惚けた遊び! 

タタタッ

抜粋 河合雅司『未来の年表』人口減少日本でこれから起きること  講談社現代新書 2017

2017年12月18日 | 読書


第1部 人口減少カレンダー


 今取り上げるべきなのは、人工の絶対数が激減したり、高齢者が激増したりすることによって生じる弊害であり、それにどう対応していけばよいのかである。


 こんなに急激に人口が減るのは世界史において類例がない。われわれは、長い歴史にあって極めて特異な時代を生きているのである。


 日本の喫緊の課題
  ①出生数の減少
  ②高齢者の激増
  ③社会の支え手の不足
  ④これらが互いに絡み合って起こる人口減少


「静かなる有事」


 出生数の減少も人口の減少も避けられないとすれば、それを前提として社会の作り替えをしていくしかないであろう。求められている現実的な選択肢とは、拡大路線でやってきた従来の成功体験と訣別し、戦略的に縮むことである。


 われわれが目指すべきは、人口激減後を見据えたコンパクトで効率的な国への作り替えである。










 未婚や離婚の拡大が止まらない以上、ひとり暮らしが日本の主流になることは避けられないのである。それは「家族」消滅の危機でもある。「家族が社会の基礎単位」という考え方も成り立たなくなり、社会への影響は計り知れない。


 戦後の日本は核家族化が進んできたが、少子高齢化が重なることで、過去には想定されることのなかった問題が一気に噴き出してきている。その代表例が「老老介護」だ。


 それは同時に、全国から有能な人材を集めた東京が企画開発や研究といった生産性の高い仕事を行い、地方には部品生産などを任せるという分業で成り立ってきた。必然的に、地方は低賃金の単純労働が中心となり、高度な知識やスキルを身につけた人の働く場は少なくなってしまったのでる。


 認知症を患いながらひとりで暮らす高齢者世帯の増加も進む――そんな社会がどのようなものか、一度想像してみてはいかがだろうか。


 「人が亡くなれば、親族が引き取り、弔う」というかっての〈常識〉が崩壊し始めているのだ。


 こうしたアンバランスを考えれば、退職後は東京から地方に「脱出」するのも一つの選択肢となろう。東京一極集中と地方の人口減少という二つの課題の同時解決ともなる。


 だが、2042年ごろの日本社会は、「2025年問題」よりもさらに深刻な状況に置かれそうなのである。


 高齢者が増える「高齢化」と、子供まったくの数が激減することを表す「少子化」とは、全く種類の異なる問題なのである。


 大都市部では総人口はあまり減らず、高齢者の実数だけが増えていく。これに対して、地方では総人口は減少するが、高齢者の実数はさほど増えるわけではない。


 これからは、豊かな地方が大都市部の人口を吸い上げる時代となるかもしれないのだ。


 食料自給率の低い日本は、食料を輸入することで、本来、食料生産に必要であった自国の水を使用せずに済んでいたのである。これを単純化して言えば、日本は〈水の輸入大国〉ということだ。


 「無子高齢化」


 人口減少社会において、外国人に参政権を認めることは、国防上の致命傷となりかねない危険性をはらんでいるのだ。



 第2部 日本を救う一〇の処方箋
        ――次世代のために、いま取り組むこと


 人々は豊かな暮らしを実現するために経験から学び、あるいは先達の智慧を借りるものである。だが、極めて特異な時代には、こうした手法は通用しない。あまりに変化が大きく、しかもスピードが早すぎるためだ。ここからの未来は、過去からの延長線上にはない。


 求められているのは、「これまでのやり方」や過去の常識を否定し、発想を大胆に転換することだ。この時代を生きる者すべてが自ら考え、解決策を絞り出す作業である。


 人間というものは易きに流れがちだ。現実逃避の心理が働くのだろうか、「目標」というより「願望」に近い甘い見通しや計画がなくならない。


 日本の難しさは、人口減少をもたらす出生数の減少、高齢者数の増加、そして社会の支え手である勤労世代の減少という、それぞれ要因の異なる三つの課題に同時に立ち向かわなければならないところにある。しかも、これらは全国一律に進むわけではない。


 生産年齢人口は今後、一段と少なくなる。2040年には5978万人、2065年には4529万人とピーク時の半分近くになる見通しだ。生産年齢人口の減り方は総人口が縮むスピードを上回る(社人研の推計)。


データー出所 社人研=国立社会保障・人口問題研究所→「日本の将来推計人口」(2017)


