してきた詩を集めたもののようです。私の手許にあるのは昭和42年に出版された「あすなろ書房刊」のものです。それによると詩人の生年は1916年(大正5年)となっています。ウィキーペディアには1914年生まれとなっている。「だから、ウィキペディアは信用できないんだ」と、思って書棚にある他の資料をみると、やはり1914年生まれらしい。いったいどうなっているのか。
だいたい年譜というのはあまり信用できないもののようです。他の例をあげると、『鈴木大拙全集』(岩波書店)でいえば、大拙博士と夏目漱石の出会った年月がつじつまが合わない。だから、漱石の生涯を日毎にたどった九百頁にもおよぶ荒正人著『漱石研究年表』(集英社)も怪しい。だいたい昨晩呑んだお酒の種類でさえあやふやなのに、数十年前のことがわかるはずない、なんて思うのは、私だけでしよう。

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