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はじめての哲学

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抜粋 三木成夫 『内臓とこころ』 河出文庫

2017年08月08日 | 読書
 
 いずれにしても、そのように非常に鋭い精巧無比の触覚によって、われわれ脊椎動物の祖先は、営々と五億年の間、食物を取り込んできたわけです。


 「この精巧無比の内蔵触覚の機能は、正常な哺乳によって日々訓練されてゆく」


 やはり赤ん坊の時には、まず哺乳動物であることの最低の条件を満たすためにも、母乳を経験させないといけない。それで育ってきた赤ちゃんと、なんだかモルモットに水をやるようにして育てた赤ちゃんと、いったいどちらが幸せだと思いますか。


 イヌ、ネコがお産をしますと、胎盤をおいしそうに食べます。催乳物質が含まれているからです。あの食べる時のキッチャキッチャ、という音はなんともいえない音です。


 内臓波動


 つまり動物というものは、子供を産む場所と、餌をとる場所と、はっきり分かれているんです。生まれてからの前半生を、ずっと餌場で過ごして、ここで大きくなり、ある一定の時期がきたら、突如として、その生命形態を変える。


 しかし、生命の流れというものは、ちゃんと「食の相」「性の相」に分かれているのです。


 私ども人間は、とくに男性はもう、〈食い気〉も〈色気〉も、ごっちゃ混ぜ(爆笑)ですから、こういった分け方は、まったく理解できない。


 じつは、植物の世界で理想的なすがた(位相)が見られるのです。田んぼに出て、あのイネの育ちを見れば充分です。春が来たら苗床から、芽が吹き出してくる。それから、夏に向かって葉っぱを茂らせて大きくなってゆく。「成長繁茂」の相です。やがて夏至が過ぎて日が短かくなってゆくと、そこでポイントが完全に切り替えられる。つまり、個体の維持から種族の保存に向かって、いわば生きざまが変わってしまう。あの秋の黄金の波。それは「開花結実」の相です。


 このようなわけで、私どもは、宇宙リズムがもつとも純粋な形で宿るところが、まさにこの内臓系ではないか、と考えているのです。


 私たちの内臓系の奥深くには、こうして宇宙のメカニズムが、初めから宿されていたのです。「大宇宙」と共振する、この「小宇宙」の波を、私たちは〈内臓波動〉という言葉で呼ぶことにしております。


 感覚と運動はたがいに聯関する。


 それは腸管系と血管系と腎管系で、「植物器官」と呼ばれています。


〈アタマ〉が前者の体壁の世界に属したものであるとすれば、あとの〈ココロ〉は、あくまでも後者の内蔵の世界に根を下ろしたもの……と、こうなるわけです。


 この「遠」に対する強烈なあこがれ――これこそ人間だけのものです。


 それは、いいかえれば「心で感じること」と「ものを話すこと」の両者が、まさに双極の関係にあるということです。あの感覚と運動の同時進行の関係――すなわち内臓の感受性が高まった、それだけ言葉の形成も的確になる。逆にいえば、すぐれた言葉の形成は、豊かな内臓の感受性から生まれるというものです。


 「ドウシテ」と「ナー二」


 つまり私たちの頭の働きには二種の異なったかたちが識別される。そのひとつは素朴な指差し(指示思考)、他のひとつは意欲的な把握(概念思考)――この二つですが、後者のつまり概念思考が、ここからやがて新しい世界を産み落とすのです。


 この三歳児の世界に桃源郷のおもかげを見た――という、ただそれだけの話なのです。


 私たちの遠い祖先は、古生代の終わりに、それまでの長い波打際の生活を捨て、上陸を敢行したといわれる。この一億年に及ぶ上陸のドラマが受胎一ヵ月後の一週間に子宮の羽二重の褥を、いわば檜舞台として演じられる。


 三木先生の話が心を打つのは、そこに強い情動があって、それを理性がよく統御しているからであろう。(養老孟司)





*平成二十九年八月八日抜粋。