 そこで私は、五つ目の選択肢として「戦略的に縮む」ことを提言したい。


 小さくともキラリと輝く国


 取り組むべきは、人口が少なくなっても社会が混乱に陥らず、国力が衰退しないよう国家の土台を作り直すことである。


 人口激減後にどのような社会をつくるのか、われわれの構想力が試されている。いまこそ「二十世紀型成功体験」と訣別するときなのである。



 日本を救う一〇の処方箋
❶「高齢者」を削減
➋24時間社会からの脱却
❸非居住エリアを明確化
❹都道府県を飛び地合併
❺国際分業の徹底
❻「匠の技」を活用
❼国費学生制度で人材育成
❽中高年の地方移住推進
➒セカンド市民制度を創設
❿第三子以降に1000万円給付


 そこで仮に、高齢者の線引きを「七十五歳以上」へと引き上げてみよう。すると、2065年の高齢者の割合は25.5%にまで下がる。同時に現行十四歳以下となっている「子供」の定義も「十九歳以下」とする。いまや十五歳で就職する人はごく少ないからだ。


 しかし、わずか50年で勤労世帯が40%も少なくなるという「国家の非常事態」である。あらゆる分野において、これまでの習慣や仕組み、ルールなどを一から見直さなければ、少子高齢社会は乗り越えられない。


 不便さもまたよし


 だが、「便利さ」や「無料」とは、誰かの必要以上の頑張りや犠牲、我慢の上に成り立っていることに思いを馳せよう。商品コスト以上のサービスを享受すれば、必ずどこかにしわ寄せを受ける労働者がいるのである。


 人が住む地域と、そうでない地域とに国土を色分けし、コンパクトで効率的な国に咋り変えるのである。


 政府は地方創生で地域ごとの戦略策定を求めているが、相変わらず現行の行政区分を前提としている。
 だが、人口激減社会で求められるのは市区町村の枠組みに縛られない対応であり、住民の生活圏に即した施策の展開である。現在の自治体というのは、人口が増えるのが当たり前の時代にできたものだ。


*厚生年金基金制度は右肩上がり経済のもとで成立したが、平成一〇年過ぎから想定外の新規加入員数の漸減という事態を経て崩壊した。新たに始まった確定拠出年金にそういう隠された瑕疵があるのだろうか。


 労働力人口が減っていく以上、若き労働者を十分確保できない業種も出てこよう。出生数が減れば優秀な人材の絶対数が減るのも必然だ。ならば発想を転換し、日本の得意分野に絞ればよい。日本人自身の手でやらなければならない仕事と、他国に委ねる仕事とを思い切って分けてしまうのである。


 日本は世界の中でも極めて国産品の製品分野が多い国とされ、ほとんどの分野に国産品が存在する。少子化で人材が少なくなった後に、マンパワーを幅広い産業に分散していたのでは、成長分野はより誕生しづらくなる。それよりも、限られた人材や資本を日本が得意とする分野に集中投入し、世界をリードする産業として発展させていくほうが賢明だ。


 「大量生産・大量販売」の発展途上国型ビジネスモデルは、若い労働者が豊富だからこそ可能だった。


 世界でナンバーワンのブランドを造り、海外と直接つながるという、いわゆる「イタリアモデル」を目指すのである。


 地方発の「世界でナンバーワン企業」がこれからの日本を引っ張る。これこそ、地方創生の醍醐味でもある。


 学校教育の段階から起業家精神を育成することも重要となろう。


 一律支給・万編なくの支給は戦略欠如の典型だ。


 地方自治体が空き家や古民家を改修したゲストハウスを用意し、そこを宿泊施設として安く利用できるよう便宜を図る。


 人間ではなく、蔵書を〈地方移住〉させる「知の巨人村」構想。


 子供の数が多ければ多いほど、経済的に優遇される仕組みを導入することである。


 少子化は、国家を根底から揺るがす「静かなる有事」だ。その対策は「国家の固い決意」のもとにおこなうものであり、それがゆえに税財源で取り組むのが王道であると私は考える。


 社会保障循環制度
生涯を通じて利用した社会保障サービスのうち、税や国債など公費で賄われてきた額(公費負担分)を、死亡時に国に返還してもらい、これを少子化対策の財源として活用するのだ。


 では、現状でこの公費負担分はどこに行っているのかといえば、遺産相続によって妻や子供に移っている。この相続税の発想を根本から改めて、国が優先的に徴収する仕組みとするのである。
妻や子供など相続人は残った額、つまり死んだ人が自ら直接稼ぎ出した財産のみを相続対象とする。


 出生数の回復がなければ、日本はいずれ消えてなくなる。大胆な政策を打たずして起死回生などない。





*平成二十九年十二月十八日抜粋終了。




 

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