つぶや句

夢追いおっさんの近況および思うことを気まぐれに。

クモの糸

2009-07-26 03:53:37 | ちょっとした出来事
“やってしまった”これが正直な思いである。
気づいたときには、一瞬左横に走ってくる車が目に入った。
と思ったら「ガ、ガ、ガ、」という音と共にまた目の前が白くなった。

どれくらい経ったのか、ドアを開けようとしたらちょっときつくて
開きにくかったが、力を込めて開けて出た。その一瞬だったが、
胸の前を一筋の光のようなものが過ぎったような気がした。

出勤途中のわたしの居眠り運転による信号無視の交通事故である。
双方の車は大破していて、相手の運転席には二つのエアーバックが出ていた。
不思議なことに、相手の方もわたしも怪我らしきものはなかったのである。

すぐに警察を呼んで、事の処理をしたのだが、ハッと思って車を見てみると
左バックミラーが見事にへし折れていて、例の棲みついていたクモの“ヤツ”
の脚がだらりと割れたミラーの間から垂れ下がっているではないか。
あわれヤツの命運はここにつきたのである。まさかこのような形で命が終るとは
思っても(思うかどうかもわからないが)みなかったことだろう。

そのとき、ふと何かが手に触るのを感じて、右手を開いてみるとクモの糸が
手にネバネバと触るではないか。あんな事故の最中にどこでどう付いたのやら
わからなかったのだ。糸を剥がしてまた車の方に目をやると、落命したクモと
バックミラーの間に白い糸がふわふわとそよいでいた。

レッカー車で車を運ぶ途中、奇跡的に助かった我が命を神に感謝したのだが、
ふと…あの事故直後の一筋の光のことが頭をよぎった。あれはもしかして…
事故の瞬間に“ヤツ”が放った糸ではなかったのか。芥川龍之介の「蜘蛛の糸」
のようにヤツがわたしに垂らした一条の糸ではなかったのか…。

事故の刹那、わたしは無意識のうちにその糸を掴んだのではないのか…
だから右手にクモの糸が…。それは、わたしの命の喪失を防ぐ一条の光では
なかったのか…。そしてそれを掴んで離さなかったのが…いのちを…。
事故車を運ぶレッカー車の中でそんな思いがわたしの頭の中を巡った。

空は蒼く澄み渡り、夏の雲がもくもくと湧き上がっていた。
わたしはその空の彼方に手を合わせた。



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目覚めしものの行方

2009-07-13 05:52:23 | つらつら思うこと
遅まきすぎる青春性の目覚めを賜ってから、すでに1年が過ぎてしまった。
神様は一体わたしに何の啓示をお示しになったのか…。1年の総括をふと、
考えてみた。

思えばあの日以来、何にもかまわなかった人間が、身づくろいに気を配る
ようになり、心身のオシャレを考えるようになった。以前俳句に目覚めたとき、
何気なく見ていた道端の花の美しさにに目が留まるようになり、その息づきを
感じ、昆虫の生の営みも見えるようになったことがある。

先の目覚めは、実は似たような感じを受けているのだ。
以前は何気なく、あるいは漠然と見ていた。女性たちのちょっとした仕草や、
表情にも目が留まるようになり、今まで漫然として見過ごしていたものが
見えるようになったのである。

誰それが、「あの人けっこうきれいだよねえとか、かわいいよねえ」とか聞いも、
「ほう…そう…」という具合で、あまりピンときてないいころがあったのだが、
目覚めを賜って以来、目からウロコが落ちたように「ああ…なるほど…きれいだ」
などと、気づくようになったのである。

しかし遅すぎる目覚めに、今まで何を見ていたんだ、わたしの眼はガラス玉
だったのか、我が人生は何だったんだ…などと悔しさに地団太踏んだりした
のだが、よくよく考えてみると、「これでいいのかもしれないなあ」と思える
ようにもなってきた。今だからこそ目覚めを落ち着いて(の…つもり)
受け止めることが出来るのではないのか、もしもっと若ければ、花園に舞い降りた
蝶のように百花繚乱の中で、狂乱の悶えに苦しんだかもしれないのだ。

いま言えることはあの赤塚不二夫さんの「バカボン」のお父さんのセリフの
ように、“これでいいのだ”ということである。そう…きっと、これでいいのだ…



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果てしなき戦いⅢ(ついにヤツの居所が…)

2009-07-12 07:30:00 | ちょっとした出来事
愛車の左バックミラーにせっせと巣作りをするクモを
近くの植木で見つけたと思い、洗車ブラシで叩き落したのだが、
また左バックミラーへの巣作りが始まったのだ。

おかしい…どう考えても叩き落したクモが、バックミラーにまた巣を
作ったとは思えなかった。何かが引っかかったまま、また左バックミラーに
巣を作られては振り払うという果てしなき戦いを続けていた。

