Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

寝台路線バス 現る?

2009-12-27 22:17:45 | 旅行記

コナサン、ミンバンワ!OCN Cafeの表日記にても綴ったが、2009=平成21年もいよいよ後数日となり、先が見えて来た。クリスマスの宴もだが、忘年会の時期も終わり、後は大掃除などの越年準備を経て、除夜の鐘を迎える事となるのだろうか。

昨日は、東京都内にて拙趣味たる写真仲間の少し遅めの忘年会が行われ、俺も顔を出して来た。昨今の不況の影響もあってか、メンバー全員が集まれる訳ではなく、土曜出勤にて断念した向きもあった模様。各位の話では、給料賞与はどこも伸び悩みか下降気味で、これは公務員関係とて例外ではないらしい。職を得られず、まともに越年さえ叶わない方々も少なくない一方で、曲がりなりにも節目の会合を開け、会食の席につける我々は、まだしも幸せである事を自覚すべきと言う点で全員の見解が一致した次第。

二次会を経て、約一時間の待ち合わせにて帰路名古屋行きの夜行バスに乗った次第だが、最近の内装の充実には目を見張らされるものがある。JRの全国版格安切符「青春18」の時期でもあり、列車夜行の席が確保できればベストだったが、生憎早々に満席となった由で、こちらも人気の夜行バスの席をインター・ネットにて確保した。全国屈指の人気路線なだけに混み合っていたが、通常運賃より1200円高めの「プレミアム・シート」が一席空いていたのでこれを確保。結果的にこの選択は正解だった。

昨夜遅く、東京駅八重洲口にて乗りこんだ大型バスは二階式。上階に三列の独立席が約30、下層に件のプレミアム席が配されるが、この下層席、通常車両は上階と同じ独立席が8席あるが、プレミアム席付きは僅かに3席!この席は、確かに特別なしつらえになっている。

まず座席が大きい。通常の独立席より10cm近く幅広かも知れない。しかも夜行の必需品、リクライニング・シートの傾斜角は150度を優に超え、ほぼ身体が水平のフル・フラットに近い感じで休む事ができる。加えて夜間は、自らの席周りはカーテンにて覆う事ができ、これら装備により、終夜サウナのカプセル部屋に匹敵する広い空間を利用できるのである。「これは、寝台車ではないのか?」と言うのが第一印象であった。浴衣などの夜着がないだけで、その他は鉄道夜行の寝台車と大差ない印象であった。更に、飲料水一本(ペットボトル)のおまけも付き、飲酒にて酔っていた身には有難かった。

第一希望の列車が満席の為の、やむを得ない代替処置ではあったが、終点に着いてみれば大満足。座席よりは寝台に近い居住性は、思ったよりは良く眠れたと思う。東名高速の夜行バスは、今後も利用機会がありそうなので、これからは、空席あればプレミアム席を所望しようと思う。今年の拙ブログは以上です。今年一年間有難うございました。来年も又、宜しくお願い致します。

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赤の風~最後の伝言Ⅶ

2009-12-27 17:39:00 | インポート
少し早いかもですが、コナサン、ミンバンワ!
2009=平成21年も遂に最終日曜日を迎えました。複数の知友の方々よりも「一年経つのは早い」とのお言葉を伺いましたが、確かに、若い頃より中高年の域となった昨今の方が、月日の経過が速く感じられる様にはなった気がします。
今日々中は、同じ名古屋市内の実家へ行き、年末年始の買い物を手伝って参りました。拙両親ももう老境と申して良く、特に喜寿を迎えた母は、今春の自転車が絡む事故による転倒負傷の後遺症もあって、依然気軽に外出のできない状態が続いています。日時は前後するものの、妹や甥なども加勢して、どうにか用が済ませた次第であります。

最近常に想う事が、その両親との永の別れがいよいよ遠くない所まで来たと言う事ですね。母の負傷と、その事などで用件の増えた父の健康面は常に気にかけているつもりだが、やはり徹底してと言う訳には参りません。平日は拙本業も忙しく、そこの所は妹の一家とも上手く調整し、何とか回せればと考えてはいますね。

両親とは「後何年顔を合わせられるだろう。もしかすると10年、いや15年だったとしても、もう長くはないな」などとも感じます。
20代、そして30代の頃は、見解の相違や世代の価値観の微妙な違いもあり、それなりに衝突や行き違いもありましたが、今となっては「ここまで来て、もうわざわざ波風を立たす事もあるまい。できる限り日々上手くやって、最期の時は静かに見送れたら良いな」などとも考えている所。この思考、まあ拙勉学の一成果の様な所もありますが、その前に儀式としての見送りがきちんとできなければならないのも事実。父も、母ももしその身に一朝事あれば、喪主を承るのは息子である私ですから。その辺は、少々不安がないと言えば嘘になりますね。

話は拙趣味へと飛びます。恐縮
幼馴染みでもあった名古屋鉄道パノラマカーですが、それは拙両親、そして我々兄妹の人生の傍らに、常にあり続けた存在でした。過日も触れましたが、高次元の走行性能や内装と共に、本来なら特別料金追加を要する前面展望式でありながら、追加不要の運賃のみで乗れる空前絶後の存在。しかしながら、余りに身近であり過ぎた為に、その素晴らしさが終末まで良く理解できず、いよいよ退潮と言う時を迎えて慌てて評価する。そんな動きは、他の愛好者にも多く見られましたが、私自身も他でもない、その一人であった事は認めざるを得ない所でしょう。
その事は又、私と両親の間柄にも相通じる何かがある様に感じます。

想えば、両親との日常の事共がやがて終わりを告げるであろう事を実感として受け取れたのも、パノラマカーが全て消え去る間際の事だった様な気がします。
私に対し、同車が訴えたかった最大の事、それは「お前の親御も、いつまでも元気やない。覚悟しいや!」と言う事だったのかも知れない。事実なら、これは大きく重い伝言でありましょう。*(日本)*
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