松岩寺伝道掲示板から 今月のことば(blog版)

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禅とは平気で生きること 正岡子規『病状六尺』

2015-04-03 | インポート

禅とは平気で死ぬことだと思っていたら、平気で生きることであった 正岡子規

 一年ほど前から密かに企んでいることがあります。密かになぞと言いながら、ブログなぞに書いたら広言していることになってしまいますが、どういう企てかというと、まず日本地図を用意します。白地図です。その白地図に、今までに行ったことのある県をマーカーで塗りつぶします。「行ったことがある」と言っても、通過しただけというのは除きます。その県のどこでも良いから宿泊しなければ行ったことにならない、という条件を課しました。するといくつかの白い県が地図に残ります。人生58年。未踏の県が9県ありました。昨年の夏のことです。未踏の県の中に長崎県がありました。その長崎へ3月末に訪れる機会がありました。2月初旬に亡くなった恩師の住職の本葬に参列するためでした。
お世話になった方の不幸のついでに不謹慎ですがお許しください。ご容赦いただくために、ただの物見遊山ではなく、前まえからの宿題をすませてきました。平戸へ行ったのです。
なぜ、平戸かというと31歳の弘法大師空海が804年に唐への纜(ともづな)を解いたのが平戸の田浦です。田浦には中国本土の方向を指さした巨大な空海像と「弘法大師渡唐解纜(かいらん)之地」と刻まれた高さ5メートルはある石碑が建っていました。
ちょうど一年前のこのブログで立花隆氏が空海の旅立ちについて書いたエッセイを紹介していますが、行って見たいところだったのです。
眞言宗の宗祖だけではなく、禅宗にもゆかりのある所です。栄西禅師(1141~1225)が2度目の入宋から帰国した時(1191年秋)、着岸したのも平戸・蘆ノ浦です。それを記念した碑の写真を冒頭に載せました。石碑には「日本禅宗発祥之地、富春庵跡」ときざんであります。
その頃の長崎県平戸は、今でいえば成田空港や羽田空港の国際線ロビーみたいなところだったのでしょう。
さて、多くの祖師方が生命をかけて中国からもたらした禅ですが、一言で定義するとどうなるか。何人もによるいくつもの定義があるのでしょうが、その一つが今月の言葉にした正岡子規のことばです。有名なことばなので、既にこの欄で紹介したかと思ったけれど、未だご紹介していない。なぜかというと、冒頭のことばは西村恵信著『禅・あるがままに生きる』(三笠文庫)にある恵信訳であって、原本はもっと長いのです。長いから、街頭の掲示版には書き切れないので、これまでご紹介してこなかった。
原文は次のようになります。
「余は今まで禅宗のいはゆる悟りといふ事を誤解して居た。悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であつた」
長すぎるので恵信訳をご紹介したというわけです。
ところで、わが未踏の県は白地図に幾つ残っているかというと、7県になりました。これをどう塗りつぶしてくか。自ら積極的に塗りつぶしていくのではなくて、機会を見つけてあせらずゆっくりと。なんて言っていると、足腰が弱くなって……。うーん、頃合いが難しい。

 

 

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