松岩寺伝道掲示板から 今月のことば(blog版)

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一大事と申すは今日只今の心也 正受老人

2017-09-01 | インポート

 

一大事と申すは今日只今の心也。それをおろそかにして翌日あることなし

 

9月のことばを何にしようか迷いました。いつも迷うのですが、過去の記録をみても最近の傾向として、やはり仏教者の言葉が少ない。そこで、七月に続いて正受老人の『一日暮し』の後半部の一節が冒頭の言葉です。
「一大事と申すは」なぞと大上段にかまえた物言いですが、この言葉の前で次のように茶化しています。
「一日一日と思えば、退屈はあるまじ。一日一日とつとむれば百年千年もつとめやすし。何卒一生と思ふからにたいそうである」
これって、金剛經の「三世心不可得(過去をあてにしてはならない。未来をあてにしてはならない。現在をあてにしてはならない)」と同じではないの!
よくよく考えれば、金剛経の正受老人訳だったのではないか。
7月にもかきましたが、正受老人は臨済宗中興の祖と仰がれる白隠禅師(一六八五~一七六八)のお師匠さんです。中興の祖の師匠ですから、大きな寺に住して、あまたの修行僧を指導したかというと、そんなことはない。信州飯山の正受庵で母親と孤高に暮らします。母親は、真田守信の側室だったといいます。守信の父親は平成二十六年のNHK大河ドラマ「真田丸」で大泉洋さんが演じた真田信之です。つまり、慧端禅師の父親は松代藩主であるから、それなりに大事に育てられたようだけど、今風にいえばシングルマザーの母親と生涯ともに暮らしたわけです。
ここで、正受老人の周辺を少しばかり勉強していたら、書棚に師父が遺した陸川堆雲著『考證白隠和尚詳傳』(山喜房仏書林)という単行本をみつけました。昭和三十八年刊行です。陸川氏は鎌倉円覚寺で長きにわたって坐禅した居士です。著作の中で次のような疑問をしめします。
「白隠は元来実に筆まめで、且つ偈頌好きであるが、正受の訃に接して追悼の偈を作ったとか」がないというのです。あるいは「白隠が正受庵を辞したのは、二十四歳であったがその後再び訪れることがなかったのはなぜか」
言われてみれば不思議なんですね。
現代白隠研究の第一人者の芳澤勝弘氏が何かそのことに書いているかなぁ-、と思って探しているのですが、見つからない。
さて、手もとにある『考證白隠和尚詳傳』ですが、Amazonでは古書で8万円もしていた。これは少し法外だとしてもけっこう高値がついている本になっていました。売らないよ!

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