Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

日本国憲法の 立ち位置は変わった その⑧

2017-05-17 13:53:55 | 社会・経済

五年前に逝去された作家 丸谷才一(まるや・さいいち)さんの旧著「日本語のために」を、今読み進めている所。全部を読み切る前に、その中のある項目についての言及が必ずしも芳しくないのは分るのだが、どうにも気になる所あるので、同氏の文面を一部引用して、見て参りたいと思います。尚、原文は文語体であります。

(Ⅰ)国語教科書批判 ⑦中学で漢文の初歩を(新潮文庫 P,38~40)

(旧)文部省の「小学校学習指導要領」に「第四学年において、ローマ字による日常ふれる程度の簡単な単語の読み書きを指導するものとする」と定めてあるが、これは一体どういう了見なのか。気はたしかなのかと怪しまざるを得ない。

国語審議会が認めているように「わが国では明治以来、漢字とかなとを交えて文章を書くのが一般的」なのである。日本語のローマ字書きなどは、単純な能率性や軽い洒落っ気が取柄なだけのものにすぎない。日本語の表記がゆくゆくはローマ字書きになると考えているのは、一握りのローマ字論者だけであろう。分ち書きがむずかしくて漢語がかなりの部分をしめる日本語では、読むにも書くにも不自由千万だからである。

あんなものは中学一年で英語その他の手ほどきを受けたついでに、ちょいと教えればそれですむ。それなのに小学四年生に早教育を授けようというのは、もの好きもここに極まったと言うしかあるまい。個人の道楽なら、庭石に凝るのも小唄を唸るのも勝手だが、一国文化の根本にかかわることで監督官庁に趣味に耽られてはとんだ迷惑である。

第一、わたしにはどうしても納得がゆかないのたが、小学生にローマ字など習わせる暇があったら、なぜもっと漢字を教えないのか。たとえば光村図書「小学校国語」四年上の「飛びばこ」では「じゅんび体そう」という幼稚珍妙な書き方がしてある。こそのくせ同じ本の巻末では"taiso"と書くことを教えているのだ。これは国語審議会のいわゆる「一般的」な表記を避けて、特殊も特殊、その極致とも言うべき代物を覚えさせようという、本末転倒を絵に描いたような態度であろう。

ローマ字教育など、英語その他外国語教師に任せればそれでよろしい(そうすれば、アルファベットの発音も正しく教えてもらえる)。「体操」あるいはさらに「準備体操」をきちんと書けるように仕込むことこそ、国語教育の本筋ではないか。こんなことぐらいで子供の負担など決して重くならないし、もし万一、重くなるとしても、今まで教わった字とまったく系統の違う蟹行(かいこう)の文字を覚えることにくらべればものの数でもないはずである。

一体に今の国語教育では漢字を恐れすぎている。これはあの戦後日本最大の愚行、国語改革と不可分の関係にあるものだが、ここでは話をそこまで遡るつもりはない。ただ国語教科書が、まず「たいそう」と教え、次に「体そう」と教え、そして最後に「体操」と教える(その合間には"taiso"まではいるわけだが)という二度手間、三度手間のやり方をしているのはじつにおかしいととだけは言っておこう。最初からすんなり「体操」と教えればそれで万事すむではないか。棒高跳びでバーをすこしずつあげていくような面倒な仕掛けは、文字の習得には適さないのである。

それにこんなことを言うと血相を変える頓珍漢な連中もたまにはいるかもしれないが「体操」は「体」という漢字と「操」という漢字を汲み合歩わせてできた言葉で、そういう意識を底に有していなければこの言葉は雲散霧消してしまう。だから「体そう」などという奇怪な表記でもいいのならば「準備体操」はいっそ「準備大層」でも「純美大葬」でも差し支えないという話になってしまうだろう。つまり漢字なんかどうでもよくて・・・日本語の体系はめでたく崩壊するわけである。そういう国語の終焉を、文部大臣から教科書調査官に至るまでが待ち望んでいるとは、わたしは信じたくないのだけれども。(引用ここまで)

丸谷さんのこの文献は、1972=昭和47年に著されたものである。もう遠く、昭和期の終盤から、日本語の乱れとか、漢字表記を飛ばす問題などが度々指摘されて来た。拙者なんぞは、文中のローマ字教育をモロに受けた世代で、中学生以上の英語教育にあっては「あれは一体、何だったんだ?」との大いなる疑問が、度々脳裏を過ったものである。

特に今世紀に入り、公共N局を初め、TV報道の字幕に、本当は当てはまる漢字があるのに、わざとらしい平仮名表記が濫用され、拙方も、ブログ記事などで何度か苦言を呈して来た。「当用漢字に無該当」とかの言い逃れができるせいかも知れないし、又、各TV局の組合組織辺りによる、反日に近い圧力のせいかも知れないが、少なくとも、小学生辺りの子供達の見る機会が少ない、夜間のニュース番組では、きちんと漢字表記を用いるべきだ。

引用中にある事共は「学問の自由」でも「言論、表現、報道の自由」でも、いずれの問題とも関係ない。我国の固有文化よりも、外製とも言える日本国憲法の価値基準に軸足を置こうとするから、この様な奇妙な問題が生じるのではないか。言葉の問題がこの様では、次の時代を担う子供達や若者達にとっても、大いなる不幸となりかねない。限文部科学省は、旧省時代にあった、芳しくない検証や是正の作業から、決して逃げるべきではないのである。

今回画像も、蒸機列車の走り姿をもう一題。過日、しばしば訪れる、新潟磐越の大役者 C57型機が、人間ドックに当たる全般検査の為、数カ月に亘って休養した年があり、その折、代役で南隣の群馬県から駆け付けた、更に大型の C61型機が、JR磐越西線に登板した折の模様。普段以上の迫力に、人出も大きく増え、居合わせた愛好者達を大いに魅了した記憶がありまして。

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