松岩寺伝道掲示板から 今月のことば(blog版)

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信ずる宗教と感ずる宗教  山折哲雄

2016-11-02 | インポート

一神教が「信じる」宗教ならば、日本人のそれは、
無宗教というより「感じる」宗教なのかもしれない。
魂の存在は信じないが、感じる。だから、祈る。  (山折哲雄)

 10月に続いてというか、もう少し詳しく宗教学者の山折哲雄師の言葉をみてみます。師がいろいろなところで語り書いている言葉です。たとえば、「東洋経済オンライン(http://toyokeizai.net/articles/-/22709?page=2)」の対談でも紹介されています。この対談、面白いですよ。覗いてみてください。
 ネット上から収集したのでは格好悪いから、数多い山折氏の著作から引用すれば『悪と日本人』(東京書籍)に「信ずる宗教と感ずる宗教」という項目があります。この書籍によれば、1995年にはじめてイスラエルへ行った時の体験から思索したようです。1995年といえば、1月に阪神淡路大震災がおこり、3月には地下鉄サリン事件がおきた年でした。
 サリンと宗教が結びついていたことで、日本人の宗教アレルギーがいっそう過敏になったあのころ、全日本仏教会が築地本願寺でシンポジウムを開きました。その中で社会学者で淨土真宗の住職でもある大村英昭師の講演がありました。
 筆者はその場に居合わせメモを取って聞いていたのですが、見つからないので怪しい記憶をたよりに書きますから、間違っていたらごめんなさい。こんな逸話です。


 大阪のとある御店(おたな)の檀那さんは毎月十日と十五日に決まって近くにあるお社(やしろ)をお参りします。それを知った知人が聞きます。
「信心深いことでんな。何か宗教でも」
ダンさんが慌ててこたえました。
「宗教なんてめっそうもない」
「宗教でなかったら何なんですか」
少し考えた檀那さんが言いました。
「たしなみでんな」
 

 大村師は大阪人ですから、大阪弁で話されたこの逸話が忘れられません。師は残念ながら、2015年秋に亡くなられています。ガンの治療を受けながら、病と仏教についての著作もあります(『とまどう男たち-死に方編』大阪大学出版会)。
 昨日今日、さっきのことは忘れてしまうのですが、二十年ほど昔に聞いた言葉を覚えているわけですから、危ない我が脳裡です。

とまどう男たち―死に方編― (阪大リーブル055)
大村 英昭,山中 浩司,松田 准一
大阪大学出版会
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