そんなとき、ふと…身内の一人が放った一言を思い出した。
「車に棲んでるんじゃないの」冗談半分に言った言葉だったのだが、
もしや…と、左バックミラー付近をまじまじと眺めてみた。

すると、隠れようとするヤツの足先がチラリと見えたのである。
な、なんとホントに車に居たのだ。それも左バックミラーの中に棲んで
いたのである。鏡とそれをはめてるケースの間に潜んでいたのだ。

さあて、こうなれば煮て食おうと焼いて食おうとヤツの生殺与奪は我が手に
握られたのである。どうしてくれよう…殺虫スプレーひと吹きで
この果てしなき戦いも終わりにできるのである。

そう思ったとき、何か妙な感情が湧き上がってきたのである。これで
終わりになるとなったら、何かふと…寂しいようなむなしいような気がよぎり、
敵であるはずのヤツに情のようなものが…。

かくして、わたしは一匹のクモを車に飼うはめにおちいり、また左バックミラー
には、ふわ、ふわ、っと白いものが…。



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きれいどころ

2009-07-08 05:17:58 | つらつら思うこと
なんでだろうなあ…と、時折り考えることがある。美人だとかイケメンだとか、
何をもって言うのだろうか。顔の造作の比率がいわゆる黄金比率のせいなのか、
それとも、八頭身のスタイル比率のゆえんなのか…。まあ…実はよくわからない
のだが、それでも確かにきれいどころと言われるところに男心がざわめく。

このざわめきが、なかなかよろしくて、心に潤いと、ときめき、切なさの
ハーモニーが胸騒ぎのあえかなる波を起こしてくれるのだ。

昨年ヘンテコリンな青春性の目覚めを賜ったおかげで、確かにこの
よろしきざわめきを心して味わうことができている。だからきれいどころは
そのきれいさを大切にしてほしいと思っているのだ。ある年齢に達しても
すぐに「オバちゃーん」にならずに、きれいどころのプライドを持って、
いつまでも、きれいをみがいてほしいと思っているのである。

いかし、考えてみると先に述べたように、きれいどころなどというものは
つかみどころのないものなので、実はだれでもきれいどころと言えるのでは
ないだろうか。少なくとも、だれにでも自分の一番美しくなる地点は
持っているはずである。だからとにかく自己ベストきれいどころを
目指していけば、きっとみんな輝くに違いないのだ…。

が…それもあまりに磨かれると、ざわめきだけでは済まなくなるかも
知れないのだ。それを思うと、まあ…ほどほどに磨いていただいたほうが…などと、
夏の世の夢…心地…に思ったりしている…。

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ああ…恥ずかしい

2009-07-05 10:44:54 | ちょっとした出来事
まあ…この期に及んで言い訳をするつもりはないが、穴があったら
入りたいな心境なのだ。

睡蓮用の鉢を、毎日のように覗いていたにもかかわらず花芽をしばらく見逃して
りっぱな蕾になっていた旨を書いたが、何ということだ、同じくらいの蕾が
もう1個あったのである。つまり、2つも見逃していたのだ。

確かに直径40センチはあろうかという葉っぱに覆われていたとはいえ
自分の視野の狭さにあきれ果てている。しかも…なお、恥のうわぬりを
やってしまったのだ。

わたしが睡蓮睡蓮と連呼していた花は、何と…睡蓮ではなく、蓮(はす)
だったのである。ああ…恥ずかしい。

これでも、俳句を20年近くやってきた、チョイ俳人である。蓮や睡蓮は
夏の季語として有名だし、前回の展示作品にカマキリが蓮の花につかまって
いる姿を描いたばかりなのである。
「こんな蓮(はす)じゃあなかった」とシャレている場合ではない。

まあ…いいでしょう。こんなにかいた恥でも、この2つの蓮の花を見れば
相好がくずれてしまうのである。
わたしがため息をつきつつ眺めていると、通りかかった中年の女性が
「まあきれいな蓮の花ですねえ」と声を掛けてきた。聞けばちょっと
遠方から来ているとのこと。

「蓮の花は咲くときにポン!と音がするんですよう」と言うのだ。
「以前散歩してたとき、蓮池の近くを通り掛かったら、ポン、ポン、ポン
と立て続けに音がして、すごかったですよう」と言って去って行ったのである。

そういえば音がするというのを、以前俳句の会で聞いたようなのを思い出した。
こんなことを聞かされれば、咲くときのその「ポン!」とやらの音をぜひとも
聞いてみたいではないか。

すでに手前のやつは赤みが増してきつつあり、多分2~3日で、「ポン!」
の気配である。もう…我が頭の中では…「ポン!」弾ける音が響き渡っていた。
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